メモ:『地震男』の話②
東日本大震災での被災について、書こうと思う。
1日目
自分は学生で、発生時期はちょうど就職活動の模擬面接などの時期で、
午前のソレが終わり、スーツ姿を緩めながら学食で遅い昼食をとろうとしていた時だった。
慌てる周りを、冷静な自分が誘導したり、声をかけたり、割ときびきび動けたことを覚えている。
収まって研究室に戻ると、壁中の本棚から本が落ちており、先生らと学生の避難の相談となり、すぐに学生は帰宅となった。
(後日、生活を取り戻しながら、先生と学生で原状復帰の作業を必死にやったのも、今は思い出。また、余震というか、2回目に大きい地震が後日あり、せっかくの復旧が台無しになって徒労感が半端なかったことも付け加えておく。)
ワンダーフォーゲル部だったこともあり、普段からサバイバルに慣れている自分は、当時から乗っている車(中古車で買ったマーチだ)に、キャンプ道具などを詰め込んだ。
1夜目は、備蓄があったカップラーメンを、ガスボンベのコンロでお湯を沸かし、近所だった研究室の同期の友達と一緒に、自宅で暗い中ですすったのも思い出だ。(彼とは大学卒業後は連絡を取る仲ではないが、元気にやっているだろうか。
※そういえば、ライブに行くのが趣味だった自分が持っていた、サイリウム(例の光る棒)を部屋中に折ってばらまいて、明かり代わりにしたのも、ネタである。
彼と別れた後、自分は近所の小学校の体育館に避難したが、他の被災者たちがぎゅうぎゅうでスペースがなく、結局小学校のグラウンドに車を止めさせてもらい、その中で寝袋で寝たのも、思い出だ。
2日目
2日目以降は、部室に顔を出したり、研究室に顔を出したり、なじみのところを片っ端から回り、情報収集、物資調達(or配布)、ボランティア(がれき撤去や、体育館の避難者のケアなどの仕事をした)、に車か自転車で駆け回った。
特に、部活メンバはたくましく、自宅の米を、部室でひたすらに炊きまくり、体育館に避難する学生らに、おにぎりを握って回るなど、ボランティアに勤しんでくれていた。(誇らしい仲間、後輩たちである。
2夜目は、自宅の冷凍庫に保管していた冷凍肉(実家の北海道からジンギスカンの肉があったのだ)がやばくなる前に、と、部室に集まり、ランタンを焚きながら、ジンギスカンパーティーをした。
飲み水が少なくなってきていたこともあり、割とこの時はみな酒を飲みまくっていた←(本当に不謹慎である。
続く