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江戸時代から残る池袋の道(常盤通り)
常盤通り(トキワ通り)も江戸期から残る道筋のひとつです。
椎名町(目白5天祖神社)~長崎神社~地蔵堂~えびす通り~高松~坂下通り~常盤通り~六つ又・・・と、古くから続く道筋だったようです。
池袋村図をみていて気になるのは「常盤通りの凸凹」の部分ですね。
どの辺りなのか気になります。
「ロサ会館」の近くのようなのですが・・・・
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いつ頃直線になったのか?明治、大正期の地図を一寸調べてみました。
◆明治42年測図では江戸期のまま凸凹が残っています。
◆大正5年地図ではまだ直線でつながっていない。
◆大正10年地図で直線でつながっています。区画整理があったようです。
調べていてヒントになるものを見つけました。
「豊島区町会連合会」のWEBに掲載されている町会地図です。
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町会名は昔の字名を今に残していたりします。
「池袋二丁目原町会」と「西池袋一丁目町会」の境界が「常盤通りの凸凹」の痕跡ではないかと考えています。
もちろん区画整理や道路の拡幅で当時とまったく同じではないですが。
それにしても直線で道筋が出来ても良い気もします。村境でもないですし。昔は迂回しなければならない土地割りだったんでしょうね。
何かあったのでしょうか?
そして凸凹から南に下りる道は・・・ロマンス通り?エビス通り?西一番街中央通りか・・・?それはまたの機会で。
他にもちょっとした気付きがありましたので引き続き記事にしたいと思います。(専門家の方々には当たり前の話かも知れません。)
※地図引用元
◆豊島区史 地図編(上)池袋村図 P18
https://adeac.jp/toshima-history/top/topg/06kikankushi/index.html
◆豊島区町会連合会
https://toshimaku-choren.com/
https://i0.wp.com/toshimaku-choren.com/wp-content/uploads/2017/02/26d65ad3d3383d753f34c533eafc5552.jpg