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『渡り鳥いつまた帰る』(1960年・齋藤武市)

 1960(昭和35)年4月。小林旭は、「渡り鳥」「銀座旋風児」「流れ者」と三つのシリーズを抱え、まさに超人的なスケジュールをこなしていた。日活のドル箱スターとして、小学生から若者、全国のファンの熱い支持を受けていた。この『渡り鳥いつまた帰る』が公開されたのは4月23日。2月に公開された『海から来た流れ者』の主題歌として「ダンチョネ節」が起用され、活劇、地方ロケ、そして民謡をフィーチャーしたアキラ節が重要な要素となった。本作でも「ダンチョネ節」のB面だったこまどり姉妹との「おけさ数え唄」をフィーチャー。作詩・西沢爽、作曲・遠藤実、編曲・狛林正一のゴールデントリオによるこの曲は、民謡からカンツォーネまでなんでもこなす小林旭の歌唱力の確かさを証明している。

 この「佐渡おけさ」をフィーチャーした「おけさ数え唄」ありきで、本作の舞台が新潟県佐渡島になったと思われる。もちろん佐渡島が舞台となることは第一作『ギターを持った渡り鳥』(59年)で、死んだ女の故郷とされていることからも必然ではあったのだが。『海から来た流れ者』で唐突に使われたアキラ節がもたらした「一見ミスマッチ」の化学変化が、地方ロケのご当地性と融合しマイトガイ映画の新しい魅力を生み出したのだ。


 さらに「渡り鳥」第二作『口笛が流れる港町』で確立された無国籍映画としての虚構性。特に宍戸錠との奇妙なバディ感覚と、二人の絶妙なやり取りが、シリーズのお楽しみともなり、本作でも冒頭から二人の「言わずもがな」の関係が強調されている。


 製作当時のプレスシートによると「渡り鳥」シリーズ第四作とある。この時点で『海から来た流れ者』が「渡り鳥」第三作とカウントされているのが興味深い。プレスに寄稿した(O)氏は「日本の娯楽映画史上で、こういう日本版西部劇を生み出したということ、そしてそれが若い人たちに受けたということは、過渡的なものにせよ日活映画の功績として記憶される日が来るのではなかろうかと思う」と書いている。40数年の時を経てこうしてDVDとなっていることで、(O)氏の指摘は正しかったことになる。


 ともあれ、製作の児井英生、脚本の山崎巌、監督の齋藤武市の「渡り鳥」チームと、コロムビア・レコードのスタッフによるマイトガイ=小林旭のイメージ作りは「渡り鳥」シリーズの叙情性と虚構性という形に結実。滝伸次の超然としたヒーローぶりは、日本映画史に残るスタンダードとなった。


 「渡り鳥」シリーズの三大要素は、風光明美な地方ロケ、小林旭の唄、そしてアクション。それにヒロイン、浅丘ルリ子の慕情。ライバル宍戸錠との連帯感。といった要素がおりなすルーティーンによる良い意味での偉大なるワンパターンがファンを魅了し続けている。


 特に、シリーズを手掛けた高村倉太郎キャメラマンが捉えた風景の豊かさ。佐渡島の稜線、美しい日本海。いずれも観客の叙情を掻き立てる。ロングショットを効果的に使った高村のビジュアルは、日本の地方をファンタスティックな空間に仕立て上げ、極めて日本的な観光名所が、西部劇のモニュメントバレーのような雄大な空間に変化する。


 ファーストシーン。馬車に乗るルリ子と島津雅彦少年の前に馬で現れる渡り鳥・滝伸次。少年は初めて見るギターに「それなあに」「これかい? ギターっていうんだ」馬上の渡り鳥がスッとギターを見せる。その仕草の格好良さ。抜群の運動神経と、日活随一の演技力を備えた小林旭のキメ姿は実に美しい。本作でも悪漢たちを前に、切れの良いアクションを披露してくれる。


 悪役はシリーズに欠かす事ができない金子信雄。今回は対立するボスではなく、ヒロイン浅丘ルリ子の実家の鉱山の番頭的存在。島で唯一のキャバレーの支配人でもある。戦時中の軍の隠匿物資をめぐる男たちの欲が、クライマックスのアクションの導火線となる。


 小林旭、宍戸錠、金子信雄の三人は「渡り鳥」シリーズのイメージを作り上げ、日活アクションの象徴的な存在ともなり、後の東映映画『仁義なき戦い 完結篇』(74年・深作欣二監督)で顔を揃え、往年のファンを喜ばせた。その深作夫人でもある中原早苗もまたシリーズの常連であり、本作では滝伸次を追って佐渡島にやってくる第二ヒロインを演じている。


 ラスト。おけさ祭りの中、ヒロインの慕情を断ち切って去っていくヒーローの寂寥感は、観客の次作への期待感を高めてくれる。

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