アダムの祭壇とイブの祈り 第一部
Synopsis(あらすじ)
第一部
Prologue(プロローグ)
薄明かりの研究室で、ドラフトチャンバーに手を突っ込み培養液をシャーレに移し替えた。その試料を今度は、分析器にセットすると、遠心分離機がヒュンヒュンと唸り出し、データが出力されるのを待つ。今日1日でこのサイクルを何度行ったかわからない。
「ねぇ、知ってる? 2000年頃の世界の人口は60億人だったのが、2050年に98億人だって。」
「さっき聞いた。そして今現在、約3億人以上の人たちが日々の食事に困っている。だから早く良い結果を持って来いって事だろ?」
「そう、でもそれだけじゃない、特に最近は温暖化で各地で干魃や集中豪雨などの天災から、農作地の被害も多い。食糧危機の予測も指数関数的に増えていくんだって。私達の研究しているこの成長促進酵素で食物の成長速度やその周期が早まることまではわかってるのに持続させることができないなんて。。それさえ克服できれば、同じ農地面積で、収穫回数が何倍にも増える。そうすれば、これからの食料危機だって解決できるかも知れないって話よ。君、アイデアマンでしょ、何か閃かない?」
「こう1日に何度も同じ様な事聞いてると、ちょっとした洗脳だぜ?」
「ただ、こいつを導き出すことは、新たな元素を見つける程に難しいことだ。何も俺らが急いで革新を生み出さなくても、周辺技術が進歩して、この問題が解決出来るようになるってことだってある。。そう焦りなさんなって。」
「そんなの待ってられない。私たちが、なんとしても成し遂げるのよ!」
「まぁな、お前のように出来るって思ってなきゃ、何事も成し得ない事も確かだしな。その思いが’、可能性をまず0.5%引き上げる訳だ。あと残り99%は、日々の努力の賜物って誰かが言ってたっけ。」
「んっ? ちょっと待って、最後の0.5%は?」
「・・・つまりお望みの閃き、だな。」
「そしてこれが、お前の待ち望んでいた閃きにつながるのかどうか?」
Catherine(カタリナ)
栞は、横浜の山手にある教会に向かっていた。と言うのも友人の恵子が行方不明になって、かれこれ1週間経ったが、事件性が無いと警察には取り合ってもらえず、学校側も家出であると決めつけ、別段、動きらしい動きも無いまま、この不自然な状況を皆が自然として受け止め始めてしまうと言う現実に苛立ち、胸のロザリオをぎゅっと握りしめ、どうしたものかとかなり悩んだ上の事だった。
余談であるが、栞の家は、元々クリスチャンではなかった。彼女の母は栞が幼い頃、公園で男の子達が、蟻を潰しているのを見て、栞が何も言えず、かと言ってどうにも出来ずにその場に硬直して立ち尽くし、わぁん、わぁん!泣き続けているだけの汚れない我が子を見て、この子には、心の拠り所が必要であると考え、その次の日曜から近くのカトリック教会へ栞を連れて行くようになった。しかしその後、母は栞の入信に対し、長いこと思い悩むようになっていった。キリスト教にもこの長い人類史の中で、黒い歴史はあったからだった。
そんな時、神父が、「キリストは、最も価値の低い銅貨二枚を献金箱に入れた貧しい女性に対し、「だれよりも多くを投げ入れました」と言われました。我々の立場は、今もその教えから1ミリもブレずにおります。」
と言うのを聞いて、栞が高校に入学する際に、本人の意向を聞き、正式なクリスチャンとして、洗礼させたのだった。もちろん、1955年製造の未使用のギザ十円硬貨を2枚買い求め献金した。
心得た神父は「あなたは、誰よりも多くを献金されました。」と応じ、言い終わるや、母と一緒に高らかに笑い合った。
その横で栞は、何のことかわからず、入信の際に何か間違いをしたと勘違いし、頬を赤らめ立ち尽くしていたのだが。
そんな栞が救いを求めたのは、やはり、幼い頃から通っていた教会の小田切神父であった。神父が言うには、日本国内で地域毎に教区が設定され始めた頃から、教会内のゴタゴタや、怪しい人物の身辺調査などなど、いわゆる専属の探偵の様な組織を創設し、神父兼業として、幾つかの小教区に一人の割合で存在していたらしい。ただ相談したこの神父も依頼するのは初めてらしく、八方連絡を取ってもらい、後日、日時と場所の連絡があり、そして今、栞はその山手の教会の前に立っていた。
栞は、ゴクっと生唾を飲み込み、教会に踏み込んだ。中を見渡すと、人は誰もおらず、静寂に包まれた中、ステンドグラス越しに差し込む光とカトリック特有の宗教美が幻想的で、宗教的な道義よりも、この雰囲気が幼い頃から好きだった栞は、その場で人差し指と中指を左肩から右肩、額から胸へと十字を切り、この感動を神に感謝した。
