#3 『TOKYO NIGHT』
『TOKYO NIGHT』
――この街の夜は、どこかおかしい。
「おかしいって、どうおかしいの?」
路地裏の薄暗いカフェで、彼女はそう尋ねた。蒸し暑い夏の夜。東京の喧騒をよそに、この場所は妙に静かだった。
「たとえば、あのネオン看板。時々、文字が入れ替わるんだ」
そう言って、私は目を細める。外のネオンには「OPEN」と書かれているはずだった。けれど、気がつくと「LOST」という文字に変わっている。
彼女はカフェオレをひと口飲み、少し考え込むような表情をした。
「それ、単に酔ってるだけじゃないの?」
「いや、本当だ。夜になると、この街は少しずつ別の場所になる気がするんだ」
彼女はため息をついた。
「で、その“別の場所”って、どんな感じなの?」
「たとえば――」
私は言葉を探す。けれど、それを正確に説明するのは難しい。ただ、夜の東京には、昼間の東京にはない奇妙な歪みがある。ビルの影が急に揺れたり、すれ違う人の顔が知らない誰かに変わったり。
「で、何が言いたいの?」
彼女は興味なさそうに尋ねた。
「この街で迷子になるってことは、ただ道に迷うだけじゃない。自分自身を見失うってことなんだよ」
その瞬間、彼女の顔がふっと真顔になった。そして、カフェの薄暗い照明の中、彼女の瞳がまるでネオンみたいに光った。
「――それは悪いことじゃないわ」
私は一瞬、息を呑んだ。彼女の言葉には妙な説得力があった。そして気づく。彼女がここにいる理由を。
「君も――迷子なんだね」
彼女はふっと笑った。その笑顔は、どこか寂しそうだった。
「そうかもね。でも、迷子になるからこそ見つかるものもあるんじゃない?」
彼女の言葉に、私は答えなかった。夜の東京の空気が、いつもより少しだけ重く感じられた。
気づくと、彼女はもうそこにはいなかった。まるで最初から存在しなかったかのように。
私は外に出る。ネオン看板には再び「OPEN」の文字が浮かび上がっていた。けれど、その下には、小さくこう書かれていた。
――「迷子歓迎」
そして私は、いつも通りの東京の夜を歩き始めた。
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