【メンバー投稿】陳情審査を経て考える、今後の政治との向き合い方①by.M.K
※こちらで述べた意見は、会としての意見ではなく、
あくまでも私個人の見解になります。
陳情審査の結果が出て、一応一区切りと言えます。
少しの前進はありましたが、決して問題は解決されていません。
この結果を受けての一人一人の感想は異なると思いますが、
私個人としては悔しいです。
全く負けず嫌いな性格ではないので、自分でもびっくりしていますが、
個人的にはこれで終わりにしたくないです。
ここで得たものを次の行動へと活かすことが重要だと感じます。
今回の陳情提出を通て、色々なことを教えていただきました。
その中の一つが、いかに行政トップの影響力が大きいかということ。
都知事しかり区長しかりです。
今回はとしまえん問題の根底にある「覚書」の検証を求めましたが、
結果として検証してもらえなかった。
それは、トップの影響力が大きいからです。
トップの方針と対峙するものは、受け入れてもらえないんです。
「覚書」の検証もしてもらえないなら、次はどうするか。
今度は、またさらに根本に戻って、
行政内、特にトップを変える必要があると思います。
都知事に関しては一時辞任説が出ましたが、結局のところ続行するご様子。
一方、区長はというと、、
なんと、来年4月に練馬区長選挙があるではありませんか。
もしここで良い結果を残せたら、かなり大きな一歩です。
私としては、何としてもこのチャンスを無駄にしたくありません。
それでは、区長選に際し、
政治はどうあるべきなのか、また市民側の私たちはどう関与すべきか、
私が考える2つのポイントを2回に渡って書きたいと思います。
まず1つ目。
私たちと政治との関係性を考えるうえで、
政治家と市民間の対話が重要だと感じます。
今回つなぐ会は、陳情を通して市民側の声を行政に届けました。
しかし、行政側は結果としてその声に耳を傾けてくれなかった。
これは今の政治の在り方をよく表しているように感じます。
少し話が逸れますが、
私は若い女性として生きづらさを抱えながらこの社会で生活している、と
前回の記事で述べました。
実は、こう感じているのは私だけではなく、
他のある若い女性の方も、この社会で生活すればするほど、
"生きていてごめんなさい"という気持ちになる、とおっしゃっていました。
この気持ち、想像できますか?
何がこの生きづらさを生み出しているか、分かりますか?
それは、社会のあらゆるシステムが男性仕様になっていることが原因です。
男性が活躍できる環境は整っているので、
男性はどんどん出世し、組織に残る人が多い。
一方で、男性仕様のシステムに合わせられない女性は
本人の意思に関わらず、続けられずに去るしかない。
そうなると、残るのは男性と入ったばかりの若い女性。
若い女性は圧倒的に少数派となり、性別・年齢のどちらにおいても弱い立場とならざるを得ません。
その結果、実際の私の体験談ではありますが、
「若い女性というだけで、ただでさえ近寄り難いのだから、せめて目上の男性には失礼がないように」とはっきりと男性上司に言われてしまう始末です。
これが令和の時代の現状です。
決して男性側を責めたいわけではなく、
社会構造の問題だということを言いたいのです。
さて、区長選に話を戻します。
来年4月は練馬区政の流れを変える大きなチャンスです。
しかし、ここで気を付けておきたいのが、
トップを変えることだけを目的化してしまわないこと。
トップを変えることは重要だけど、
果たしてその候補者は、立場の異なる人、特に女性や若者や子供の気持ちが想像できるか。
対話しようとする姿勢があるか。
その姿勢を持っているかどうかが大切で、
年齢や性別は関係ありません。
また、その姿勢は政治家だけでなく、
もちろん市民側も持つことが重要です。
職業、肩書、性別、年齢。
それらの違いによって存在価値が変わることはありません。
立場の違う人の苦しみや痛みに思いを寄せることで、
より良い社会を作れます。
そして、結果として、
自分自身にとっても生きやすい環境を手に入れることができるのです。
政治家と市民。
立場は大きく異なります。
しかし、極力垣根をなくして対話することができたら、
としまえん問題も、ジェンダーの問題も、
そして皆さんが抱えている一つ一つの悩みも、
改善へと向かっていくでしょう。
(②に続く)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?