約束の場所は、この教会の告解室との事だが、初めて赴いた場所にも関わらず、教会に行き慣れている栞にとっては、すぐに告解室が何処なのか見当がつき、真っ直ぐに進んで、扉を明けた。そこには、ちょうど人一人座れるくらいの空間に椅子があり、腰を下ろし扉を閉める。
扉を閉めるとすぐに、ちょうど顔の高さにある小扉が、シュッと横に引き開けられ隣の部屋にいる神父と向かい合った。と言っても目の細かい網編みが格子の間に挟まっており、光の入射方向が逆光になっていることもあり、向こう側のシルエットが朧げながら見えるだけであるのだが。。。
(えっ!!) 栞は、暫し絶句した。
「えっーと、小田切神父様にお願いしました、カタリナ・福地・栞と申しますが、合ってますよね?」
「はい、お待ちしていました。私が今回担当する神父です。早速ですが、相談内容をお聞かせ下さい。」
(・・・いやいやいや、どう見ても『カッパ』なんですけど、そのシルエット。。えっー、ないないない、えっーっと、どうしよう・・・)
数瞬うつむき、呼吸を整え、大きく息を吸った。
「神父様? 本題に入る前に、ちょっとだけ確認したいのですが、、。」
「はい?、なんでしょうか??」
「あのぉ、カッパ、、、ですよねぇ?」
「んっ? あぁ、これは失礼しました。これはカッパで無く、多摩川の河川敷でインモラルな住人たちを束ねる村長でして。」
(そうじゃなーい! よしんば村長だとしても、川の名前も微妙に間違ってるし、突っ込みどころが多すぎだよー! あっーもぅ、冷静になれ、栞。)
「いえ、そう言うことでなく。・・・なぜコスプレを?」
「コスプレ!?。。いえ、変装なんですけどねぇ。まぁこう言う生業をしているので、素顔を晒すことができないモノですから。」
(網アミがあるでしょうよ!、目の前に網アミがぁ!! こっちから素顔なんて見えてませんから! はぁ、大丈夫かなぁ、この人に頼んで。。)
わずかに上気した顔を俯け、無駄足だったと悟ると、駅から急勾配の坂を延々と登ってきた疲れがどっと出てきた。
「・・・ ・・・ ・・・」 かなり長い間、沈黙が続いていた。
「あ、もしかして、私に依頼すべきか悩んでらっしゃいますよね?」
(はい、その通りです、心の底から!)栞は無言のまま、わずかに頷いた。
「まぁねぇ、この仕事も長いんで、中にはそう言われる方も居りまして、なので私の探偵力の一端をお見せしましょう。」
(ふむ、んっ? 私は少数派な感じ?にしてる?)
「栞さん、あなたここに来る前に、駅前の商店街のカフェで煉瓦ロールとコーヒーのセットを飲んでからここにきましたね?」
(え、なんで?知ってるの?)
シルエット越しでも、栞の方がビクッと動き、驚いているのがわかった。
「ふふ、如何でしょう私の変装スキルは? もちろんこの変装であなたの後をつい今し方まで尾行していたが故にわかる事なんですけれども。」
(ふぅうー、カッパで尾行ってどういう事⁉︎。。。。あーもうポジティブに考えよう、逆に『カッパ』のコスプレでついて来てて、何の騒ぎもなく、今まで気付かなかったと言うのはむしろすごいことなのでは!と思いもした。。 さらに、冷静に考えても現状この人以外、私の話を本気に取り合ってくれる大人はいないのだし。。)
栞は大きく息を吐いて、話し出した。
「わかりました、神父様。私の話を聞いてください。」
「私の友人、あぁ、恵子って言います。彼女が学校に来なくなったのは、ちょうど1週間前で・・・」
「なるほど。ちなみに自殺の可能性はありますか?」
「ありません、前日の帰りも一緒に帰ってて、今度の休みに買い物に一緒に行く約束をしてました。それに、ご家族の話では、遺書などの書き置きも無かったと聞いています。」
「ならば、家出の可能性もないと?」
「ええ。」
「そうすると、事件性を疑うのですが、取り立てて関わりのありそうな事件は、栞さんの周辺では表出していないので、警察も取り合わないのでしょうねぇ。。。わかりました、まずは事前調査が必要ですので、少しお時間を下さい。」
「その恵子さんの住所や栞さんが存じ上げている限りの情報を頂けますか?」
「はい、神奈川県横浜市〇〇・・・・」
他にも知りうる限りの情報を神父に話し、告解室を後にした頃には陽が落ちて薄暗くなっていた。
栞は、告解室の扉を閉め、ふと思った。
