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私の論語教室 8.孔子は〈服〉をどう着たか。
郷党第十、第六章、「孔子は服をどう着たか」を読み解きます。
【原文】
君子不以紺緅飾。
紅紫不以爲褻服。
當暑袗絺綌、必表而出之。
緇衣羔裘、素衣麑裘、黃衣狐裘。
褻裘長、短右袂。
狐貉之厚以居。
去喪無所不佩。
非帷裳必殺之。
羔裘玄冠不以弔。
吉月必朝服而朝。
斉必有明衣、布。(※)
必有寢衣、長一身有半。
(※)本来次章だが校正して本章に含める。
【書き下し文】
君子は紺緅(かんしゅう)を以て飾らず。
紅紫は以て褻服(せつふく)と為さず。
暑に当りては袗(ひとえ)の絺綌(ちげき)、
必ず表にして之を出す。
羔裘(こうきゅう)に緇衣(しい)し、
麑裘(げいきゅう)に素衣し、
狐裘(こきゅう)に黄衣す。
褻裘は長くし右の袂を短くす。
狐貉(こかく)の厚きを以て居る。
喪を去(のぞ)けば佩びざる所無し。
帷裳に非ざれば必ず之を殺ぐ。
羔裘玄冠を以て弔わず。
吉月は必ず朝服して朝す。
斉(ものいみ)には必ず明衣あり、布とす。
必ず寢衣あり、長きこと一身有半。
分かりやすさを優先して、かなり意訳気味に現代語訳する。なお、各文の末尾には「論語集注」における朱憙のコメントを添える。
【現代語訳】
紳士服の規則は以下の通り。
①襟(えり)の色について
ネイビーとピンクは避けること。
朱憙「ネイビーは物忌み、ピンクは三年の喪で使う色だから、普段着にふさわしくない」
②部屋着の色について
赤紫の服は避けること。
朱憙「赤紫だと婦人服に近くなってしまう。部屋着でもNGなら礼服は尚更だ」
③夏のトップスについて
肌着の上には必ず何かを羽織ること。
朱憙「夏場であろうとボディラインを出さないようにせよと言うのである」
④カラーリングについて
黒羊のジャケットには黒いコートを。
子鹿のジャケットには白いコートを。
狐のジャケットには黄色いコートを。
それぞれ合わせること。
朱憙「ジャケットとコートの色は近い色を合わせるべきだと言うのだ」
⑤部屋着のサイズ感について
ゆったりしたものを選び、右の袖を短くすること。
朱憙「右の袖を短くしたのは物を書くなど実用性のためである」
⑥部屋着の素材について
狐や狢(むじな)の暖かくて厚い素材を用いること。
朱憙「自宅で着る服は快適さを重視して選ぶのである」
⑦玉(ぎょく)のアクセサリーについて。
喪の時を除けば常に身につけること。
朱憙「理由もなく玉を外さないのが君子というものだ」
⑧礼服と平服の違いについて。
礼服は腰に襞ができるように作ること。
平服は襞を作らぬよう削いで縫うこと。
朱憙「礼服の寸法は決まっている。普段着は身体に合わせて裁断し縫い合わせて良い」
⑨喪の時の服装について。
ジャケットと帽子の色は黒を避けること。
朱憙「弔事には白、慶事に黒と決まっている。死の悲しみを服の色で表現するのだ」
⑩朔日(ついたち)の服装について
朔日は最もフォーマルな服を着て参内すること。
朱憙「孔子は官職を辞した後も、この習慣を続けた」
⑪物忌みの服装について
必ず物忌み用の明衣を着ること。素材は布。
朱憙「物忌みの時は、沐浴して、体が浄められたことを服装(明衣)で表現した」
⑫物忌みの寝間着について
必ず物忌み用の寝衣を着ること。長さは身長の一.五倍。
朱憙「物忌みの期間中は、敬意を示す意味で衣を解いて寝てはならないから、専用の寝衣を着て寝た」
※
さて。論語の全二十巻中、この第十巻「郷党篇」は、他の巻とは全く異質な内容を持っています。何よりも、「子曰」(しいわく)の二字がない。孔子の語録ではない。賓客の出迎え方や見送り方、食事の作法などが淡々と描写され、それが弟子から見た孔子の行動のスケッチなのか、普遍的な礼の規則なのかすら、はっきりしない。何とも不思議な巻が「郷党篇」です。
この「郷党篇」は、論語の読者が最も退屈し、最も読み飛ばしがちな箇所でしょう。私もそうでした。しかし、今回取り上げる服についての文章など、改めて見ると実に面白い。考えを改めて取り上げた次第です。
朱憙は本章を総説して「衣服之制」と言いました。衣服の制度。規則の強調、また強調。たしかに、これだけ厳しく取り締まりを受けているのを見ると、服を自由に選べている私たちは、何と窮屈な時代だろうと閉口してしまいます。現代でこれに近いものを探すとすれば、学生時代に受けた制服の強制くらいしか思い当たりません。
しかし、落とし穴はそこにあります。「私たちは服を自由に選べている」と思い込んでいるが、果たしてそうだろうか?全ての服は〈制服〉なのではないか?明文化されていないおかげで、コードが隠されたことによって、私たちは服装を選ぶ自由を持っているかのように、思わされているだけかもしれない。だとすれば、「衣服之制」によって規制されることが自明だった古代よりも、事態はさらに陰湿で深刻になっているとも言えます。
隠されたコード(服装規定)。その別名はモードです。
服を選ぶイニシアチブは、服を着る私たちではなく、モード(妖しく揺れ動く様式)にある。どんなにモードから離れようとしても、アンチ・モードという形で絡め取られて、むしろモードに深く関わることになる。そのような、誰も無関係ではいられないモードの求心力を、鮮烈な仕方で論じた本があります。鷲田清一「モードの迷宮」(ちくま学芸文庫)です。この本の議論を参考にしながら、論語の言葉を読み解きましょう。
