プロットってなんだっていう話
プロットを立てて短編を作れという話。
少し前の呑みの席で「小説の基礎体力ってどうやってつけるの」という話になって、ぼんやりと考えていたことを形にしようという試みです。これを読んでも別に小説そのものは上手くならないと思いますが、なんか解った気がする、くらいに思ってください。それっぽく言います。
短編を作るのにプロットはいらないという人は特に見なくても大丈夫です。
短編って何だよってところなんですけど、原稿用紙30~40枚未満ならもうぜんぶ短編ということで話を進めていきます。
そもそもぼくの周りだと短編書くのにいちいちプロット立てないというタイプが多いんですが、単純にその人たちが書き慣れてるだけなので、じゃあその人たちはなぜプロットを立てなくてもいけるのか、という話。
既に前述の形になってますが、書き慣れているからです。
書き慣れているから、シーンを思い浮かべるだけで終わりが見える。
このシーンなら、このお題ならこれをやれば終われると、それなりに見えてくるからです。話のオチが用意できる。漫才でいえば「もうええわ」、落語でいえば「おあとがよろしいようで」、必殺仕事人でいえば殺しのテーマが流れるようなものです。
シーンを思いついたらそこからそのシーンの終わりが見えて、そこから逆算した言動や事件が起きていくわけです(個人差はあります
じゃあ慣れてない人は、というと、シーンを思いついただけでは写真のようなものです。人物は動かないしカーテンも揺れない、コーヒーカップの中身は冷めこそせずとも湯気は微動だにせず、世界は先へと展開していかない。もしくはとめどなく起伏なく時間だけが流れてどこで終わらせていいのか解らずけれど何事もなく、ということにもなりかねません(そういったものに需要があるのも確かですが
日常というのは区切りのないものです。意図的にそうしようとしない限り物事は連続します。突飛な思いつきでさえ、空間と時間の上では連続しているのです。
日常や現実は物語や創作、映画のシーンのように区切られていないので、それをそのまま書くということは、話が終わらないという危険を含みます。
で。
じゃあプロット立てましょう、ということになります。
物語の筋です。
誰がいて、何をして、何が起きて、どうなる。
それで話の筋です。
まず話のテーマを決めて、そこがお話の土台になります。
話のテーマはココでは一応「話が終わった時に達成されているもの」ということにしておきます。本当は何でもいいです。具体的であればあるほど書きやすいですが、定型がないのでここでは明記しません。
とりあえず、
「カフェにいる二人の関係(男女等を問わず)が変化する」
というのをテーマにしましょう。
二人がいて、夜のカフェでコーヒーなんかを飲んでいて、停電があって、その暗さにまぎれてキスをして、明かりがついて笑い合う。
はい。筋ができました。
起承転結にバラすと
起 夜のカフェに友人同士の二人がいる
承 二人はコーヒーを飲んでいる
転 停電が起きて、その中でキスをする
結 二人は笑い合う
という感じでしょうか。転の段階で結に繋げるべく解決まで書いておくのがポイントになるでしょう。結は話のケリをつける部分ということで。
短編なんだからこれくらいで十分なんです。これに描写を肉付けして、少し会話をさせるだけで5ページくらいはいけるでしょう。なんならその前後にシーンを付け足して10ページにするのもいいでしょう。
関係性が変わったかどうかを匂わせるのか書くのかは書く人の自由でいいと思います。しっかりと書くのも、書かずに終わるのも書き方次第でしょう。
写真からスライドへ、スライドからコマ割りへ、コマ割りからアニメや映画のように奥行きを持たせるのを助けるのがプロットのもつ役割です。
これは今日知って明日役に立つものではありません。
人がいる風景の写真を撮って、そこから想起される物語を組み立て続けるなかで育っていくものです。訓練をして、積み重ねてようやく使えるようになる、そんな類いの技能になります。
ですが勘違いはしないでください。
プロットを立てないから偉いとか凄いとか、そんなことはないです。
より面白いものを作るため、平均値を上げるためにプロットを立てるのです。
演劇の練習のエチュードでいくら面白いものを作っても、それを再現できなければ舞台の上で披露することはできません。考え抜いて作り込まれたコントに対してエチュードの面白さを語ることはナンセンスです。
プロットなしで短編を書けるという評価軸と、短編自体の面白さという評価軸は別であり、同列に語ることはできないことなのです。
小説はどんな書き方も自由なものです。
こう書くべき、こう書かねばならない、こうしなければならないというものは存在せず、個人個人の好きな評価軸へ向けて書くものです。
ぼくは小説は娯楽であり、娯楽であるのなら面白ければいい、面白いものほどいいと思っています。笑えるものでも、興味深いものでも、楽しめるものでも、不快になるものでも、悲しくなるものでも、それを「面白い」と感じるのならそれはいいものなのです。
なので、この記事が少しでもいいものを作る一助となればいいと思っています。