(そう言えば、神父のいた隣の小部屋の扉って、私のいた小部屋の扉と同じ方向に取り付けてある。。。)
栞の中のイタズラ心と、神父の素顔が見れるかもしれないという好奇心から、黙ってその場でじっと、神父が出てくるのをしばらく待ってみた。
・・・
一向に出てこない神父にシビレをきらし、そっと、神父の居た扉を開けてみる。
「あれ? えーいない!!」
但し、寸刻前にカッパが居た事を主張するかの如く、椅子の上にキュウリの食べかすを残して、忽然と消えていた。
もちろん、キュウリの切り口は、カッパのクチバシのようにV字にえぐられているという徹底ぶりで。。。
Alice(アリス)
数日後、神父からの連絡で、今度は事務所で逢おうと言うことになり、放課後、指示された住所へと足を運んだ。
そこは横浜港の大桟橋の駅近にあり、ツタで覆われた古風な建物の5Fだった。1Fはノスタルジーな喫茶店になっており、せっかくなので帰りに寄って帰ろうかと、今日の自分へのご褒美を想像し、心弾ませながら、建物の脇にある狭い階段を上がっていく。
5Fまで上がったものの、さて、ドアの前に何も表札がないので、しばらくその場で逡巡していると扉がいきなり開き、一人の女の子と鉢合わせになった。
「オッと、あなたが栞さんね? 待ってたわ、さあ、入って入って!」
栞は、半ば強引に手を引っ張られ、事務所の中へと入っていった。
「とりあえず、そこのソファに座って、もうすぐ美味しい紅茶ができる頃だと思うから。」
と言いながら、その子は、栞の対面に座る。
栞は、言われるままにソファに座り、所在なげに事務所の中をキョロキョロとあたりを見回した。窓側の一画は、小さな教会を模したような作りになっていた。後に聞いてわかったのだが、その小さな祭壇は聖地の方向に配置され、さらに窓から差し込んだ光が祭壇を照らすような精緻な空間設計が施されているそうだ。室内の調度も決して高価では無いが、質の良さそうなアンティーク調のモノが多く、良く掃除が行き届いている様で、祭壇があるせいもあるかもしれないが、空気が澄んでいる様に感じ、先程は、初めて友達の家にお邪魔した時の何とも言えない緊張感に似た息苦しさがあったが、色々見回す内に栞の中で、安心して落ち着ける場所に変わるのに数分とかからなかった。
栞のキョロキョロがおさまるのを待ち、一呼吸おいて目の前の女の子は満面の笑みで開口一番、
「私の名前は、アリス(有理須)。よろしくね!」
ツインテールの鮮やかな赤紫のメッシュが印象的で、栞は自分と比較して、人見知りしない誰からも好かれる、今風の可愛い女の子のように思えた。どちらかと言うと内気な栞としては、仲良くなれるか一抹の不安を感じながらも、
「よろしくです。 あっ!それで不思議の国の白うさぎなんですね?」
「へっ?」アリスが栞の視線を追って振り返ると、燕尾服に兎の被り物を被り、片手に紅茶のトレーを掲げ、もう片方の手で懐中時計を凝視する神父が立っていた。
「何やってるのよ! このエセ神父!!」
懐中時計をポケットに戻し
「2分半、ちょうど美味しい頃合いです。」
そう言うと、手際よくカップをテーブルに配膳し、紅茶を注いだ。
「ささ、香りを愉しみながら、まずは一杯」
栞は、一口、口に含むと、ほどよいダージリンが口一杯に広がってきた。
「うん、美味しいです♪」
「よろしければ、こちらのレーズンサンドもご一緒にどうぞ。」
「わぁ! ありがとうございます。」
「さて、先程の、私が何故このいでたちをしているか?という問いかけだと思いますが、それはもちろん、こうして美味しい紅茶で、客人をもてなす為にウエイターに変装をして万全を期した訳です。また更には、アフタヌーンティーには兎が最適かと思いまして。もちろんアリス違いではありますが、その世界観を意識した事は否めません。」
「チッ、何度も言ってるけど、アンタのは変装じゃなくて、コスプレなの!」
(うん、うん。) この点に関しては、この子と仲良くなれると思いながら、栞は何度も頷いていた。
この二人の間で今まで、こう言った論争を何度も交わしてきたとみえ、神父は軽く受け流し、
「コホン。。さて、不毛な議論はこのくらいにして、今日の本題に移りましょうか。」
キッと睨むアリスにいくばくかの殺意を感じつつも、神父は気にせず話を進めていく。
「この3日間の調査報告を行う前に状況の確認と、個々の認識の整合を取りたいと思います。まず、調査を始めるにあたり、幾つかの考えうる可能性からその優先順位を考慮しました。単純に大きく分類すると、家出など事件性がない場合と、何らかの事件に巻き込まれている場合です。」