孔子は普段着に、ネイビー、ピンク、赤紫といった色を選びませんでした。それらは冠婚葬祭用の色、婦人用の色だからというのが理由です。これは孔子が「あらゆる色は意味を帯びている」ことを知っていて、その意味を普段着にまとわせたくないと考えたからでしょう。
ここで思い出されるのは、コム・デ・ギャルソンが1982年のパリ・コレクションで打ち出した「黒の衝撃」です。それが世に出るまで、欧米社会にとって黒はフォーマル(論語の言い方なら礼的)な色でした。それを普段着の定番色として根付かせたのは川久保玲氏の功績ですが、にもかかわらず、礼的な色としての黒のポジションは微動だにしてないと言って良いと思います。黒服の流行はむしろ、黒色の持つ礼的な性格(重厚、華麗、厳粛、成熟)を普段着に流用しているのであって、黒が帯びている意味自体を変えたわけではありません。
川久保と好対照を成す孔子のカラーリングの戦略は、至ってオーソドックスかもしれませんが、「こちらで意図しない意味を帯びてしまうくらいなら、最初からその色を選ばない」というものです。一言で「保守的」(コンサバティブ)と済ませても良いのですが、意図しない意味を服にまとわせることを回避する、これは、服を選ぶイニシアチブを奪還しようとする試みです。服が帯びる意味は私(孔子)が決めるのだ、と。
黒い毛皮に黒いコート、白い毛皮に白いコート、黄色い毛皮に黄色いコート。この一見つまらないカラーリングの方程式も、色に余計な意味を持たせない戦略の一貫と捉えられます。なるほど、戦略は徹底しています。
意味を持つものは色だけではありません。ジーパンは怒れる若者、革ジャンはバイカー、ネルシャツはオタクといったように、どんなアイテムも文化的・歴史的な意味内容を引きずっています。孔子は「衣服之制」に従って玉のアクセサリーを付けて、「礼に適っている」という意味を発現させていますが、これも孔子がその意味を発現させたくて主体的に選択しているのであって、制度に強制されていると一概に言いきれません。
服が帯びる意味から自由になりたければ、玉を身に付けない選択が得策だと思われるかもしれませんが、厄介なことに、意味の反対は無意味ではなく、反対の意味に過ぎません。礼に適った服の反対は、「あえて礼から逸脱した服」という、一つの表現行為になってしまいます。第一ボタンを外したシャツや、緩ませたネクタイ、幅広なベルト、スニーカーなどを、フォーマルなスーツに合わせた時にどんな微妙な化学反応が起こり、強い意味を帯びる結果になるかを考えれば、意味からの逃走が不可能を宣告されていることは明らかです。
孔子は意図しない意味を帯びることを怖れ、意図した通りの意味を服に発現させるように努め、それをファッションの方針としたわけです。・・・何のために?服を選ぶイニシアチブをモードから奪還するために。
しかし、以上に述べたことは孔子にとって、他者の眼に曝された服にのみ当てはまり、部屋着には適用されない方針でした。孔子の部屋着の自由さは、上着の右袖を筆記に不便だからとの理由で切り落としたことに、端的に現れています。モードと無縁の、実用性のためのアシンメトリー(非対称)。部屋着すらコーディネートを意識してしまう現代人と比べれは、孔子は幸福な服選びが出来ていたようです。
現代人はどうしても、鏡像の自己と対面した時に、いたたまれなくなる感覚を覚えてしまいます。それは、鏡に映る自分を見る自分を、自分を見る他者と錯覚してしまうほどに、自己意識が肥大してしまったためです。こうなると、部屋着すらモードの「検閲」を受けざるを得なくなる。鏡に映るこいつは、何とダサい、みすぼらしい格好の人間だろう!孔子の生きた時代は、モードの病理が内的な領域に土足で入り込むほどまでは、進展していなかったとも言えるでしょう。
孔子の自己意識が現代人ほど肥大化していなかったことは、彼の〈肉〉に対する無防備にも見て取ることが出来ます。夏はティーシャツの上に何か羽織ればよし、礼服の寸法は襞(ひだ)が出来るくらいオーバーサイズで仕立てればよし。それだけで〈肉〉を回避したことに出来たのが、孔子の自己意識でした。
現代人の自己意識にとって、サイズ感の問題は、自己と身体が結んでいる危うい関係と密接していて、ただボディラインを隠せば問題を回避できるような、そんな簡単な話ではなくなっています。風に揺れる羽織りが肌着一枚以上に体型を強調し、オーバーサイズの服がその下に隠した〈肉〉への想像力を掻き立てる。あらゆる服装は着用者の意図を裏切るように仕組まれているかのように。隠蔽と暴露。正反対のベクトルが両立する地点に、ファッション、あるいはファッションを観察する眼は、据え付けられています。
・・・そろそろ結論らしき物を与えなければなりますまい。甚だ心もとないとは言え。
孔子は自分が意図した通りに服が意味を発現するように、カラーリング・アイテムの選択・サイズ感を自ら規制しました。それはモードに翻弄されないために、服を選ぶイニシアチブをモードから奪還するために選んだ戦略でした。しかし、現代人の眼からすれば、孔子のこの戦略にもまだ不充分な所が見受けられます。そもそも、自由に服を選ぶことなど、本当に可能なのでしょうか?
