北海道滞在記 エピソード1: 世界一が誕生、小さなスキー場「かもい岳」から
昨年に引き続き、今年(2024年)の夏も、北海道歌志内市にある「管理人付き別荘:かもいホッフ」に約2週間滞在した。
場所は、北海道の中央に近い空知地方・歌志内市にある「かもい岳スキー場」の一角にある。このヨーロッパアルプス調ロッジ「かもいホッフ」を、私は勝手に「管理人付き別荘」と呼んでいるが、実際には私の別荘ではなく、友人のスキーロッジである。
このロッジ、もともとはスキー選手強化の合宿所であり、その後一時期ペンションとして営業していたが、今は営業しておらず、友人や知人だけが滞在を楽しめるロッジとなっている。
したがって食事は自炊だが、生活用品から冷蔵庫や洗濯機等すべてが揃っており、これがとても快適なのである。
何もしないで、毎日ボーっとしているようなものだが、ちょっとした滞在エピソードを綴ってみたいと思う。
■世界一を育成した小さなスキー場
窓から目の前に見える「かもい岳スキー場」は、こじんまりとした小さなスキー場である。でもこの小さなスキー場から、世界一になったスキーヤーが誕生した。
それは1984年3月、アメリカのメイン州でおこなわれたアルペンスキー世界ジュニア選手権の回転競技で優勝した、伊藤敦選手である。
そして、2008年2月にスペインのフォーミガルでおこなわれた世界ジュニア選手権の回転競技で、同スキー場出身の、石井智也選手が3位に入っている。
石井選手は2018年の平昌オリンピックにも出場し、大回転競技で30位になっている。
これらの選手に加えて、この小さなスキー場からは、全国中学、全国高校、学生選手権、国体、全日本選手権等で優勝者を約100人輩出。
さらには、ワールドカップや世界選手権などの国際大会に日本代表選手として約20人している。
そんな強豪を輩出したのは、二つの要素があると思う。
一つは何といっても、選手養成を目的とした「かもい岳スキーレーシングチーム」を主宰した斉藤博君の功績であろう。彼は日本で初めてアルペンスキー・プロコーチになった人である。
もう一つは、この「かもい岳スキー場」の存在であろう。規模は決して大きくはないが、雪の量が適度にあり、地形的に風もあまり吹かず、競技スキーのトレーニングには良い条件が揃っていたからだろう。
彼は、冬はこのスキー場をベースにし、夏はヨーロッパアルプスのヒンタートックス(オーストリー)の氷河スキー場でキャンプ合宿を行い、選手養成をしてきた。
プライベートチームでヨーロッパキャンプをしたのも彼が初めてであり、それは30年に亘って続いた。
私がこの「かもい岳スキー場」に来始めてからおよそ50年になろうとしているが、キッカケは勿論、親友である斉藤博君との接点からである。
半世紀に渡りこのスキー場を見てきたことになるが、今こうしてスキー場のゲレンデを眺めていると、いろいろなことが走馬灯のように蘇ってきた。
時の経つのは速いものだと思うと同時に、持つべきものは「良き友」だと実感している。
■気ままな自炊は楽し
この建物は広くてゆったりしている。四方の窓を開けても、周りに建物がないから、広がりを感じる。
早朝の空気は気持ちがいい。開放感に浸りながらテーブルにトーストに蜂蜜、ヨーグルト、野菜、果物を並べ、窓からの心地良いそよ風を頬で感じながら食する。
一人で食するときもあれば、一緒に滞在している木村夫妻や、共通の友達であるシンガポールの岡田さんと食すこともある。
至福の一時である。
近くの街に住む片岸さんは、かもい岳との接点が深く、よくこの「かもいホッフ」を訪れてくれる。彼は20代の若者であるが、とても博識で、思慮深く、IT関係にも詳しい。そして料理の腕もかなりのものである。生地から作ったピザを作ったり、和洋を問わず、いろいろ振舞ってくれる。
彼は酒を一切飲まないが、彼の料理に加えて、我々が地元のセイコーマートで買ったワインなどを食卓に置いて、会食を楽しむ。
場所は北海道の片田舎だが、集まった人達は国際的だから、話題は料理、スキー、世界情勢など、世界規模かつ多分野に及ぶ。
あたらめて振り返ると、全員が英語やドイツ語等、何かの外国語が出来る顔ぶれだった。
言葉は文化だから、視野も広がる楽しき一時であった。
■かもい岳雲海
近年、かもい岳は「雲海」でも有名になってきた。
山頂まで自動車道があるので、割と気軽に雲海を見に行ける。
この夏から、山頂にライブカメラが設置されたので、スマホやパソコンでも見ることが出来るが、「今日は雲海が綺麗!」と思えば、それから車で山頂を目指して、生で「かもい岳雲海」を見ることも出来る。
そんな遠望の綺麗な雲海を見ていると、心が広くなるような気がするなー
次回へ続く
次回は、エピソード2「嬉しき哉、二人の娘さん来訪」