vol.2 出来の悪い娘の在宅介護 【ALS(筋萎縮性側索硬化症)】
セカンドオピニオン(2016年5月)
私も付き添い大学病院の脳神経外科で診察を受ける。自覚症状が出てから1ヶ月がたったこの頃には、私たちからみても喋りにくさ、呂律の回りにくさは如実に出ていました。
「ちょっと歩いてみてください」にスタスタ歩いて見せる母。ホンマに調子悪いんかい!と思うほど、しっかりターンをきめて戻ってくる。その後も「舌を見せてください」「背中を見せてください」「ハンマーでトントンと叩いていきますね」と全身の腱反射も確認。バランス感覚、運動神経に異常はないか、ALS特有の皮膚のぴくつき、舌は痩せていないか、萎縮していないかを診察していく。
「う〜ん。はっきりした異常はないですね。少し腱反射が強いようにも思えます」と所見をいただき診察終了。詳しい検査を行うためには入院が必要になるが、全国から患者さんが集まってくる大学病院では予約は1ヶ月以上先になる。7月の入院の予約をして終了。「なんか食べよ〜」と、一緒にまわる寿司を食べて帰宅へ。「どうかこのまま症状が強くなりませんように」と祈りながら、車を運転する。
あのとき母はどんな気持ちだったんだろう。
検査入院(2016年7月)
喋りにくさや、手に力が入りにくいなどの症状はあったけど、しっかり歩いて入院病棟に行く。もともとの元気さから、歩きにくさはわかりにくく「もしかしたら、ケロッと良くなるじゃない?!」と期待もちらほらする。
2週間で行った検査は・・・
血液・尿検査、肺活量検査、嚥下造影、認知症検査、X線、針筋電図、MRI、腱反射の確認、筋肉CT、神経伝道速度検査、心電図等々、担当医の先生の他、研修医の方々に、いつも笑顔で優しくしていただいてかなり癒される。専門職の方々の支える力の凄さに頭が下がります。
とうとう診断が出る
2週間の入院検査の結果、病状説明があると言うことで、母の家の隣に住んでいる弟家族と私とで病院に行く。
「言葉が出づらい、飲み込みづらいといった症状があり、2週間、さまざまな検査を行った結果、診断は、『ALS(筋萎縮性側索硬化症)で球麻痺が中心に始まるタイプ』です」と病棟担当医、外来担当医の2名から告げられる。
ALSなんじゃないかとずっと思っていたわりには、頭に大きな石が落ちてきたような衝撃を受ける。
そして母は一言、「ALSなんですね」とやっと絞り出したような小さな声を出す。もともと強気な母のその声を聞いた瞬間に、ずっと母に支えてもらっていた私が、支える側になると覚悟が決まる。「しっかり聞いて先生の言葉を取りこぼさないようにしよう」と持っていたペンを握り直し、メモを取る。
「今、病状を聞いてショックだと思いますので、この後の話は家に戻られてから、ゆっくりご家族で話し合って決めてください。今後の選択肢として、胃ろう(食べにくくなった際に、直接胃に栄養を注入する)、呼吸器:気管切開(気道に穴を開ける)、BIPAP(鼻マスクをする人工呼吸器)、進行を緩やかにする薬などがあります。するかしないかはご本人の必要性、希望によって決めていきましょう」
お忙しい2名の先生からいただいた30分の病状説明に感謝し、終了する。そして、まだ入院中の母とみんなで大学病院内のカフェまで、ぞろぞろ・・・本当に本当にゾンビのようにぞろぞろ歩き、「どうする?これから」とか「お母さんと私で全国を周って講演会でもして儲けようか?」とか、励ますつもりが、つまらない冗談になって空回りする。
こう言う時って何て言うのが正解なんだろう。
退院
ALSであることがわかって、決定してしまったつらさもあったけど、同時に、何だかわからない真っ暗闇の中から出てきた安堵感があった。
もう何とかするしかない!
ALSでも100%、私がお母さんを幸せにしてみせる!それに、私は介護のプロだぞ!どんと来いっ!
さあ、今日もまわる寿司を食べて帰ろう。
家に帰ろう、お母さん vol.3へ