名古屋遠征#2~特徴ある名古屋のまちを行く~
始めに
時は流れて4月1日から4ヶ月半ー。いつの間にか春も終わり気がつけば夏の半ばとなりました今日この頃。みなさんいかがお過ごしでしょうか。
個人的には二郎系らーめんが重くなってきて、だんだん食べられなくなるという年の移ろいを感じてきました。もう年ですね。どうも、としけん代表の2年平井宏樹です。
先日やっと春休みの名古屋遠征の1日目の記事が上がりました!もう夏なですね。季節感はまるでないですが、春休みまで時を遡ってのんびりと語っていこうと思います。としけんあるあるは前回やりつくした感あるので、今回は名古屋のまちを歩いた感じを普通に書いていこうと思います。最後まで読んでいただけると幸いです。
2日目の朝
1日目の夜が明け2日目の朝ー。フェリーに23時間揺られたことによる陸酔い(?)と熱田神宮や熱田台地などをめぐる19キロのウォーキングに見舞われ、前日にみんなで食べた手羽先の幸福感に浸った次の春の日、平井は寝坊してました。(^^;)
朝みんなでモーニング食べに行こうって話をしていたのですが、集合時間に間に合わなかったので、1人でモーニングに行きました。
そんなこんなで、としけんのまちあるきがスタートしていきました。
名古屋城
まず名古屋城の正門に集合となったので各自名古屋城に向かうことに。ちょうど桜が満開になる時期で、とても綺麗でした。
正門を通過して中に入ってゆくと・・
金のしゃちほこと巨大な天守閣に威厳を感じますね、、
名古屋城の面白いポイントはもちろん熱田台地の北西端にあるってところですよね!!!(圧)
これを見ると分かる通り、濃尾平野に位置する名古屋のまちは台地によって、堀川という名古屋駅と名古屋城の間にある川を境目に標高が高くなっていることが分かります。(青色が標高が低く、黄色は標高が高い)この標高が高い地域は熱田台地と呼ばれる南北に長い標高が高い地域となっています。その高さは海抜10mほどとなっており、名古屋城の北と西には低湿地帯が広がっています。
西は大阪、徳川幕府の敵の豊臣方サイドとなっているため、西から攻めようものなら足場の悪い低湿地帯と熱田台地との高低差による崖に苦しめられる構造になっています。大阪に睨みを効かせた防御力の高い立地となっています。
ただ悲しいことに工事中で天守閣には入れませんでした。(泣)桜が満開で快晴、土曜日ということもあって名古屋城は激混み。おとなしく外観を眺めてソフトクリームを食べてました。
また名古屋のまちが堀川によって熱田港と接続されているのも大きなポイントです!!!うちの大学の某教授が、「良い町には良い川がある」的なことを言っていました。当時は鉄道も車もなく、陸上交通が貧弱だった時代なので舟運が最重要視されて来た時代。名古屋の物流を担い、発展を支えてきたのがこの堀川なんですね!このあたりのことは後で触れたいと思います!
ちなみに、日本の人口10万人以上の都市は半数以上がもとは城下町として発展したまちらしいです。この名古屋のまちは、徳川が作り上げたこの城下町がベースとなって日本3番目の都市まで登りつめたのですね。
お昼ご飯
名古屋城を出て歩いているとお腹が空いてきました…。昔の中心地本町通を通って遠回りしつつ久屋大通駅を目指し、お昼ご飯処を探すことに。この本町通、道路の幅が広く、碁盤の目状の都市の他の街路が3間(約5.4m)だったのに対し、本町通りは5間(約9m)。しかし松坂屋が移転するなどメインストリートとしての役割は別のところへ…。なんか歩いてて若干道幅が広いなぁ~って思ってたのはこんな背景があるからなんですね。
そんなこんなあって久屋大通に出ました!!!比にならんほど道幅が広い!!!
久屋大通は全国に3本しかない100m幅の道路となっており、久屋大通は幅が日本一で日本の道100選に選ばれています。(あと二つは名古屋の若宮大通と広島の平和大通)戦後復興にあたって全国で16本計画されたそうですが、復興計画の見直しからその多くが白紙となりました。しかし、名古屋は戦後復興が早かったことから実現したそう。この中央分離帯は、公園やテレビ塔が置かれ、お店が並んでいて、名古屋のメインストリートとして機能しています。
そんな久屋大通周辺で名古屋グルメを探すこと40分。矢場とんで味噌カツを食べたかったのですが、1時間待ちとかあって挫折。あんかけスパゲッティを食べることになりました!
