日本で起きているのは働き方改革か働かせ方改革か?
端的に言うと、働かせ方改革だと思っている。
それはなぜかという問いに答える前に、自分が思うよい働き方や環境とは何かを述べる。次の3つが実現されていればそれは良い労働環境だと思う。
1.社員側に選択肢があること
2.どの選択肢も選べるカルチャーがあること
3.やるべきことに時間を費やすことができること
1.社員側に選択肢があること
会社としては、社員側に選択肢を与えることが重要である。例えば、選択肢として時短勤務や産休・育休、在宅勤務、分断勤務等があれば、子どもが生まれて家族との時間を取りたいシチュエーションにある社員はその選択肢から柔軟に選ぶことで仕事か家族かということではなく、両方を取ることができる。
それ以外にも、
・ハードワーク、、ワーク・ライフバランス、ライフ重視
・プレイヤー、マネージャー、経営者
・ローカル、グローバル
等のいくつものジャンルとその選択肢が存在するはずだ。もちろん、会社側が選ぶものもあるだろうが、これらが用意されていることが重要。
2.どの選択肢も選べるカルチャーがあること
恐らく、選択肢が全然ない会社は少ないと思うが、だからといってそれらの選択肢が実効的に選択可能かというとそうでもないことも多いはずだ。実際、男性の育休などはまだまだ取得する人が少ない。
それが、個人の意識として取得するつもりがないのであればそれは問題ない(別の問題はあるが)。しかし、取りたいと思っていても周囲に取得している人が居ないから、過去まだ誰も取ったことある人が居ないから等の理由で躊躇する人もいるだろう。
そこに存在しているのは、選択肢とカルチャーのギャップであり、選択肢の用意だけではなく、選択肢が選択されるカルチャーを作っていかなければその選択肢は本当の意味で実装されているとは言えない。
カルチャーとして根付かせるためには、草の根的なものだけではなく、マネージャー等の幹部が積極的に選択肢を選んでメッセージを発信していくことが重要だ。例えば、Facebookのザッカーバーグは育休を取得している。これは、会社のメッセージとしてとても重要だし、彼でも取得できるのだから、取得できない人などほとんどいないはずだ。
一方で、仕組みとして強制的に根付かせる方法もある。
上記のような仕組みは良い仕組みだと思う。男女問わず一定期間休職するのは当然だから今ほど性差バイアスがかからないように仕組み側で実装している。
ただし、このような強制的な仕組みは選択肢を奪うことでもあるので、そのメリット/デメリットを検討してデザインしないと働き方改革ではなく、働かせ方改革になってしまう。
3.やるべきことに時間を費やすことができること
我々は会社や社会に”ある価値”をもたらすことによって、その対価として報酬を得ているはずだ。ところが、その”ある価値”というのが海外企業の場合ジョブ・ディスクリプションという形でかなり明記されているものの、日本企業の場合は結構曖昧で、この”ある価値”のスコープがとても広い。
日本の大企業では就職時に総合職とか一般職などと書かれていて、何をするのかも分からないまま企業に入ることが多い。総合職って何なの?と心の底から思っている。専門職の場合、専門分野がありその分野でアウトプットすることが”ある価値”であるので分かりやすいが、多くの場合ではまず”ある価値”は何か?を定義することから始める必要があるのではないだろうか。
何の本で読んだのか失念してしまったが、とある本にこんなことが書かれていた。
下請けの溶接工場を先輩社員と見学しに行った際に、「この工場が価値を生む瞬間は火花が飛ぶ瞬間だけだ」という話を聞いて自分にとって火花が飛ぶ瞬間っていつだろうと考えた。
溶接工場では、溶接、つまり火花が飛ぶ瞬間に価値を生み出していて、それ以外の仕事は最も重要な仕事ではない補助的な仕事ということだ。
それをしっかり認識することから、働き方改革や生産性向上などは始まるだろう。
もちろん、溶接工場に努めている全員が溶接工では無いので、それ以外の人は溶接工の溶接パフォーマンス向上や、溶接工のアウトプットの価値を向上させる仕事が重要になってくる。よって、間違っても溶接工に書類仕事を増やして最も価値ある仕事のパフォーマンスを下げるようなことをしてはならない。
しかし、日本では最もパフォーマンスを発揮すべき(できる)ことでは無いことにも多くの時間を取られてしまうことが往々にして散見される。それが長時間労働にも繋がっている。
よって、個々人の”火花が飛ぶ瞬間”をある程度明確にして、それ以外の仕事をどのように誰が行うのかを整理することが重要である。
では、現状の日本はこういった方向に進んでいるのだろうか?
Noだ。
なぜそう思うのか?
現状では、
働き方改革=労働(残業)時間の削減
というびっくりするくらい本質から外れたスコープになっているからだ。先日、カフェでテレワークをしていた際に、
「1ヶ月あたりの残業時間が厳しくなって(制限されてということだろう)、退社後カフェで仕事してから帰っている」
という会話が聞こえてきた。プレミアムフライデーの時も同じような人を見る機会があったが、結局労働時間を減らそうとした場合、仕事を減らすか、生産性向上に繋がる施策を打たない限りどこかで必要な時間を確保しなければならない。
会社でやっていた仕事を、カフェや自宅でやったのでは、本質的には何も変わらない。しかし、一瞬会社の記録上は残業が減ったことになるので、会社としては対策を打って一定の効果が出ましたということになるのだろう。
「弊社は20時になるとPCがシャットダウンされて、オフィスの照明も落ちるようにしているんです。」と豪語している担当者のプレゼンも東京ビッグサイトの講演で聞いたこともある。え、それが働き方改革?と違和感しか覚えなかった。
ここには、昔の日本から存在している精神至上主義が背後にあるのではないだろうか?精神力というのは何をやる上でも重要でパフォーマンスに大きな影響をもたらすことは紛れもない事実だ。
しかし、「他はそのまま、でも労働時間は減らせ」というようなものはほぼほぼ無茶な話であって、精神論で何とかしろということに他ならない。
これこそ労働時間は減らすという無茶な働かせ方改革である。
こういった現状を踏まえ、世間の働き方改革に興味が湧き、先日初めて働き方系のイベントに参加してみた。そこに来た人は意識がある人なので、日本の大多数とは違うようであったが、面白い議論が交わされていたので別noteでレポートしようと思う。
単なるテレワーク(この言葉もバズワードで目的化しつつあるので要注意)選択肢を用意しただけで下記のようなニュースになっているようではまだまだ本当の働き方改革への道のりは遠い。でも、重要な一歩なのかとも同時に思う。
皆さんの会社はどうなんでしょう?
1.社員側に選択肢があること
2.どの選択肢も選べるカルチャーがあること
3.やるべきことに時間を費やすことができること
これらはバッチリでしょうか?それとも選択肢すら無いのでしょうか?
※Photo by Pejmon Hodaee on Unsplash
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?