読書感想文#6 「限りなく透明に近いブルー」 村上龍
日本の代表的な作家である村上龍の処女作であり、累計発行部数が芥川賞受賞作品史上で最も多いらしい「限りなく透明に近いブルー」を読んだ。
僕個人的には、数年前から読んでみたいと思っていた小説であった。
本作の特徴は、ドラッグとセックスに溺れた生活を送る若い男女の生活を、生々しい描写と不快感たっぷりの情景描写で描いている点であると思う。
発行部数が芥川賞史上1位だというのに疑問符を投げかけたくなるほど、読む人を選ぶ作品だというのが正直な感想だ笑
しかし、読者を作品の中に惹きつける魅力を感じてしまった。
まず第一に、僕自身の生きるごく一般人としての日常と、本作の登場人物の生きる日常がかけ離れすぎているからこそ作品の世界に入り込めた。
自分とは無縁すぎるからこそ、本作を通じて、追体験をすることができる。しかもファンタジーのようなフィクションの世界ではない。今この瞬間も、地球上のどこかで行われているであろう非日常を仮に体験させてくれるのである。
僕は、妙なリアリティを纏いながら、本作に惹きつけられていったのだ。
第二に、読んでいる間の、自分も悪いコトしちゃっているぜ館感を得ることができる。
僕は、ドラッグもやったことがなければ女性経験も別に多くはない人間であるが、本作を読んでいる間は、自分も本作の登場人物たちと一緒にドラッグをやって、パーティをやって、昼間は堕落して、といったことをしている気分になることができ、悪いコトしちゃっているぜという気持ちに浸ることができるのである。
僕みたいなありふれた日常に生きる人間にとっては、彼らの生活は一種の憧れでもあるわけで、読書中は「今のおれはディープだ」みたいな優越感に浸ることができるわけである笑
以上の2つを可能にしているのは、村上龍のえげつないほどの表現力に尽きると思う。
自分の生活環境とはかけ離れた情景であるはずなのに、村上龍の文章を介することによって映像が鮮明に目の前に浮かんでくる。
しかも生々しく、不快感MAXの映像が、である。
これが日本を代表する作家の実力なのかということを身をもって知ることができた。
最後に、作中を通して描かれ続ける不快な描写と、「限りなく透明に近いブルー」という言葉の持つ儚い美しさのギャップに、大きなインパクトを受けた。
村上龍の他の作品にも手を出してみたいと思うことができた一冊だった。