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フィンランドに来た経緯

2018年3月から2023年5月まで約5年間フィンランド現地法人で働いていました。仕事は携帯電話通信5Gの基地局側の通信装置の組み込みソフトウェア開発でプログラミング言語はC++とPythonを使っていました。(2023年5月以降はフランスで働いています)

日本で働いている間にヨーロッパで働きたいと考えるようになって動き出しました。そこから遠回りもしながらヨーロッパに来る方法を探していて、最終的に来れたのがフィンランドでした。

この記事では、私がフィンランドの現地法人に就職するまでの経緯について書いてみました。少し長いですが、何かしら参考になることがあれば幸いです。


大学卒業→アメリカ系外資系企業に就職

大学時代は海外に行くなんてことは考えてもいませんでした。できれば日本の有名な企業に入りたいと思ってたけど大学のレベルも成績も全然だったので学部の推薦がもらえたアメリカのシカゴに本社があった外資系企業Mに何とか入社しました。

M社は当時Apple MacintoshのMPUを作ったりして半導体がメインだったので半導体に関わる仕事に就きたいと思ってたのですが、私が入社した時人手不足だった全然希望してなかった携帯電話基地局関連の部署、場所も東京勤務希望だったのが大阪に配属されました。(なお入社3年後に東京に転勤することができました)

でも大学時代にアルバイトでプログラミングをやってたおかげでその部署で業務の自動化/効率化を行うことになり、そのまま一人社内SEとなりました。

一人だったので好きな言語が自由に使えC++/Java/Perlなどの言語やHTML、UNIX環境やWebサーバやデータベースの構築/管理など、自分の興味があるものを好きなだけ学びながら仕事することができました。

そのうちに業務が拡大し開発もチームでやるようになり、自分なりに新しい開発手法を勉強してチームに取り入れたりしていました。

あとこの時期上司や同僚にアメリカ人が何人かいて英語でのコミュニケーションが必要となったので個人的に英語必死で勉強しました。(ちなみに入社して初めて受けたTOEICは380点でしたがM社からE社に転職する頃には800点くらいになりました)

そんな頃チームメンバーの一人がシカゴの本社で携帯電話基地局側の通信装置のソフトウェアの開発をやる部署に応募して受かり移って行きました。同期で入社した別の部署の何人かも同様にアメリカへ。

今考えると当時希望していればアメリカに行くことはできました。でもその頃はなぜかあまり興味が持てませんでした。一度シカゴに出張した時シカゴの街が食べ物含めあまり気に入らなかった(失礼)のと現地のアメリカ人が予想を超えて太った人ばかりで映画やドラマと全然違う!と衝撃を受けたことが関係あるかもしれません。(若気の至りです。シカゴは素敵な街だし地ビールも盛んで良いレストランやブルースバーもたくさんあります。)

その後社内SEだと外部の顧客とやりとりなくて自分として成長が望めないと考えたので希望してIT系B2Bコンサルに社内転職し、ソフトウェア開発から離れました。実際顧客とのやり取りを通してすごく成長できたし、大阪への出張をきっかけに結婚もしました。北海道の顧客を担当することになり札幌出張しまくったのも良い思い出です。

でも純日本の顧客相手の仕事では全く英語使わなくなり英語力が落ちているのを実感しました。それ以外に当時の社内事情もあり、希望してアジアのビジネスのサポート部隊に社内転職しました。

中国での経験

新しい部署ではさっそく中国に4ヶ月出張しました。中国の携帯会社(日本ならドコモみたいな会社)がお客で、その会社の携帯の電波改善をやってる現地社員を補佐する仕事でした。

今はどうかわかりませんが、当時お客は英語なんか話す気もなくて会議は全て中国語。こちらも日系企業ではないので通訳なし。当時中国語勉強して読んだり日常会話はしてたけどさすがに会議でお客と話すのは無理。

会議中はお客と中国人同僚が中国語でガーって話してて何か質問された時だけ英語話せる同僚が英語で言ってくる。それに英語で答えたら同僚が中国語でお客に説明する。

本当にストレスで直接お客と話したかったです。蘇州だったかあるネットワーク指標の値を改善するプロジェクトがうまくいかず、報告会議でお客がこっちを見ながら「りんでぃえんりんりんさん」と語気強めで言った時は、0.003%しか改善してないと文句を言っているとわかったので逆にそれも辛かったですが、今となってはこれも良い思い出です。

