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私の論語教室 7.一杯の土。
子罕第九、第十八章、「一杯の土」を読み解きます。
【原文】
子曰、
譬如為山。
未成一簣、
止吾止也。
譬如平地。
雖覆一簣、
進吾往也。
【書き下し文】
子曰く、
譬えば山を為(つく)るが如し。
未だ成さざること一簣(いっき)なるも、
止むは吾が止むなり。
譬えば地を平らかにするが如し。
一簣を覆すと雖も、
進むは吾が往くなり。
【現代語訳】
孔子がある時おっしゃった。
たとえば山を築くようなものだよ。
あと一杯の土で完成するにしても、
そこで止めたなら止めたのは私だ。
たとえば地面をならすようなものだよ。
たった一杯の土を掘り起こしただけでも、
その事業を始めたのは他ならぬ私だ。
※
今回採り上げるのは、孔子が一杯の土に託して、何かを語ろうとした言葉です。これは何の比喩なのでしょうか?中国最大の論語学者である、朱憙(12世紀)が巧みに解説しているので、はじめに紹介します。
【朱憙による注釈】
「簣」は土の籠である。『書経』に言う、「山を九仭(※)も作っても、わずか一簣でも足りなければ無意味になる」。孔子の言はここから出たのであろう。この語の意味はこうである。山を作っても、ただ一もっこ分不足している場合でも、それを止めたのは、自分が止めたのである。地を平らにしようとして一もっこ分を地面にあけた場合でも、それを進めたのは自分が進めたのである。学ぶ者が努力してやめなければ、少ないものを積み上げて多いものを作り上げられる。中途でやめてしまえば、今までの成果がみな無意味になる。やめたり進めたりは、みな自分の問題であって、他人の問題ではない。
(※)仭は高さや深さの単位で、九仭は二メートル程度
(朱熹「論語集注3」東洋文庫、2014年、71頁)
朱憙の主張のポイントは次の三点からなります。
一.書経からの引用であること
二.学問を継続し完成する事の重要性について語った比喩であること
三.自ら始めた事業の成果と責任は他ならぬ自分にあると強調していること
優れた要約です。この言葉から香ってくる思想を、余すところなく捕まえていると言って良いでしょう。日本を代表する論語学者である伊藤仁斎(18世紀)も、この解釈にはケチの付けようがないと思ったからか、特にコメントを残していません。
仁斎のひと世代下になる荻生徂徠も、あまり上手くないコメントを残すのみです。しかし、上手い上手くないはさておき、黙殺した仁斎と違ってコメントを残しました。せっかくだから拾ってみましょう。
【徂徠による注釈】
本書は、『書経』周書・旅獒の文を解釈した語である。孔子にはこのような語があったし、また自分の考えを言う時も、古語を引用することが多かった。
(同書、73頁)
徂徠にしては珍しい、この「上手くなさ」が面白い。ここでの徂徠は、朱憙の過不足ない解説に欠けているものを言おうとして、もがいているように見えてなりません。
徂徠の指摘は、孔子の言葉は書経の言葉の引用であるという、ある意味では、朱憙の指摘の反復に過ぎません。ですが、徂徠が孔子について、「自分の考えを言う時も、古語を引用することが多かった」と語る時、徂徠は朱憙の解説の根本的な欠陥に気付いていたと、思えてならないのです。上手く言葉になっていませんが。
それは端的に言えば、孔子がわざわざ比喩を用いて己の思想を表明した、その動機を、朱憙が充分に配慮していないことです。そもそも朱憙の解説は、孔子の言葉の解説というよりかは、その元となった書経の言葉の解説といったほうが妥当です。試しに今、インターネットで「一簣」と調べると、次のような記事に出くわします。
『一簣之功』
仕事を完遂する間際の、最後のひと踏ん張りのこと。
または、仕事を完成させるために積み重ねる一つ一つの努力と、その大切さのこと。
「簣」は、土を入れて運ぶ道具。もっこ。
「一簣」は、もっこ一杯の土のこと。
「九仞(きゅうじん)の功を一簣(いっき)に虧(か)く」による。
九仞の高さの山を作るにも、最後のもっこ一杯の土を盛らずに止めてしまえば山は完成しないとの意から。
(出典:四字熟語辞典オンライン)
この記事を見て明らかなように、書経の言葉は四字熟語(イディオム)なのです。イディオムとして定着した言葉は、固定された意味しか持ち得ません。朱憙の解説は、基本的にこのイディオムの固定的な意味をなぞっただけのものです。
