これ、うちの味じゃん

食に関する美味しさは人それぞれで
その人がホントに美味しいと思えることが
大事なんだとつくづく感じる
そして、
その感覚は日々の生活から培われ、育まれる
だから意外と家ご飯って重要なんだよね

昨日は
私が美味しいと思える『きゅうりのきゅーちゃん』を作ることができた
罪悪感を抱く程の暇さを払拭するために調理した『時間潰しきゅーちゃん』だ

漬ける系の食べ物の美味しさは、翌朝わかる
今日のきゅーちゃんは、私が美味しいと思える味に仕上がっていた
知り合いが作ったきゅーちゃんが美味しくて、レシピを送ってもらい調理してみたんだけど..
出来上がりはどういう訳か味が違うんだよね
作る人や使う調味料が違うから当たり前か

今朝食べたときに感じた
あ、うちの味だ
この感覚がいい、好き

お皿にちょろっと出しておくと
家族が次々に味見していく
「朝からきゅーちゃん、うん、美味しい」
もう一口食べて
「あれ?これってもらったやつ?」
ちょっと首をかしげ、もぐもぐしながら
「このきゅーちゃん、うちの味じゃん」
と、こんな風になる
パパは無言だけど、ムスメ2人はこういう反応

正解です
このきゅーちゃんは我が家の味です
ムスメ達のカラダには反復して染み付いている味があるのよね
こうしてカラダが無意識に覚えていく

何気ない関わりから育つものは
怖いくらいたくさんある
日々を甘く見ちゃダメだなとムスメを通して理解する

三つ子の魂なんとかっていうことわざ、
あれは正しいと思えたきゅーちゃん作りでした

押忍