見出し画像

No.12

noteを再開して二日目。
朝が軽やかだった。
Kの態度にも、私の軽さがそのまま見える。
日記を書き、それを最初の足をのせる石にして
新しい創造のサイクルを始めたいという、
ありきたりだけど私にとってはひとつのアイデアが、
この半年間でほとんど腐りかけていた。
本音は書きたかったし、岩にも山にも登りたい。
死ぬのはまだだと思ってる。
でも最後のひと押しが、まさかの岡本太郎だったことは内緒にしておこう。私の中に岡本太郎に似た気質があるのだろうとも思う。
初めて彼の言葉に触れたのは20代の頃、
ロンドンの引っ越したばかりのフラットに
岡本太郎の文庫が(ベッドの下に)落ちていて、
日本語の本が嬉しくて一気に読んだ。
情熱に火をつけてもらった。

タロット哲学をインストールした今は、
岡本太郎もトルストイも、
たぶんキリストもブッダも、
ホドロフスキーと同じことを言ってる気がしてる。
ずっと得たいのしれなさを感じて避けていた「引き寄せの法則」もたぶん同じことを言っている。
私が自分の立場を決めかねているのには、
そういうわけもあるのだけど
岡本太郎に言わせれば、それだって
自分がどう見えるかばかりを気にしているだけ。
人生は闘いであり、
芸術とは生き方であり、結局私も熱いのだ。

昨日の紫陽花について。
店のベランダで育て始めて3年目になる。
毎年色が定まらないし青みに不満があるけれど、
マンションの下から見ても紫が見えるほどに成長し、赤いゼラニウムと並んだ時の美しさには惚れ惚れしてる。

6月の10日ごろ
Now

注文してたインクが届く。
FLOWER magazine のtoteを作ってる。
今さらもう売れないだろうけど、完成させたい。
前に買った大量のインクは使えなかった。

予約してた「タルコフスキー日記」を
経堂駅の図書館で受け取る。
想像してたより3倍くらいの大きさと厚さにビビる。
鞄にはマルグリット・デュラスの「私はなぜ書くのか」が入ってて、両方でずっしり重くてうんざり。
昨日はメイ・サートンの「夢見つつ深く植えよ」
を入れていた。
彼女たちの言葉は精神安定薬で、
数行だけでも読むと、欲しかったものを思い出せる。
欲しいものがわからない時が一番しんどい。

LUNCHEON N.16
ECHO
HEADS UP

先日の歯医者の帰り、蔦屋で買った本。
しばらく開かずにいたので無理やり開いた。
noteのために写真を撮る。(いるかな?という不安あり)速攻で懐かしい情熱を自分の内にかすかに感じ始める。
言い訳でなくて、私の観念が創る世界では、
中年が12番的な自己探究や興味の底へ潜るという行為を選択するには強い意図がいる。
でもそれだって、秒で変えることのできる観念のひとつだとすれば、今切り替えればいいのかも。
潜ることでしか辿りつけない出口の存在を信じてるなら。

HEADS UPという写真集は記念に買った。
自分の顔にいちいち許可が出せないから
ずっと出せないでいて、声も嫌いなままで、
その自我の強さをまた否定していた私の、
ページをめくるたびに起きる意識の変化を
忘れないために。面白いと思えた記念に。