記憶について

授業レポートで"記憶"について書いたものがでてきて、未来の自分はまた意見が変わるかもなと思ったのでここに残しておきます。

課題①:小説家カズオ・イシグロは「記憶」にかかわる物語を書き続けている。彼は“ 記憶” について次のような持論がある。 「記憶は死に対する 部分的な勝利なのです」。この考えを、あなたは共感できるか?できないか?を述べてください。

回答:できない。

課題②:上記の答えの理由を述べてください。

回答:イシグロさんの言う「記憶は死に対する 部分的な勝利」というのは、私にはどうもしっくりきません。 『人が死んでも、その人を想う人の記憶はその人のもとにあり続けられる。それが死にたいする慰めだ』とイシグロさんは言っています。

 しかし、その死んだ当人は、慰めどころか記憶もないし、覚えていてくれても知ることはできない 。どう考えても死んだ当人より第三者目線での勝利をうたっているからです。さらに、第三者目線だとしても、記憶というものが人の死とともに、皆のもとからもし消えてしまうとしたら、よっぽどそのほうが悲しまずにすむと思うからです。人の死後、死への苦しみが生まれる原因は記憶にあると思います。その死んだ人のひとつひとつの記憶が すぐにプラスになる人は少なく、多くの人がまず悲しみにくれます。それを慰めることができるのが記憶だとしたらそれはずいぶんな矛盾です。

以上の点からわたしは共感できません。

逆に、記憶というのは絶対的なものではないため、無意識にもすり変えていたり、覚えていたくないことは覚えていないものとして扱うこともできます。今あるものは現実ですが、記憶となってしまえば現実からずれたものを記憶することができます。もしくは無意識に現実とは違う記憶をしている可能性もあると思います。 そのようなことから「記憶は死に対する 部分的な勝利」なのではなく、「生きることや人生に対して 部分的な勝利」というならわかります。

p.s. ここまでイシグロさんの持論についてあたかも否定するような内容が続きましたが、イシグロさんの作品はすごく好きです。世の中矛盾ばかりです。

以上

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