No.18
ホドロフスキーのタロットは「8番の正義」が左手中指とするならば、「18番の月」は左足中指、のように一桁の数字と二桁の数字、8番と18番を同じ「8」のエネルギーとして覚えると理解が深くなる。タロットを仕事かのように、それまでのヘアメイクや花屋と同じ熱量でやると決めた頃から今までの間に、8番と18番の印象はどんどん変化していった。特に「8番の正義」は最初の頃、見るだけで少し憂鬱になるくらい「正義」という言葉に反応していたのに、今は日本人、とくに女子にとって最も必要で大事なカードだと思っている。女性にとってのお守りみたいなイメージ。その印象の変化の結果がワークショップのVinyl 8だったりIn Dreams の誕生だったりする。(まだまだ育て中だけど)
私の人生にタロットが現れた二度目の時、(一度目は国語の先生が授業中に教えてくれた中学2年生) 、「意識する」という意味での動詞ではなく、魂とか光みたいな意味での「意識」や、「宇宙の法則」というワードがホドロフスキーのオリジナルだと思っていた。それもあったからだと思う。人生初のタロット哲学に興奮した。「タロットの宇宙」という怪しい名前の分厚い本を毎日開きながら、知らない人と会い、リーディングを積み重ねていく毎日が楽しくて仕方なかった。
目の前にいる相談者さんを反射する鏡の意識でリーディングをすればするほど、自分の内面も同じように炙り出されていくのがわかった。それが無意識にしろ、無意識じゃなかったにしろ、私の被害者意識に気づく時は割とすぐにやってきた。
夢見ることを諦め、自分の人生や未来に絶望していく態度は、最も愛を乞う行為でありかつパートナーへの怒りや攻撃だったことに気づいた。気づいた時の開放感を今はほとんど思い出せない。その時のこと、書いておけばよかった。自分とやっと繋がった感じがして、生きるパワーが戻っていく大きな転機だったのに。
愛を乞うことが悪いのではないし、依存するのが悪いわけでもない。好きにすればいいし、愛を乞うなら愛を乞う、依存するならパートナーと相談し、ウキウキと依存すればいいのだ。
友達からどう思われるか、フェミニストとして正しい生き方なのかとか、考えても仕方のないことで、私がいいならいい。かわちゃんがいいならいい。もっと自信を持つべきだったのだ。あの頃の私は自分で自分の人生を諦めていただけだった。
“夜の中であらゆる硬化した形態は理性を始めとして私の光によって無化される。私の透き通った光の下、天使は天使であり、野獣は野獣であり、狂人は狂人であり、聖者は聖者である。私は万有の鏡であり、各人が私の内に自分自身を眺めることができるのだ”
「タロットの宇宙」もし月が語ったらより抜粋
“最大の服従とは自分自身になることであり、宇宙の法則を自らの精神と物質的生の中で作用させることにある”
「タロットの宇宙」8より抜粋
シルクスクリーンのインクが十分乾いたトートバックを前に、一息もつかせず写真を撮り、フォトショップで加工し、オンラインショップにあげた。
24時間も経たないうちに完売した興奮そのままの勢いで、ほとんど寝ずに発送業務をして、真夏の昼間に四回に分けて発送し終えた。
その間ずっとイヤホンからラモンズのBaby, I love youを流し続けた。私の中に一瞬の隙も与えないようにかけた負荷が、最高に気持ちよかった。一連の流れがまるで奇跡だった。今はさくさく行きたい。余計なことにエネルギーを注がないようにしたい。過去に起きた不幸の理由を求めて無気力に絶望していく段階は終わったのだから。
自分の発言や態度に潜む欺瞞や嘘に気づいていくとき、意外にもその気づきはその人自身を最も元気にさせる。夢見る力が戻ってくる。18番の受容の魔法を使いたいのなら、月夜の晩に鏡に自分を映す勇気を持つだけでいい。そして、その姿を決して裁くことなく、ただ受け入れて応援してあげること。受容の力をまずは育てるために、与えることに対して意識的になることも大切かもしれない。与えない自分をも許す行為って、最も依存しているがゆえに憎んでいた人(ほとんどが親かパートナー)を許し解放する行為でもある。