江戸時代から残る池袋の道(長崎道・鼠山道)
江戸時代、さらに以前から?現在まで続く道筋としては「平和通り」が真っ先に浮かびます。その他の江戸期から残る道について「池袋村図」から推測してみたいと思います。
◆Aは霜田橋
◆AからBへの道筋は立教通り。
◆Bは西池袋3丁目30-1辺り。
現在では微妙にズレた十字路になってます。
豊島師範の影響なのか?区画整理の影響か?
◆AとBの中間に橋が描かれています。「豊島税務署入口」信号辺りかリビエラ東京前の信号辺りと思われます。
◆BとCの間の橋は西池袋公園の東「豊島区医師会」の辺りでは。
◆B⇒C⇒鼠山道の道筋は西池袋公園の間を抜けて池三小への道筋。
鼠山道の辺りは現在に比べて少し南側を通っていたようです。大正期の区画整理で現在の道になったと思われます。
その先のカクカクした道筋は「西武池袋線・池袋6号踏切」辺りを通って目白4-35方向へ抜けている道筋だったと推測します。鼠山の北側に繋がる道筋たったのかも知れません。
※迅速測図と明治42年測図から推測。
豊島区の資料で霜田橋と立教通りについて書かれているものがあったと思うんですが・・・見つからない。
まぁその為にメモとしてこのブログを始めた理由でもあるんですが。
見つけたら更新致します。
この「池袋村図」は年代不詳なんですよね。
少なくとも「四面塔」が建てられた後のことになります。
ざっくりでももう少し年代を絞ることが出来るヒントはないでしょうか。
※豊島区史より
享保6年9月 1721/9 池袋村64人講中、四面塔を建立する
※地図引用元
◆豊島区史 地図編(上)池袋村図 P19
https://adeac.jp/toshima-history/top/topg/06kikankushi/index.html
◆国土地理院
http://maps.gsi.go.jp/
※参考資料
◆豊島区立郷土資料館だより「かたりべ」66
江戸時代の道、みつかりましたか?
https://www.city.toshima.lg.jp/129/bunka/bunka/shiryokan/kankobutu/kataribe/index.html