3月5日愛犬を亡くした。いつまでも君は家族だよ。
2022年3月5日に書いた日記。
今日、愛犬を亡くした。
「朝、吐息が荒く、弱くなっていて病院に向かう途中、吐血し息を引き取った」と11時36分。父からLINEが入った。
亡。という、文字を見た瞬間、自分は悟った。
そのLINEを見て、何も感情が湧かなかった。涙も出なかった。
「嘘だと信じたい」と、思いもできなかった。
ただただ亡くなった現実を受け入れようとしている自分がいた。
とても不思議でレオンの死に自分は冷静で、父に「別れを告げたいから火葬は明日まで待ってほしい」と伝え、すぐさま関西から実家(山口県周南市)に帰省することを決め、いつもよりは早歩きで駅に向かった。
電車の座席に座り、携帯の写真フォルダを振り返った。
3ヶ月前のレオン。元気な姿が動画に写っている。
尻尾を振り回し、餌が欲しく全力なお手とおかわり。餌を我慢しながらも伏せで合図を待ち構えている。
西宮北口〜三宮行きの電車。
岡本を過ぎたあたり。
少しずつ涙が頬に落ち始めた。
だんだん辛くなり、少しずつ気持ちに余裕がなくなった。
新幹線に乗り、座席に座る。
僕は辛くなるから携帯を見ないようにした。
姫路を過ぎたあたり、窓越しに映る山々を見るとなぜか涙が止まらなくなった。
今度は僕の中に閉まっている記憶からレオンを思い出す。
リードに繋がれながらテケテケ歩くレオン、寝ているレオン。甥っ子に吠えるレオン。
色んな記憶はぶわーっと蘇り、現実を受け入れられない自分が岡山駅を過ぎ去る頃には出来上がっていた。
亡くなったこと。もう目が覚めないこと。もう戯れないこと。
全てがもうないんだと思った。
僕が14歳の時、父が僕のことを心配して、レオンを飼ってくれた。
生後3ヶ月。レオンは、怯えながらもだんだん僕に心を許し始め、一緒にたくさん遊んだ。
その時は、周りから友人がいなくなり、僕は不登校。
家にはレオンと自分。レオンは言葉を喋らないから、何も感情を隠さず遊んでいた。
本当にその時はレオンに助けられた。
それでも、ありのままではいれない自分が許せなくて両親と喧嘩。レオンがそばに来ても近づくなと当たったこと。すごく謝りたい。
だから言葉では伝えれないから反抗期が終わる頃たくさん愛情を注いだ。
それから数年後、僕は社会人になり、入社3ヶ月にうつ病になった。
すぐさま実家に帰省。
両親は自分になんて声をかけていいかわからない状況。
でもレオンだけは、違った。
そんなこと関係なく僕に向かって飛びついてくる。
両親にも救われたがレオンにもたくさん救われた、、、
最近は仕事で忙しくなり、なかなか遊んてあげていなかった。
時間ある時は助席に乗せてドライブをした。レオンは車の窓手前に掴まり外を眺めていた。
記憶に残っているのは、ベロを出し、窓から外を眺めるレオンはもういない。
そんな今までのありがとうや想いをふりかえり、満腹になる頃、徳山駅に着く。
父はどう接していいかわからない表情で小さな「おかえり」と僕に呟いた。
実家に着き、いつもより早歩きで玄関のドアを開けた。
上がり框を上がり、廊下を進み。ドアを開けると。
涙ぐむ母と眠っているレオンがいた。
僕は、涙どころか祖父が亡くなって以来の呼吸ができないくらいの涙を流した。
僕の姿を見て背中から母と父の鼻を啜る音が聞こえる。
レオンは亡くなる前。父の顔を見つめていたそう。自分が亡くなることを悟り、父に何かの想いを訴えかけるように父を見つめていたんだと。
悔しいのはその場にいてあげたかったこと。 一番の親友であり、弟のような存在。
だから言葉が出ないほど泣いた。
でも後悔はない。たくさんの愛情注いできた。
ゆういつ心残りなのは自分の奥さんや子供。僕の新しい家族を見せてあげたかった。
死を受け入れる。君はペットじゃない家族。
だからこれからも家族の一員。
君の話はお父さんになってもおじいちゃんになっても永遠するし、動画に残す。
レオン本当にありがとう。 楽しかった。
このnoteを見てくれた人に伝えたいです。
ペットだけじゃなく、今大切に思っている人がいるなら、
「ありがとう」「ごめんなさい」そんな想いを恥ずかしいと思伝えてほしい...
後からでは遅いことを実感しています。後悔は時間が経つと大きくなってきます。
だから、小さなことでも伝えていただきたいです。
後悔が減り、ありがとうが飛び交う世界をこれからも作りたいと思います。
「1人でも多くの人が後悔しない世の中に」
株式会社リゲバラ取締役
ビデオレターサービスMORIWAKI Videoインタビュアー 森脇俊樹