続・1971年の池袋空撮(西口バス通り編)
前回の記事の続きです。
記憶を辿って「1970年~1975年」を中心に「西口バス通り」駅前から要町辺りまで思い出したことを殴り書きしてみたいと思います。
曖昧な部分もありますので多少年代がズレている可能性がありますがご了承ください。
当時の住宅地図を見れば答え合わせも出来ますが屋号は書いてあっても「商売」までは書いて無かったりしますので・・・
◆駅前~二又交番辺りまで。
・バス停は今とほぼかわらず。公園側とビックカメラ前(当時丸井)から。北口のウィロード向いあたりにもバス停があったような。
・ビックカメラは元「丸井」。新館がオープンするとヤング館に。その後にスポーツ館だった?(70年代後半かな)
・取り壊された丸井(新館)は建つまでは塀に囲まれてた記憶。
・芳林堂ビルは建って間もない。
・バス通りの北側は「岸野履物店」辺りから「丸十パン」までアーケードだった。
・丸井新館の通り挟んで北側ドコモショップ東隣に長嶋が通ったといわれる「とんかつ屋」(今ホテル)
・その先西側「文具屋」と「お茶屋」は当時から。
・二又交番のバス通り北側に「クロサワ楽器」(70年代後半か?)
・立教通りを経由するバス系統があった。(もしかして中野行は立教通り経由だったか?要町方面に環6を右折する系統もありました。)
・「およげ!たいやきくん」ブームの頃にはクロサワの東隣くらいに「たい焼き屋」がオープンした記憶。
・ケーキの「キクヤ」は当時から。
・二又交番超えた先にビルになる前の「八勝堂」隣は「電気屋」だったような?
・大木眼科入口に「八百屋」「丸十パン」その向かい横断歩道南側「熱帯魚屋」たしか太公望。2階は「お好焼き屋」(お好み焼きはもっと後だったか?)
・道路が広いのはここまで。片側1車線で狭くなる。
◆二又交番の先~要町辺りまで。
・歩道は真四角のコンクリブロック。カタカタするとこをわざと踏んで歩いた。雨上がりに雨水がぶしゃ~と飛び出ることも。
・街路樹は「柳」。飛び跳ねて枝にぶら下がったり。(光文社の前は確実に柳でした。)
・電話ボックスは肌色で丸い穴の取っ手。(これも光文社の前あたり)
・八百屋のちょい先に床屋。その先に区長の「高野書店」
・今もある「一二三薬局」の先に「金魚屋」が。何故か雑誌が売ってました。「テレビマガジン」を初めて買いました。
・薬局の南側に「長屋」が密集。ミニストップのところ。
・通り北側。デイリーヤマザキは「カンダカバン」。
・通り南側。串カツ田中辺りに「瀬戸物屋」。「帰ってきたウルトラマン」の茶碗と箸を買ってもらった。
・通り北側。写真の中垣さん当時から。
・その筋向いに「八千代信用金庫」。その西隣は「ガソリンスタンド」。
・通り北側「升新酒屋」は当時から。サントリーエード(ジュース)を買った記憶。
・東都自動車ビルは建ったか建たないかくらい。矢部病院はすでにマンションに。光文社ビルは75年くらい。
・矢部病院を過ぎて、光文社ビルの手前に「明治牛乳」「写真店」
・その向かい南側に「古書店」「小鳥屋」「雑貨屋」色々と。
・南側路地を入るとスーパー「キンカ堂」
・光文社向い南は「ハナシン」これも光文社と同じくらいの時期だったか?
・祥雲寺の門前西側に「酒屋」
・バス通り拡張前は祥雲寺の墓地は通りに面しておらず商店が並んでワンクッションありました。
・祥雲寺を過ぎて通り北側マンションの手前に「古書店」
・長崎橋手前、横断歩道の南側に和菓子「伊勢屋」「池袋薬品」
・祥雲寺坂北側はふとん屋、旅館、不動産屋、パチンコ店など間口は一間程の店が密集。
・南側はごちゃごちゃで記憶になし。食堂とかあったかも。
・要町交差点かど、北側に本屋「豊島文庫」お世話になりました。
・後年南側にマンションが建ち1階に「書林書店」その後「ブックス武蔵」
・有楽町線は未開通で要町駅はありません。
こんなところでしょうか。また思い出したら続きを。