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『関東無宿』(1963年・鈴木清順)Part2

 鈴木清順監督の『関東無宿』が封切られた1963(昭和38)年は、日本映画界における「任侠映画」元年、でもある。前年の1962(昭和37)年12 月に、舛田利雄監督、石原裕次郎主演の『花と竜』がそのきっかけとなった。東映の岡田茂が『花と竜』を見て、東映での任侠映画の製作を思いつき、舛田監督のもとへ移籍の打診があったという。しかし舛田は固辞し、東映は63年3月に『人生劇場 飛車角』(沢島忠)を製作。ここから、いわゆる任侠映画がスタートしたとされるが、原点は日活映画だった。日活は、7月に高橋英樹のヒットシリーズとなる『男の紋章』第一作(松尾昭典)を発表し、8月に小林旭、宍戸錠の『太平洋のかつぎ屋』(1961年)以来の共演となる『関東遊侠伝』(松尾昭典)を製作し、11月10日に『続 男の紋章』(松尾昭典)を発表。着流し姿がよく似合う、小林旭や高橋英樹の任侠路線が確立しつつあった。

 そうしたなか、次の小林旭作品として、日活が企画したのが平林たい子原作「地底の歌」のリメイク。1956(昭和31)年、石原裕次郎がデビューした年の12月に、清順監督の師匠にあたる野口博志監督が、名和宏=鶴田、裕次郎=ダイヤモンドの冬、のキャストで映画化している。当初は、他の監督がリメイクする予定だったが、野口監督が難色を示し、弟子筋の清順監督に白羽の矢が立った。脚本は前作と同じく八木保太郎。というより、清順監督は『地底の歌』の脚本を使っている。表紙だけ『関東無宿』と刷り直しているものの、中身は『地底の歌』そのまま。

 今回、清順監督から見せていただいた撮影台本には、ところどころに細かい書き込みがしてあり、そのメモ書きが、様々なアイデアの宝庫となっている。撮影台本によると基本線は『地底の歌』で、今日、清順美学の象徴とされている、賭場のある土蔵で緊張の糸がプツンと切れるシーンアパートでの小林旭と伊藤弘子の心理描写を背景のホリゾントの色の変化で表現したシーン、賭場での殺陣シーンなどが、この清順監督のアイデア・メモに記されている。

 例えば、本作のハイライトである、賭場で小林旭演じる鶴田が、テキ屋の河野弘を叩き斬るシーン。台本の上にこうメモされている。
 【前の二人を斬る。一人、襖の方によろけて、襖に倒れかかる。襖一度に倒れる。赤の中に立つ、鶴田の刺青。】

 この伝説のシーンの撮影を、小林旭はどう見ていたか?

 これは清順さんが撮りたくて撮った映画だね。ほとんど普通に撮っているんだけど、セットで障子が倒れて真っ赤になるシーンになると、凝るんだよね。照明さんと赤いセロファンを出したり、降ろしたり。「監督、何やってんの?」って聞いたら「いや、これ旭ちゃんの心情だよ」って。だけど、出来上がってシャシンを見ると「なるほどなぁ」と思ったね(アキラ自作を語る2006 小林旭爆裂アクションDVD-BOXより)。

 小林旭が演じた主人公は、前作で名和宏が演じた鶴田光雄。前作では洋装のダンディなヤクザだったが、今回は着流しスタイル。メモによるとそのキャラクターは、<義理を重んじる。張り切っても何処か歩き方も普通>とあり。またヒロイン辰子に対しては<虹を追うように追っかける>とある。前作では“つるた”と呼んでいたが本作では“かつた”と呼ばれている。おそらく“かくた”の予定が、いつしか“かつた”になったと思われる。

 小林旭の眉毛が強烈な印象だが、これは監督の指示ではなく、小林旭自らのアイデアだという。クライマックスの賭場では、より憤怒の表情に見えるように眉毛がより強調されているが、これも小林旭自身が当日、このメイクで望んだという。

 キャスト候補にも、様々な俳優の名が上がっており、特にヒロインは日活専属女優が使えずに、苦労したとは清順監督。伊藤弘子が演じた岩田辰子には、芦川いづみ、桂木洋子、青山京子、嵯峨美智子、小畑絹子、新珠三千代、浅丘ルリ子、八千草薫といった名前が列挙してあり、その性格は<お品良く憂いを含む>とある。また平田大三郎のダイヤモンドの冬の候補には、和田浩治の生も上がっていた。

 タイトルバックに流れる主題歌「関東無宿」は、レコード発売が予定されていたが、結局はオクラ入り。68年になってコロムビアから出たアルバム「小林旭マイトガイゴールデンヒット」で初レコード化。この映画のためにもう一曲、挿入歌として用意されたのが、星野哲郎作詩、市川昭介作曲の「地底の歌」。本編では歌われていないが、映画では前半、ミルクホールのシーン。びっくり鉄(野呂圭介)が花子(中原早苗)を引っ掛けるシーンのBGMとしてカラオケが使用されている。
 

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