いま、拠って立つべき"日本の精神"武士道 書評
平安時代に誕生して明治時代まで約900年間もの間、日本に存在していた武士。
改めて900年間と言われると自分のイメージよりもはるかに長い間、武士っていたんだなと感じた。しかも結構最近まで武士っていたんだと。(明治時代は幕府滅亡により元武士となり士族に身分を変えた。)
それだけの長い時間を経て、武士が築いてきた「武士道」。それは確かに現代に生きる我々日本人のDNAに多少なりとも流れている。
正式に明文化されていない"武士道"について記述したのが、新渡戸稲造著作の『武士道』であり、その現代訳版である『いま、拠って立つべき"日本の精神 武士道"』(岬龍一郎 訳)を読んだ。
1.武士道の源泉
武士道は何もないところから生まれてきたわけではない。
仏教、神道、儒教を基にして武士道はその在り方を形成した。
仏教からは運命に逆らわず、静かに従う心を与えられた。
神道からは忠誠心、祖先への尊敬、親への孝心の教えを与えられた。
儒教からは道徳的な観念と民主的理論を与えた。
これら3つの教えから武士という存在は生まれて、武士道を築き上げていったのである。
2.武士道の7つの精神
「武士道」とは、武士が守り貫かなくてはならない「掟」のことである。
そして、「掟」を守るために生まれた以下の7つの精神が武士を武士たらしめる。
7つの精神とは、「義」「勇」「仁」「礼」「誠」「名誉」「忠義」である。
それぞれに関する簡単な解説を行う。
・「義」
人として守らなければならない道のこと。武士道において最も重要視されている精神。
・「勇」
正義に基づき、正しいと思ったことをなすこと。動揺することのない精神。
※「義」に従っていないやけくその特攻や行動は「勇」とは言わない。
・「仁」
他者を思いやる心のこと。武士の情けというフレーズの根幹。
※優しいだけでなく思いやりのある厳しさも含む。
・「礼」
泣いている人とともになき、喜ぶ人とともに喜ぶということ。
「仁」の精神が目に見える形として現れたもの。
・「誠」
誠実であること。武士の約束に証文がなく、それほど武士は言葉の重みを尊重していた。
嘘をつく行為は心の弱さの表れであり、武士として不名誉なことである。
・「名誉」
プライド。武士の羞恥心を作りあげる根幹となった精神。いい面もあれば、武士階級の乱用に繋がるなどといった悪い面も持ち合わせる。
・「忠義」
命に代えても主君に仕える忠誠心のこと。武士道においてとりわけ特色的なことは、個人よりも公を重んじる点である。
3.感想①現代においては「武士道」の精神を完全体現することはやめた方がいいかも...
武士は僕たち日本人の偉大な先祖たちで、僕たちもそのDNAを確かに受け継いでいるはずだ。
そして、一般的には武士の生き方という言葉に対するイメージは、ポジティブなものであると思う。
しかし、本書を読んでみて、手放しで武士道精神を賞賛することはできないなと感じた。
例えば、武士は死を恐れてはならない。自らの失態の責任をとるために行う切腹という文化は、時には家族全員が切腹を求められることもあった。
切腹を現代版に置き換えると、仕事においては自分が原因で仕事をリストラされるということになる。
しかし、仕事をリストラされて責任を取るのは表面的には本人だけで、家族もろとも企業から攻撃を受けることはないであろう。(多分)
そういった意味で、武士道の精神を多少過激すぎる部分があると感じた。
かなり極端な精神であるが故に、現代人の僕にはどうしてもスッと頭に入ってこない違和感を抱えて読み進めることになったのだと思う。(自分の学のなさもある。)
4.感想②知行合一の精神
完全に理解しきれない『武士道』であったが、もちろん刺激も受けた。
それは、「知行合一」の精神を持って生きるということである。
「知行合一」とは知識と行動を一致させるという意味である。
今の自分は、「知」の部分にウェイトをかけている。インプットに勤しむ方が、アウトプットしていくより遥かに楽だからだ。
頭の中では、アウトプットをしていかなくてはいけないと思っているのだが、一歩足が前に踏み出せずインプットに逃げてしまっている。
自分の得た知識を本当に自分のものとするためには、体現していくことが必要である。アウトプットによって知識が本当の意味で自分のものとなる。
「知行合一」という点に関しては、私は武士道の精神から学んでいかなくてはいけないと感じた。