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こんにちは、TOSHIです。
私の中で強く求めているものが「成長」です。「成長」への強い願望がありますし、強い欲求があります。
成長と言ってもいろいろありますし、人によって捉え方は様々だと思います。今回は私にとっての「成長」について、書いてみようと思います。
「成長」は日々少しずつ起こるもの
まず第一に、日々少しずつ成長していくもの、という認識があります。一足飛びに急に成長したりはしない、ミリ単位でちょっとずつ、ジワジワと進んでいくものだという感覚があります。
だからこそ、「コツコツ継続して努力することが大事」という信念が私にはあるのだと思います。一発逆転的な成長はあり得ません。
日々是決戦
私が「成長」を考えるときに、念頭にある言葉があります。
それは「日々是決戦」という言葉です。
「日々是決戦」という言葉は、私が中学3年のときに通っていた代々木ゼミナールという予備校の教室に掲げられていた言葉の一つです。もう一つは「親身の指導」でした。
あるとき、社会の先生がこの言葉について教えてくれたのをよく覚えています。「日々是決戦」は他人と競争することではないんだ、と。
「決戦」というのは自分自身との戦いで、日々自分自身と戦って勝ち続けることが大事だ、という話でした。
昨日の自分よりは今日の自分、今日の自分よりは明日の自分……日々成長していけるように、常に自分自身との戦いに勝たなければならない。
「成長」とは人間としての器が広がること
成長と言ってもいろいろあります。背が伸びることも成長ですし、頭が良くなることやできなかったことができるようになることも成長でしょう。
私が大事にしている「成長」は、視野が広がることです。わからなかったものがわかるようになることとも言えますが、頭でわかるというよりも心で理解できるようになる感じでしょうか。
許せなかった人を許せる
近い感覚としては、「絶対に許せないと思っていたような人を、自然と許せるようになる」ような感じです。
これは「許しましょう」というワーク的に無理矢理「許す」のではなくて、その人のことが理解できて自然と許している、という流れでなくてはなりません。
「もし自分が相手と同じ立場でその状況だったら、自分も同じことをしていたのかもしれない……」ここが腑に落ちる感覚でしょうか。
ガンダムが理解できなかった
別の例を挙げてみます。
私が小学校低学年の頃、朝に再放送でガンダムをやっていたのですが、当時の私にはさっぱり理解できませんでした。「どっちが味方なのかわからない!」
ウルトラマンのように、「こっちが正義であっちが悪」のような話でないとわからないし、面白いと思えませんでした。
ガンダムでは連邦軍にもジオン軍にも、それぞれの大義があります。ミクロな視点では、そこに属する個人としての人間は、まったく同じ人間です。悪でも正義でもない。それぞれが同じように大事にするものがあり、悩みを抱え、生きています。
こんな当たり前の世界の形が、当時の私には理解できませんでした。
自己理解を深めること
「成長」は世界への理解を深め、視野を広めていくことになるのかもしれません。
でもそれは、「自分自身を知っていくこと」とも言えると思います。自分という人間の中には、世界が詰まっていると考えることもできるからです。
自分自身を探求していくことは、人生そのものなのかもしれません。そんなことすら思います。