きっかけ - タイのバンコク駐在6ヶ月

中国の後タイのバンコクに6ヶ月駐在しました。タイの携帯会社のオフィスに常駐してお客のエンジニア達の技術的な質問に答えたり彼ら向けにセミナー開いてプレゼンする仕事でした。

タイで仕事しててありがたかったのはお客が英語を話せて直接会話できたことでした。エンジニアではない部長とも。仕事やりやすかったです。その時生まれて初めて「英語が使える国ならそこで働くの楽しいな。どうせ住むなら昔から好きなフランスとかそういうヨーロッパの国が良い。ちょっとそれ目指して動いてみようか」と考えました。

はじめの一歩 - スウェーデン系企業Eへの転職

タイ駐在から日本に戻ってからもヨーロッパで働きたいという気持ちは強くなって行きました。
そんな時ちょうど同僚が転職したのがスウェーデンに本社がある会社E。

当時勤めていたアメリカに本社のあるM社は主にアメリカで主流だった携帯電話通信規格の製品を製造販売していたのですが、E社は当時ヨーロッパなどで主流だった通信規格の製品を日本でも販売していました。今後ヨーロッパに移ることを考えるとそちらの規格についての技術知識を身につけた方が良いかもしれないと考え、ちょうど自分の知識や経験を生かせるポジションで募集してたのでその元同僚の紹介で応募し、転職しました。

Eという会社は長いこと日本でビジネスやってるのに全然ローカライズしてなくて社長含めてマネージャは外国人が多く社内会議は全て英語。私が入社後に最初に入ったプロジェクトもプロマネがオーストラリア人でメンバーもスウェーデン/カナダ/イタリア/グアテマラ/マレーシア/中国/日本と多国籍。

お客は日本の会社なので会議は通訳連れで、外国人メンバーが英語のパワポで説明したのを同時通訳。(通訳確保できない時は私が通訳したりしてました)
議事録もまず英語で作ってお客に出す時は社内の翻訳サービスで和訳してもらい内容レビューして出す。なので日本人も資料英語で作ってました。

中国&タイでの経験から思うに、日本語話せない外国人が仕事するには理想的な環境かも。そのせいか、すごく仕事ができる外国人が大勢いて、日本人が一番できるという思い込みを改めました。私にとっても最高の環境でした。英語鍛えられるし、日米とはまた違った欧州流パワポ資料の特徴など学びが豊富。

そして英語を使ってヨーロッパで仕事をしたいという気持ちがますます強くなりました。

遠回り - プロジェクトマネージャになる

スウェーデン企業Eの日本法人で働き出してから少したってオーストラリア人のプロマネが国に帰ると。そしたらギリシア系オーストラリア人のマネージャからプロマネどう?ときかれてやってみることに。

この会社プロマネのプロセスがきっちり定義されていてそれさえ守ればあとはけっこう自由にできたのでプレイングマネージャよろしくITコンサルとプロマネの二足のわらじを履いて仕事をおおいに楽しみました。

少し余談になりますが、この会社のプロマネの仕事の一つにプロジェクトメンバを各部署にアサインしてもらうのがあったのですがルールとしてメンバのうち数人は必ず海外から選ぶことになってました。その時驚いたのがイラン人も呼べたこと。アメリカ企業ではありえなかった。でもさらに驚いたのが会社は呼ぶのOKだったのにITサポートのHPがイラン人にPC渡すの拒否して、それで呼べなくなったこと。アメリカとヨーロッパの企業の違いが少しわかったエピソードでした。

プロマネの仕事始めて少しして社内でプロマネにPMP(Project Management Professional)を取得させるキャンペーンが始りました。アメリカの団体PMIの資格。E社はプロマネのプロセスがしっかりした会社でPMPと親和性高かったので試験一回で合格したのは良かったけど今考えるとこれがヨーロッパへの転職で遠回りしたキッカケでした。

