No.20
ついに知る自分の本音。それは喜びより悲しみを強く感じるかもしれないし、子供時代の幻想が消えていく恐怖もある。そして残酷な快感さえ混じっているとなるとやっぱり事件だ。
子供の頃に私が父と母に抱いていた居心地の悪さは、私の性格や性質のせいだと思い込んでいたけれど、実はそうじゃなかった説。あの父とあの母の結婚生活は、どう考えても最初から居心地が悪かったはずで、決して縮まらない二人の間の距離を見ないようにして、とにかく貧乏を脱出し、前に進むために私が生まれたのだ。
「20番の審判」の天使はラッパを吹いている。あと少しで人生が終わる瞬間のあがりの時。ゴール間近の、後悔はなく、考えつくことやるべきことは全てやったぞ、みたいな時に、遠くの空から天使が降りてくる。天使が吹くラッパの音によって初めて気づく欲望は抗えない欲望で、その欲望を叶えるために私たちは復活する。
母は激しい人だった。彼女が産んだ最初の子供だった私は、周りの大人(近所のおばちゃんや先生たち)に心配されるほど厳しくコントロールされた。母の前では自分を出せずにいたけれど、母を尊敬し愛していた。
学校でも家でもよく笑う活発な子だった。とにかく走り回っていた記憶。小学校の給食を、体の大きい男子と取り合っておかわりする唯一の女子だった。授業中は先生の質問になんでもハイハイ手をあげ過ぎて、先生が「太田はもうええわ」と言うと、みんなが笑ってくれた。笑ってくれるのが嬉しかった。野球チームを作ったり、人を集めて漫才したり、パンツを頭に被っての肝試しや、道徳の時間に一人だけ水着になり覚えたてのマジックを披露したり、雑誌を作って教室の本棚に忍ばせたり、絵の下手な女友達に声をかけて漫画家講座をやったり。家では絶対に取れないリーダーシップを、取りたくて取りたくて仕方なかったのだろう。
毎日のようにイライラしていた母は、(決して父が見てないところでだけ)私や妹をぶったが、それが後々トラウマになることはなかった。中学生になった私はやられたらやり返すことを覚えたし、時代的にも育った場所的にも、虐待や暴力を笑いに変えるだけの愛情は受け取っていた。私は母が私にしたことではなく、してくれなかったことに傷ついていたのだと思う。
私は愛についてよく考える子供だった。ドラマ「北の国から」が好きだった。在日韓国人の親戚と日本人の恋人との結婚が破談になる度に、そういう話を親から聞く度に、家族とか夫婦とか、愛とか恋とか、人間の弱さについて、子供ながらに考えて、夜の二段ベッドの上に横になり、天井を見ながら「大人になっても絶対に結婚しない」と誓って眠るような子供だった。
父は明るくて優しい人だったが、繊細で難しい人でもあった。でもそれは子供にというより母に対してだった。父は母に苦しんだし、母は父の微妙な距離感に苦しんだ。母はなにもわかっていなかった。繊細な父の個人的な世界について。子供たちには子供たちの人生と人格があることについて。
私の子供時代における心理的影響という点では、圧倒的に母が支配的だった。母はとにかくもがいていた。母の世界では母だけが常に被害者だった。母は家族の犠牲になることで、私の中に罪悪感を産み育てた。私の罪悪感はすくすく育った。
そしてつい最近、鏡に映る中年になった自分の顔にいつかの母を見つけてはギョッとするようになっていた。一瞬で嫌な気分になれるのだ。妹のしーちゃんの顔に母を見つけることもある。そのときもすごく嫌な気分になった。言わなかったけど、すごくイライラした。私たちは母に似ている。いや、顔が似てる。顔が似ているということは、少しでも気を許し、自分を表現してしまったら(自分の欲望を生きてしまったら) 母のような利己的で自己中な女になってしまう恐怖がそこに隠れている。
大人になり、傷ついた感情は体に残るとか、体は知ってる系の本を読んだとき、ほんとうだと思った。心の傷が恐怖になり、あらゆる欲求に対する抵抗になっていたのだ。
母は常にダサい。選ぶ言葉も、洋服も、髪型も、話す声も、その音量も。他のどんなお母さんよりもダサい。おそらく父も母をダサいと思って生きてきた、と私が思って生きてきた。私は、母を世界で一番の弱者だと思って生きてきたのだ。
タロットを知り、とくに20番から学んだことは、天使のラッパによって欲望の蓋が開いても、私は決して母にはならない。許すべきは自分のすべて。私のセンスを許すこと。私の利己的な性格を許すこと。私の自己中心的な考えやふるまいを許すこと。母と私を別人格として完全に切り離すこと。それができた時に母の幻想がいなくなる。ダサい母も幻想、利己的な母も幻想、すべて消え、自分の子供をぶつ若い女の子に慈悲の気持ちさえ湧いてくる。父と母の不幸な結婚さえ、私の感受性を大いに高めてくれたのだ。まるでスピリチュアル。窮屈な諦め。だけどふいに思い出して笑えてくるし、つい感謝してしまいそうになる。一生懸命に生きる姿を見せてくれてありがとう、と。
“もし訴えが神的な性質のものであれば、裁判官を自認する者は誰であれ嘘をついている。ここでは人による裁きになんら価値はない”
「タロットの宇宙」20番の審判より
FLOWER magazine のアイデアがまだ固まらない。何度ひとりで撮影してもだめだった。どこに行こうとしっくりこない。
だけどそれはそれで、ひとつの美しい経験として味わいたい。このまま枯れてしまう恐怖や不安も味わいたい。溺れることなく毎日を一生懸命に過ごしたい。
そう、コロナがくる少し前、乾癬のかゆみや全身のあざや湿疹に悩んでいたとき、私は潜在意識の中で、これ以上の人に会いたくない、なるべく静かに暮らしたいと願っていた。今思えばだけど、まさかと思うけど、思考したことが実現したのだと気づいてわくわくした結果、トート作りが “さっさと仕上げるべきくだらない仕事“ から “自分とお客さんを繋ぐ創造の行為 ”に変化していった。おもろ。
禁煙太りダイエット、プチ断食は早々に断念。やっぱり無理。すぐ外で食べる時がやってきて、今まで通り思いっきり食べてしまった。焼肉の後の、冷麺最高。
今までと違うのは翌日体重計に乗っても落ち込まず、しっかりと強い気持ちで調整した。そういう小さな踏ん張りみたいなことはできている。