自己と身体の不安定な関係がある限り、モードが私たちの不安を埋めてくれるかのような優しい言葉をかけて、その呪縛を強めて行く構造から逃れる術はありません。この服はあなたの身体を隠蔽し、拘束し、変形する。あなたの第二の身体となり、あなたの不安を解消するのです、と。甘いささやき。脱出は可能なのでしょうか?
論語に答えは書かれていません。論語から始めて論語で終わるのではなく、そこから一人一人が考えてみなければいけない問題です。
鷲田清一「モードの迷宮」からの引用で、今日の話を終えます。この文章は、モード、ファッション、服を着るという行為が、なぜ常に揺らぐ不安定なものになるのか、その理由の根源を、〈肉〉と〈私〉の妖しげな関係の中に発見しています。
「各人がそれぞれ自己自身にとってもっとも遠いものである」
かつてニーチェはそのように書いたが、わたしたちがまさにそれであるからこそ、かえってそれが何なのかよく分からないものがある。そのひとつがわたしたちの身体である。私には身体があるということ、これほど明らかな事実はないとおもわれるのに、いざわたしと身体はどのような関係にあるのかと考えはじめると、たちまち謎に包まれる。
たとえば、自分の足を見つめながら、これはわたしの足だろうかと問うてみる。だれもがイエスと答えるだろう。そこで少し問いを変えて、この足はわたしだろうかと問うてみる。すこしためらったあとで、わたしたちはたぶんノーと答えるだろう。もしイエスと答えれば、ここからその足を見ているのがわたしであるはずなのに、そこにも足=私が存在することになって、わたしはこことそこ、つまり同時に異なった場所にいることになってしまうからだ。わたしは同時に異なる場所にいることはできない。だからわたしは身体「である」のではない。実際、他人がわたしの足先に向かって「きみ」と話しかけてきたら、だれしもうろたえるしかない。
そうすると、わたしの身体というときのこの「の」は、だれもがすぐおもいつくように所有関係を意味しているのだろうか。わたしは身体を「もつ」というふうに。
ところがこの考えもうまくいかないのだ。もしわたしが足をもつのだとすれば、ちょうどカバンやお金と同じで、所有物は譲渡や交換が可能なものであるから、わたしはその足をなくしてもやはりわたしであるはずだ。交通事故で足や腕を失っても、わたしがわたしでなくなるわけではない。では、下半身を全部失ったとしたらどうだろうか。それでもやはり、わたしはわたしでありつづけるだろう。では、胸から下、次に首から下と、さらに10センチ、また10センチと失なってゆけばどうだろうか・・・想像するだけでだんだんおぞましい気分になってくる。けれどもこれは単なる思考実験ではない。医療においても美容においても、身体の一部を切除して、別の物体をそこに接続したり注入したりする作業はすでに行われている。それをどんどん繰りかえしていって、最終的に自分の身体が全部別のものと入れ替わったとしたら、それでもわたしはわたしだと言いきれるだろうか。まったく別の皮膚をもったわたし、まったく別の顔をもったわたし・・・このとき、わたしは別のわたしになった(わたしはもとのわたしではない)と言ったほうが自然ではないだろうか。とすればやはり、わたしは自分の身体を交換可能なものとして所有するわけではないことになる。つまり、「わたしは身体をもつ」という最初の命題を否定しなければならないことになる。
わたしは身体であるのでもなければ、身体をもつのでもないとしたら、わたしにとって身体とはいったい何なのだろうか。このように問うてみると、わたしたちはそれに対して何の確かな答えももっていないことにあらためて気づかされるのである
(鷲田清一「モードの迷宮」ちくま学芸文庫、1996年、167-168頁)
孔子は何と答えるでしょう?礼による調教でモードを飼い慣らすでしょうか?・・・ともあれ、今日の話にスッキリした結論は出せそうにありません。衣服をめぐる思考を始める、とっかかりになれば、それで充分と思うことにいたします。
終わり