ご飯を食べて力をつけた一行は、再び名古屋のまちを進んでいきます。
名古屋の町を歩いて
お昼ご飯をたべて再び歩き出すと、若宮通にでました!2本目の100m道路ですね!!!
上を名古屋高速東山線が走っています。この高架下ではスケボー場やテニスコートが整備されています。とても中央分離帯か??と言われると???ってなってしまいますね~。ちなみにこのときフェス?(集会?)みたいなのが行われていて、(写真参照)そーゆー人がたくさん集えるところがあっていいなぁと思いました。地域のお祭りとかマルシェとかのイベントスペースになりそう。(偏見)
途中歩いていると…見慣れない形の信号機を見つけました。
これは俗に言うUFO型信号機ですね!正式名称を懸垂型交通信号機。絶滅危惧種の信号機です!!!他サイトでUFO型信号機につい調べると厳密にUFO型信号機といえるものは宮城県にしか残ってないそうで、それも2023年中に撤去されるとのことでした。本当に絶滅しそう。名古屋のは亜種(?)っぽく、再現されたものらしい。
ちなみになんでこんな形の信号機が置かれたかっていうと、狭い路地の交通量が増えた場所に、信号機設置の要望があった際に、狭くて信号柱を立てるスペースがない交差点もあって1本で済むUFO型が置かれるようになったんだそう。
そして近くの大須商店街へ。古着屋や雑貨店、アニメショップなど幅広いジャンルの店を構えるアーケード系の商店街だった。
ここからは、先ほど触れた名古屋の発展を支えた堀川沿いを攻めてゆくことに。堀川にかかる五条橋、中橋、伝馬橋、納屋橋、日置橋、古渡橋、尾頭橋の7つの橋をまとめて堀川七橋といいます。現在は架かってない橋もありますが、どれもいい…(語彙力)
記憶だと、堀川沿いにはクルーズの乗船場や倉庫、材木店など、江戸時代の面影を残すものが一部並んでいました。川沿いを歩く道も整備されていて、橋をじっくり眺めることができました。
堀川に沿って北上していくと四間道と呼ばれる道にたどり着きました。
もともと尾張の中心地だった清州からこの名古屋に移転してきた商人町が作られて、1700年の大火で道が4間に拡張されて四間道と呼ばれました。(”間”は江戸時代の長さの単位、1間1.8m)戦時中の空襲被害が少なく、江戸時代当時の蔵や町屋の街並みが残る貴重な道です。
そんなこんなあって最後は名駅(名古屋駅)についてゴール!!いつの間にか6時になっていました。いやぁ~歩きましたね。この日もトータル20キロ歩いていました。(;^ω^)
夜ご飯と名古屋の夜景へ
まちあるきした後は各々自由にごはんを食べたりしてました。僕はみんなと味噌カツにリベンジしたのち、名古屋の夜景を見に行くことにしました。
そして名古屋スカイプロムナードへ!地上220mの屋外展望台!
余韻
てな感じで盛りだくさんな2日目が終わりました。2泊3日だとピークは2日目だよね!ってなりそうなものですが、フェリーでの移動も含むと最長で4泊5日となったこの名古屋遠征。まだまだ終わりそうにありません。
3日目(4日目)の記事は日泰寺、ジブリパークを経て仙台に帰るまでとなります。
さーて、次回のとしけんは??平井です。先日、高3のときにパスタを焦がしたことを思い出しました。父親に食わせたところ、いつもはおいしいと言ってくれるはずの父親が何も言ってくれませんでした。悲しいですね。さて次回のとしけんは
平井と町田、ジブリパークでお茶をする
怪!踊る!踊る!としけん元代表
逃してしまった春の学科のオリエンテーション
の三本です。3日目の記事もお楽しみに!!
↑大嘘です。どんな記事の内容になっているかは、公開されている記事でご確認ください!!!!
名古屋遠征#3~多様な文化に触れる~|東北大学都市・まちづくり研究会 (note.com)