江戸時代から残る池袋の道(西の野道)
今回は池袋村図でいちばん西側に野道と描かれている道筋についてです。
◆Aは中丸道(坂下通り~常盤通り)と大明小(みらい館大明)への分岐点
◆Bは池袋村絵図では特徴的に描かれている部分ですね。
池袋三丁目公園辺り→ ルーテル教会→洞雲寺、光文社の東を抜けて南下し乱歩邸方面へ。
◆Cは立教通りから江戸川乱歩邸への入口。
特徴的に描かれている「B」がとても気になります。
何か障害物となるようなものがあったのでしょうか?
地形としては谷端川との高低差がある部分なので単純に歩きやすい道筋を辿った結果かも知れません。
〇明治42年の地図では対象エリアの西側に「独立樹(針葉樹)」記号が記されています。一本松でも立っていたのでしょうか?
〇大正5年では「点線〇に中心に点」明治地図の凡例では「堆土」となっています。
〇大正10年には「神社」の記号が・・・「西巣鴨町事情明細図」も同様に「神社」となっています。
村絵図には「庚申」や「地蔵」と細かい目印も描かれておりますので、何も描かれていないということは当時は何もなかった。
ということなのでしょう・・・
「遊歴雑記」に書かれている「加味の天神」についても気になっています。「上」という字名がB地点西側に存在していました。
誤記かもしれませんが大正5年の地図にはB地点の南東に「神社」記号がみえます。なんでしょう?
※地図引用元
◆豊島区史 地図編(上)池袋村図 P18
https://adeac.jp/toshima-history/top/topg/06kikankushi/index.html
◆国土地理院
http://maps.gsi.go.jp/