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『大虐殺』(1960年1月30日・新東宝・小森白)

関東大震災100年ということで、『大虐殺』(1960年1月30日・新東宝・小森白)を久しぶりにスクリーン投影。今、大ヒット中の『福田村事件』でも少し触れている「亀戸事件」と、甘粕正彦による「大杉栄事件(甘粕事件)」をドラマチックに描いた(当時としては)社会派サスペンス。

1923年9月1日、浅草、大杉栄(細川俊夫)の弟子で、アナキストの古川(天知茂)が、警官の尾行を交わすように「牛めし屋」に入った途端に大地震が発生。特撮とセット崩しを効果的に多用して、惨状をヴィジュアルで再現。このモンタージュがなかなか迫力ある。新東宝映画のイメージが覆るようなモブシーン!

浅草十二階の倒壊のミニチュア。隅田川から対岸の惨状を捉えるカットなど、戦後の特撮映画でもここまでの震災描写はなかったと思う。夜になって群衆のなかから「朝鮮人が井戸に毒を投げた」の流言飛語が飛び交う。

それに乗じて、社会主義者、アナキスト、不逞鮮人(嫌な言い方だね)たちが、亀戸署に連行され、有無も言わさずに署内の中庭で銃殺される。あまりにも酷い。これが「亀戸事件」である。しかし近隣から「銃声がした」とクレームが入ったので、警察(憲兵隊)は、捕らえた人々を釈放すると騙してトラックに乗せて、荒川土手へ。

タイトルの『大虐殺』はこのシークエンスのことでもある。ここでの惨事は、清川虹子さんや、伴淳三郎さんたちが目撃したとの証言が残されている。『福田村事件』のバックボーンというか、同じ時に、東京の下町ではこうしたとんでもない状況になっていた。

さらに、このムードに乗って、共産主義者を憎悪していた東京憲兵隊分隊長・甘粕正彦(沼田曜一)は、アナキストの大杉栄、妻・伊藤野枝(宮田文子)、大杉の六歳の甥・橘宗一(島村徹)を拘束、憲兵隊本部に連行して殺害、本部裏の古井戸に遺棄。本当にとんでもない事件である。

『大虐殺』では史実に沿って、大杉栄の甥・宗一が「東京の焼け跡が見たい」というので、柏木の自宅から、大杉栄、伊藤野枝、宗一の三人が上野へ。西郷隆盛像の「尋ね人」の張り紙、震災後の混乱をロケで再現。「のどか乾いた」と露天商からラムネを買ってやる。ここまでは脚色だが、伊藤野枝が「梨を三つください」というのは史実。映画ではここで憲兵隊に連行され、上野公園下への階段を降りるショットとなる。

実際は、夕方、自宅付近で果物を購入中に、張り込みの憲兵隊に強引に連行される。つまり「果物を購入中の連行」は誰もが知っている事実だったのである。

もう、これだけで相当ヘビーだが、映画は中盤から、官憲、国家権力に対抗するには「テロしかない」と決意した古川(天知茂)の物語となる。ここからは、メロドラマというか、新東宝映画らしくなって、資金源強奪のために、仲間の村上源太郎(杉山弘太郎)たちと、大阪へ。そこで銀行員を刺殺してしまった古川が警察に追われて逃亡。その罪を正当化することができずに苦悩する。

古川の先輩で、リベラルな新聞記者・高松(御木本伸介)とその妹で、古川の恋人・京子(北沢典子)が自主を促すも、古川は応じない。さらに皮肉にも殺された銀行員の娘・加代(美舟洋子)がカフェーの女給になっていて古川は、彼女に誘われて一夜を共にしたり・・・

というわけで後半は、予定調和なのだけど、前半の震災、亀戸事件、甘粕事件の映画での再現は、いわゆる社会派映画ではなく娯楽映画的な手法で描いていて、当時の観客や大衆は、ちゃんと、こうした歴史的な事件について誰もが「知っていた」ことがわかる。

それだけでも、この映画の価値がある。

映画は事象だけでなく、テーマや描かれている内容が、その時代の人々にどう受け止められていたか、どう認識されていたかが、遅れてきた世代にもわかる。

だから、この夏の、松野官房長官の「関東大震災の朝鮮人虐殺」について「政府内において事実関係を把握する記録は見当たらない」という傲慢不遜な政府見解に「何?」となるわけである。


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佐藤利明(娯楽映画研究家・オトナの歌謡曲プロデューサー)の娯楽映画研究所
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