見出し画像

大変な人々。大人は手間がかかる

仲の良い友人が話を聞いて欲しいと言う。
私よりはうんと若いけれど、いい年齢をした男性だ。 

またか…
正直そう思う。
度々話を聞いて欲しい人なのだ。

美味しいコーヒーを飲みながら、うんうんと話を聞く。
ホントにうんうんと話を聞くだけだ。
「年を取って良かったこと」の一つに、ガツガツと人の話を聞かなくなったことがある。昔はガツガツと話を聞いたが、今はそんな聞き方はしない。疲れるから。
自分が話すにしても、私に任せなさい!的な眼力で話を聞く人には絶対話したくない。

ぼんやり話を聞いていると分かってくることがある。自分のことだと情けないぐらい分からないことが、他人のことだと良く分かるのだ。
なんで他人事だと良く分かるんだろう。

それは、おそらく、他人事だからだ。

私は本人や起きた出来事と関わっていないから、ちょっと離れたところから見ている、いわゆる『外側の人』なのだ。まるでドラマか映像を見ているように、私は離れた場所からその出来事を眺めている。そうすると本人がまだ話していない、話の核心が見えてくる。

耳でうんうんと聞きながら、目でぼんやり映像を眺めていると、核にいる人の『気持ち』が伝わってくる。
あの時にきつく言われて腹が立ったとか、あの態度に傷付いたとか。出来事に関わっている人は、必死で起きた外側に対応している。だから、その時の内側の自分の気持ちには気付きにくいし、覚えていないことも多い。
私もそうだ。

その『差』がもやもやを産み出す。
事が起きたとき沸き上がった思い、
状況ゆえにその思いを素直に表現できなかった感情、
結果として残る思いと感情に折り合いがつけられなかった気持ち、
大人になってもバランスよく消化なんかできない。
今は話しながら一つ一つ思い出せばいい。
自分の大事にしたい部分が、どこでどうなったのか?

今日は話を聞き、コーヒーを飲み終わる頃に一言
「それは悲しかったね」と言った。
そしたら、彼は「違うよ」と。

少ししてから
「いや、そうかも」

「そうかも」

「うん、そうかも」だって。

大人は手間がかかる。
笑えるくらい手間がかかる。
大変な事が多い人。略して大人という。
何かのコピーで読んだ。

当たりです。