当時”国際資格あれば転職しやすい”と海外プロマネポジション応募しまくったけどPMPは比較的とるのが簡単=資格持ってる人多いので全然武器にならず書類選考で落ちました。
(一回アメリカのポジションで電話面接まで行けたけど”もう少し英語使えないとダメ”とはっきり言われました。)

そのころ同僚がApple Japanに転職しました。ちょっと興味があったので試しに応募したら書類選考通りHRの方と面接。そこで数カ月に渡り6回面接あるがやる気あるなら進めましょうと言われ考えました。

面接頑張って入社できても日本法人で何年か働いて、行けたとしてもアメリカ。その時自分が行きたいのはヨーロッパで、そのためにスウェーデン企業に転職したことを思い出しました。PMPというアメリカのプロマネ資格を取ったことで舞い上がりそっちの方向でしか考えられなくなってたのかもしれません。

外資系企業の落とし穴

冷静になり社内転職サイトでスウェーデンのオープンポジション見たら開発職たくさんあり、すぐに応募しましたがプログラミング経験あってもスウェーデン開発職で差別化できる経歴なく書類選考引っかからず。当時のE社日本法人にはそういう経歴作る環境なし。

多くの外資系企業には社内転職サイトがあり、本社のある国のポジションなども検索/応募できるので海外転職には一見良さそうですが、日本法人は日本でのビジネスに特化している場合が多く、日本法人で働いた経験は海外では使えなかったりするので注意が必要です。

逆にプログラミングなどのスキルを鍛えてそれを経験としてアピールしたいなら日本企業である程度仕事した方が良いかもしれません。(日本企業でプログラミングを2-3年経験してからヨーロッパでその経験を活かせる会社を探す または 先に気になる会社を見つけてそこで募集している職種見てそこで求められている経験を得られる日本企業で働く など)

日本で開発やってる外資なんてないと思ってたのでダメ元で探したら、フィンランドに本社がある外資系企業Nの日本法人でいわゆる開発職の募集してるのを見つけて転職しました。

日本法人からフィンランド現地法人へ

携帯/スマホはWifiみたいに近くの基地局装置との無線経由でネットに繋がるのですが、3GPPという国際組織で決めた仕様書に基づいてiPhoneもAndroidスマホもやり取りしてます。なので基地局装置はどの国でも同じ物が使えるようになってて日本でもK社やS社はエリクソン、ファーウェイ、ノキア、サムスンなどの海外メーカーから基地局装置買ってます。

D社は(当時4Gでは)規格に準拠した独自の装置を日本のN,F,Pの3社に作らせてましたが、フィンランドのN社はP社との共同で基地局装置開発を受注することができました。そういう特殊な条件がそろったタイミングで転職したことで、外資でも日本で開発に関わることができる貴重な職場に入ることができました。

日本法人に転職して驚いたのはN社が一つの製品のソフトウェア開発を多拠点に分割してやってたこと。当時4Gはフィンランドのオウル、ドイツのウルム、ポーランドのヴロツワフ、インドのバンガロール、そして北京に開発チームがあり、こちらは各チームとやり取りする必要がありました。

さっそくヨーロッパの各都市について情報収集し、いくつかのポジションに応募しましたが最初の頃は書類選考で落ちました。

D社との仕事で仕様について詰めていく中で技術知識を蓄積し、その経験とプログラミング経験があることをアピールするCVを作って何度も応募を繰り返した結果、ようやくフィンランドのオウルのポジションの面接まで漕ぎつけ、面接も通って就職することができました。ちなみに面接はビデオ会議形式で向こうはマネージャーが二人。C++のコーディングテストもありました。

バンコク駐在でヨーロッパで働くことを意識し、スウェーデンに本社のある会社Eに転職してから10年以上かかってようやくフィンランドで働けることになりました。今振り返ってみるとE社に転職した時に今と同じ経験と知識があればもっと戦略的に動いて、もっと早くに来れていたと思います。

さらに言えば、一度アメリカに行きそこで経験を積んでからヨーロッパに行っても良かったかもしれません。でも全て後の祭り。

そういう訳で私は日本でプログラミングなどの仕事をしていてヨーロッパに住んで働きたいと考えている人に私の持っている知識をシェアして応援したいと考えています。今後も情報発信していきたいと思います。

長い記事を最後まで読んでいただきありがとうございました。

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