むろん、このイディオムを、孔子が学問の比喩として用いたこと。これは朱憙による独創です。しかし、「どうして学問の継続と完成の重要性を言うのに、土木建築の比喩を用いなければならなかったのか」という視点が、朱憙の文章には決定的に欠けています。
徂徠の言うとおり、孔子は「自分の考えを言う」ために、「古語を引用して」いるのであり、古語の意味それ自体を伝えるために引用しているのではありません。さらに言えば、自分の考えを言うことだけが目的ならば、自分の言葉で語るのが最も適切な方法であり、(権威付けなどの卑しい理由を除いて)古語を引用する動機は乏しいと言わざるを得ません。
なぜ、孔子は、学問の継続と完成の重要性を言うのに、わざわざ土木建築の比喩に託したのでしょうか?素直に、こう言えばよかったはずなのです。学問は継続し完成させることが肝心だよ、途中で放り出した責任を負うのは自分自身だよ、と。
ここで、別の視点を導入して、解決を図りたいと思います。論語は孔子の言葉を集めた書物で、政治、哲学、社会論、行儀作法、世間話、実に様々な話題が語られますが、自然についてはほとんど言及がない、という事実があります。この「一杯の土」は、わずかしかない自然について語った言葉のひとつです。
孔子の関心は、いつだって「人事」に集中しています。人間とその社会、それが孔子の唯一の関心事です。「一杯の土」にしても、学問の継続と完成についての比喩として自然を持ち出しているのですから、結局は人事を語っているのですが、わざわざ、自然あるいは土木建築の比喩で、それを語った意味は、よく考えてみる必要があります。
比喩という表現行為は、異なる物同士の隔たりをジャンプする技術です。異なる物をあえて同じ列に並べようとする行為は、隔たりを意識しつつ、それを解消しようとする動機を抜きにしてあり得ません。山を築いたり地面をならしたりすることと、学問を継続したり完成したりすることとの間には、どのような隔たりがあるのでしょうか?
思うに、土木建築の事業と学問の事業の隔たり、決定的な違いは、その成果が見えるか見えないかの違いでしょう。山があと一杯分の土を残したまま未完成にとどまる姿は、山を築いた本人でなくても、「これはまだ完成していないみたいだ」と分かります。一杯分の土でも地面を掘り起こした姿を見れば、「誰かが地面をならす事業に着手したのだな」と、誰の目にも明らかです。
学問にはそれがない。学問は原則的に己との対話だからです。その成果は他人が見てすぐ分かるものではないし、完成したかどうかを判断するのは究極的に己ひとりです。目に見えるか見えないか。学問が土木建築と根本的に異なるのは、この点においてです。
孔子はそこに、この古語を比喩として用いる動機を得た。弟子たちよ、学問は孤独な営みだ。目に見える成果もなく、完成を判断してくれる人もいない。だが、土木建築に完成があるように、学問にも完成があるのだ。他人が評価できないからといって、そのことに甘えてはならぬ。自らを律して奮起して、継続して完成させなければならないのだ、と。
孔子が珍しく自然の比喩を持ち出したからには、今述べたような理由があったはずです。そうでなければ素直に学問のことを語ったでしょう。比喩を用いることによって孔子は、成果が目に見えない学問の事業と、目に見える他の事業との隔たりを解消します。そうして孔子は、私たち弟子に学問の継続をすすめ、励まそうとしたのです。
「学問にも完成がある」ということが、現代では見えづらくなってしまいました。現代人は、「現象の法則を発見することが学問である」と思いなすことに慣れているためです。現象の法則を発見したかに見えても、ひとたび反証されてしまえば、それを含むさらに包括的な法則性を追求しなければならず、その営みに終わり(完成)はありません。
これは近代科学の誕生と共に始まった、比較的新しい思考習慣です。その果実である生活技術の進歩から、私たちが得ている利益は図りしれませんが、思考習慣の変更により失ったものの大きさについて、時おり立ち止まって考えてみたって良いと思います。
「学問にも完成がある」という主張は、なるほど、学問の完成と人格の完成が同一視されていた時代の、古い考え方かもしれません。ですが、この古い考え方が忘れ去られ、法則性の探求に明け暮れているうちに、学問は私たちの精神の支えたり得ないものへと、変貌してしまったのではないでしょうか?
孔子が一杯の土に託して伝えようとしたことは、私たちの生を充実するに足りる、活きた学問のすすめでした。
終