No.16
“行動” についてのメモ。
「行動できていない」「やりたいことがない」と思ってる人の中には、私が行動できないのは、自己肯定感が低いからだと思い込んでる人がいて、私は最近になってそのことがよくわかる。行動できない苦しみを人生を通して経験している最中だから。
タロットが私が必要としているものを特定してくれて、問題がどこにあるのかを知ることができる投影テストだとしたら、サイコマジックは行動のためのプログラムだ。タロットをやり出してからすぐ、「行動しなければ本当の治癒には至らない」ことに気づいたホドロフスキーが生んだ行為(アクト)のセラピー。
若いころ(20代後半とか)の私は、誰もが自分のしたいことを知っていて、ただ行動するべき最高のタイミングを伺っているのだと思っていた。
だって人生は一回きりなのに、やりたいことがわからないなんてありえない。やりたいことがわかっているのに行動できないなんて謙遜の一種だと思っていた。
その感覚、若さってすごいと思うと同時に、若い頃の私が果たしてどこまで行動できてたのかは怪しいし、それは本当にやりたいことだったのかも怪しい。もしかしたら、肉体的な体力だけで、ただ文字通り動いていただけかもしれない。自分を解放しないまま、本当の快楽を感じないまま、若さと性欲だけでするセックスみたいな感じだったかもしれないのだ。
最近の私は、行動できない時の感覚を、自分の経験として、自分で選んでやっている気がする。行動してるかっこいい友達と、今日もまたなにもしていない自分を比べるときの気持ちとか、友達の評価に嫉妬したり、同業者の仲間に対して防衛の壁を作ったり、そういう複雑な感情を自分の中に見ること、感情的な苦しみを経験することは、自分を知るためのひとつの道なのだ。
だってもし人生が一回きりなら(一回きりやねん)、あらゆる経験を受け入れて、私の「意識」が常に変化し拡大していく方がいい。
“天に神を探すのをやめ、地上において神を見出すこと”
これは「16番の神の家」の最も重要なメッセージだ。これだけで魔法の言葉だと私は思う。ますます思ってる。
行き詰まりや窒息の気配を自分の中に感じるとき、たとえば今夜の私が、“天に神を探すのをやめ、地上に神を見出すこと”とは、noteを開き新規ページのタイトルにNo.16と打ちこむことだけだった。
以上。その先の展開を考えない、考えそうになったのならそれは昨日のやり方で、そこに神を見出すことはできない。今までとは違った視点を採用するかどうかだけなのだ。そこに自分を解放する鍵があり、するべき行動をする鍵があるのだとしたらなおさら。
たかがトートバックの面白くもなんともない写真をiphoneからパソコンに転送する。その時に感じる焦りの感覚(トートバックごときにこんなに時間をかけていいのか?)という心の声が聞こえたなら、私の神様はそこに隠れている。
過去の全てを悔やみそうになったら「タルコフスキー日記」を開く。本を開くことだけに集中する。それに3秒もいらないことを知る。神を見出す儀式だと思ってやる。実際に読むかどうかは考えない。少し先の、本を本当に開いた未来の自分が決めるだろうという感覚を体験してみる。私の神様は、その時にやっと少し顔を出してくる。
制度化された日常行為の中に、いつもと違う行為を。点レベルの小さなノイズでいい。そうすれば、私の神様がいる場所に直感が働くし、自分を否定する声が静かになる。
今夢中になって書いていたら、sigur ros の8という曲をかけるワークショップVinyl 8のことについてのアイデアが浮かんだ。美しい音楽を聴いた時の感動を不自然に商売にしようとしていたかもしれない。サイコマジックと関連づけていたから、モヤモヤしてたのだ。万が一チャンスがあるなら、ホドロフスキーにタロットを読んでほしい。だけどサイコマジックはどうだろう。全力で断る気がする。
理想からくる思い込みに気づいた時の、なんとも言えない恥ずかしさを受け入れると、私のままでいくことへの勇気が生まれる。私の神様が、イメージはアラレちゃんのニコちゃん大王なのだけど、またちょっと顔を出してくれる。
たかがトートに、たかがnoteに、自分を生きる力が隠れている。