田中俊行を目指す
目次
なぜ活動しているのか?
田中俊行と申します。
奈良県を主として、いけばな教室の運営や中小企業診断士としてのコンサル事業、観光に強いシンクタンクである公益社団法人の運営と公益事業での中小企業支援などを行っています。
元々、自分のために生きることに必死になっていましたが、社会課題を事業で解決する経営者のインフラ組織に関わるようになり、社会の未来益のために力を注ぐことに決めました。
日本は、2100年には今の延長線上の未来において再建不可能なくらいに人口減少が進み、国自体が消滅する可能性を総務省などの人口統計データから予測されています。
80年後、3世代・4世代あとには国内市場は消滅し、人口が減り、税収だけでは国の運営もままならず、二束三文になった日本の国土の多くが外国資本に握られるそのような状況になります。
誰かが故郷を失うだけではとどまらず、日本人が持つ故郷のイメージや田舎のイメージが無くなってしまうことでもあります。
これはある意味で、日本という国が残るか消えるかの闘いでもあります。
人口減少という間違いなく起こるこの未来の現実を知り、誰かがやらないといけないが誰かがやってくれるではなく、自分も微力ながらその一部としてでも主体的に行動する、プロジェクトを生み出すというこの不都合な現実に立ち向かうため、活動しています。
社会では情報取得が容易になったことで多くの人々は限られたことや顕在化された興味関心のあることからの情報しかいつしか触れなくなりました。
すぐ身近に起こっていることに触れる機会もなく、潜在的に興味関心があるものにも触れる機会がなくなっています。
そのため、様々なことに無関心を貫いてしまう人々が多く存在しています。
無関心を関心に変える先に平和な社会の実現があると信じて活動しています。
誰が言うかの誰という存在を目ざす
日本の伝統技芸であるいけばなにライフワークとして携わり、11年目となりました。
父の病気のこともあり2013年に勤めていた証券会社を辞め、いけばなの道に進みました。
活動当初も今もいけばな、だけでなく日本の伝統技芸が世界に対して果たす役割の大きさやその可能性には大変な希望を持っています。
当時は、大学時代からの夢だったアメリカのビジネススクールへの留学を実現させ、いけばなをアメリカで普及させるためにアメリカで大学院に通いながら起業することを考えていました。
留学準備として2014年から2年間、池坊の職員として勤めさせて頂き、プレイヤーとしての目線だけでなく、振興や管理的な目線から業界のことを学ばせて頂きました。
2013年に父を、2016年に母が逝去したため、一旦教室の廃業届を出し、改めて私の名前で開業することにしました。
独立開業してから1~2年はいけばなだけで何とかする、斜陽産業になりつつある日本の伝統産業に光を当て続けそのともしびを消したくない、と考えていましたが、想いだけではうまくいかず壁にあたり、その時に目標を立てました。
何者かにならないといけないと考えました。
何を言うかよりも誰が言うかが大切で、普段から信頼されうる人間にならないといけない。
そして、誰からとなると、地域で企業経営をされている方々にいけばなをして頂きたいと思っていたため、その方々からの信頼を得るために、中小企業診断士資格をとり、より相手にとって役に立てる存在に変化しました。
今から約2年前に今の経営実践研究会という経営者の全国インフラと藤岡会長に出会ったことで、今はさらにその時の想いに磨きをかけています。
まだまだ道半ば。
田中俊行になることを日々目指しています。