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原因思考の罪

人は困難に直面すると、その困難を乗り越えようと必死になって努力する。

その時のアプローチ方法には、「原因思考」と「結果思考」という2つがある。

「原因思考」とは、ある問題が起こった時に、その問題が起きる原因を探って、解決することによって、結果を変えていくというアプローチ。

例えば、集客のためのチラシを撒くとする。

※集客のために、最初にチラシを撒くという発想自体が基本的にはありえないが、ここでは分かりやすくするためにあえて・・・

このチラシの反応が今一だった時に、まず「このチラシのどこがいけなかったんだろうか?」と考えるとする。

例えば
「このキャッチコピーの言い回しがいけなかったのだろうか?」
「このオファーの仕掛けがいけなかったのだろうか?」
「このコンセプトではお客に動機付けはできないのではないか?」

さらに
「そもそも今回の集客のための手段としてチラシを撒くことで良かったのだろうか?」
「この商品のターゲットはそもそも違うのではないか?」

もっと思考プロセスが進むと、「この商品を売ること自体が間違っているのではないか?」というように、何か責任転嫁しているような気にすらなってしまう。

「原因思考」のアプローチは、このように責任転嫁が起きやすくできているように思う。


「原因思考」は、部下がミスを犯した時には、さらにこの傾向が強くなる。

原因を部下に考えさせる時には、必ずといっていいほど「なぜ?」という質問をしていないだろうか。

「なぜ、こんな失敗をしたのか?」
「なぜ、もっと上手くやれなかったのか?」

こういった比較的抽象的な問いもあれば、もう少し具体的に踏み込むこともある。

「なぜ、あの時に気づかなかったのか?」
「なぜ、○○に先に頼まなかったのか?」

いずれにしても、「なぜ?」という原因思考の問いを他人に使う場合は、注意しなければならない。なぜなら、尋問のようになりがちだからだ。

尋問のようにならないための簡単な工夫がある。

それは「なぜ?」の代わりに「何が?」と置き換えてみる。

先程の問いを置き換えると、
「何が、あなたにこのような失敗をさせたのか?」
「何が、あなたを上手くさせなかったのか?」

まったく印象が変わる。

どのように変わるかというと、尋問のようにならない。
「なぜ?」の問いは、特に他人に使う場合は、人の心をえぐっているような問いとなる。
「何が」に変えると、他の何者かがあなたにそうさせているということになるので、えぐる感じではなく、自分を客観的に見ることができ、何よりも答えやすくなる。

特に原因を考えさせることが善となっているコミュニケーションは、単なる癖だ。

こんな簡単なことで印象が変わるのだから、使わない手はないだろう。


次に、そもそも「原因思考」ではなく「結果思考」のステップを踏んでみることもオススメする。

どのような思考を進めるのかというと、「うまく行くとすればどうすれば良いのか?」と問いかけることだ。

それは他人に対してでも良いし、自分に対してでも使える。

「結果思考」についての具体的なアプローチとは、次の9つの質問を投げかけるということ。

1. どのようになれば、満足な状況になるのか?

2. この満足な状況は、どのようにその変化に気づくことができるか?
  他の人はどのように気づくのか?

3. 満足な状況が10点満点だとすると、現在の状況は何点か?

4. 現在の点数になるために、どんなことが役立ったか?

5. 満足な状況と、現在の状況は、どこが違うのか?

6. このギャップを埋めるには、どんなことができるのか?

7. このことを進めるには、どのような障害があるのか?

8. 満足な状況を実現すめために、とるべき最初の一歩は?

9. 前に進んだことが分かる、最初の小さな兆しはどんなことか?


部下など他人に対して使う場合は、1つ1つの質問をじっくりと考えてもらう。どちらも、あせる必要はない。

自分に対してであれば、1つ1つの質問にじっくり向き合ってみる。

この「結果思考」から出てくる答えは、「原因思考」では得られない答えがでてくることがある。
それに「原因思考」によって一瞬で辿りついてしまう責任転嫁という醜い思考も起きにくい。

この質問は、NLPかコーチングのメソッドだったと思うが、役に立つこともあるはずだ。

ちなみに、私は18年前にNLPマスタープラクティショナーという資格を取得して、当時はかなり活用していたと思う。最近はめっきり使わなくなってきたと思っていたが、結構体に染み付いてきたのか、無意識にアレンジして使っていることがあることに最近気づいた。そこそこ使える場面があると実感している。


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