見出し画像

池袋・1970年代子供達の情報網と異文化

以前の記事触れたのですが、スーパーカーブームの時「あそこにフェラーリが!ランボルギーニが!」というローカルな情報をどこから仕入れていたのか?思い出したことを書きたいと思います。

最初の情報源は小学校の級友、自分の家族だと思います。
その彼等はどこから情報を仕入れていたのでしょう?
私の地域ですと商店の子が多かったこともあり、商店街での買い物ついでに親同士が話を仕入れてくるというパターンが多かったと思います。
そして親から子へ伝わり・・・現代でもそこは変らないでしょう。

子供達の情報伝達の場所としては学校以外では「学習塾」「習い事」「少年野球チーム」が考えられます。
ここで他校との接点が出来て外の情報が入って来る。
といったところでしょうか。

少年野球チームは基本小学校単位が多いと思いますが、私のチームは2つの小学校が混在していました。
小学校が違えばカルチャーも異なったりするのですが、池袋西口のバス通り北側は割と狭い生活圏なので「子供カルチャー」はほぼ共通していたと思います。なので情報源もあまり変わらず。

「あそこのスーパーに電線マン来るらしいぞ!」
「東武の屋上にミル・マスカラス来るってよ!」
「あそこの家にランボルギーニあるぜ!」
駄菓子屋の店先や公園で話していると、その話に聴き耳を立てていた知らない子が友達に話す、さらにその友達に・・・まぁこんなところでしょう。

長続きしなかったのですが学習塾に通っていた時期がありました。
塾ではさらに広範囲の小学生達と交流することになり、そこから異文化を知ったりしました。
※子供の頃は大通りを挟んで向こう側、駅を挟んで向こう側は大げさに言えば外国・異文化でした(笑)
前回書きましたが「ジャンケン」作法が同じ豊島区内でも違ったりします。

当時の塾は個人が自宅の広間を開放して教えているような感じでした。
そこに色々な小学校から違う学年の子供が集まっていました。
(今思えば公文だったかな?)
今でも不思議なのですが、そこの上級生に「こっくりさん」のようなもので自宅の電話番号を当てられたことがありました。
上手く誘導されていたのか?持ち物の個人情報を盗み見されたのか?
※名前以外の個人情報が書かれているようなものは持ち歩いてない。
※誘導されてたとしたら私が単純なのか相手のテクが凄いのか?

どうして解ったのだ?とかなり詰め寄りましたが教えてくれませんでした。
そんな体験やそこで聞いた話を当然持ち帰って友達に話すわけですね。
こんなことが子供達個々に起こって広がって行くのだろうなぁ・・・

その他の異文化情報源は「転校生」ですかね。
方言だったり用語が違ったり。

また、夏休みにお盆に帰省した時に会う「従兄弟・従姉妹」から得る異文化情報にカルチャーショックを受けることもありました。
テレビは1週間遅れで番組が流れていたり、放送されていない番組があったり。共通する話題は「漫画」が多かったでしょうか。当時でも3日遅れくらいで入荷していたようなので話は通じます。

話が通じると言えばお盆の時期ですから「都市伝説」の類が従兄弟同士で盛り上がります。学校の怪談系の話しが多かったですね。
先日記事にしましたが、1970年代当時はテレビ番組は心霊系多かったですし、漫画は「つのだじろう」「楳図かずお」が流行ってましたのでオカルト話は全国共通の話題だったかもしれません。

「口裂け女」伝説もマスコミが取り上げるまではこうやって口伝で広がったのかも知れませんね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?