神父は、一つずつ丁寧に、指折り示していく。
1、家出であった場合。 恵子さんに生命の危機は無いわけですから、ゆっくりと彼女の居所を探して行くのでも問題ありません。現時点での優先度は高くないと言えます。
2、何らかの事件で死亡してしまっている場合。 誠に言い難いですが、すでに手遅れですので、火急性は多少落ちると言えます。
3、何らかの事件に巻き込まれつつも未だ生存している場合。 最も火急に対応しなければならないケースであり、数瞬後、あるいは数日後にはお亡くなりになる可能性をはらんでします。
と言う訳で、我々は、まずこの3番目の可能性について、さらに深く掘り下げて考えなければなりません。
「ここまでは、よろしいでしょうか?」
栞とアリスは、黙ったまま、神妙な面持ちで深く頷いた。続けて神父はさらに事象を細分化していく。
「現時点で、身代金の要求がない以上、誘拐の線は薄いです。また、交友関係や親戚縁者との怨恨等による事件性も、この数日で概ね調査しましたが、この線もどうやら薄そうでした。残る可能性として、拉致・監禁などです。現状、交友関係等で、怪しい人物は浮かんできて居りませんので、まずは、シリアルキラーの様な常習的、つまり他にも同様に失踪している方が居ないかの確認から入りました。」
この3日間で調べたであろう恵子に関するレポートと思われる分厚い束をドッサっとテーブルの脇に置き、栞の高校周辺の地図を広げて見せた。
「初めは、周辺2~3キロ圏内で、ここ2~3ヶ月の失踪者で検索をかけたのですが、何ら、法則性はありませんでした。そこで、20キロ圏内で過去1年間の失踪した女性で検索を掛け直したところ、こうなりました。」
神父は圏内にある高校の一つ一つに赤ペンでマーキングしていき、失踪者のある高校には、その氏名を付箋に書き込み、丁寧にはりつけて行った。ただ、それだけを見ても、ランダムに点在している様にしか見えず、何を言いたいのか、当の本人以外さっぱりわからなかった。次に神父はコンパスを手に取り、ある高校を中心に、5、10、15、20キロの円を描いていく。さらに、失踪した順番に線を引いていくと、その高校を中心に決して綺麗では無いが、一筆書きの渦巻きが描け、栞の高校が終点となった。
「結論から言うと、恵子さんは何処かに監禁されており、まだ生存している可能性が高いという事です。」
栞の顔からは安堵の笑みが漏れ、この神父にお願いして良かったと、この時初めて心からそう思った。
「また、この手の犯行の場合、自身の身の周りから手をつける事が多いモノですから、おそらく始点となっている高校の近辺に犯人の生活圏、つまり住まいか、職場がある事、そして、失踪の周期を見ると、徐々に狭まっているので、このピッチでいくと次の犯行まで、あと一週間程度の猶予と言ったところでしょうか?」
「す、すごいです! 神父様、ありがとうございます。」
栞は興奮のあまりその場で、神父に抱きつきたかった。。。兎の被り物さえなければ。
「それで、この後は、どうするの?」
「この高校の名称を見てください。聖フィリポの名が冠してあるでしょう。キリスト系なので、私のツテでうまいこと、この高校に潜入して更なる情報を得ようと準備を進めています。 と言う事で、さあさあ、アリスはこちらです。」
神父はおもむろに立ち上がり、アリスの手を掴むと、強引にパテーションの向こうへ引っ張っていった。
「ちょっと、何よ!」
「ささ、これに着替えて、サイズもバッチリ合わせてあります。」
「えー、ちょっとぉ、何コレ、、あぁん、ダメだってばぁ。。」
「あー、あー、そこはこうですよ。ほらぁね。」
「わかったから、早く出て行って!」
「栞さん、お待たせしました。それでは、アリス、お願いします。」
顔を赤らめながらアリスが出て来た。制服は、綺麗なブリティッシュグリーンのスカートと、それに合わせたセーラー服で、袖の部分が折り返しで、同色のグリーンがしつらえてある。さながらランウェイのように栞の方へ真っ直ぐ歩いて来、くるっと回り、自信なさげで、先ほどとは打って変わって小声になって言った。
「どうかなぁ?」
「きゃー、かわいいです! 素敵です、アリスさん!!」
さらに顔を赤らめ、ソファーに腰掛けながら「えへっ。」っと笑顔で応じた。
「さぁ、これで役者は揃いました。このように私も着れる大きめの制服も用意。。バキ!!」
瞬間、アリスの右ストレートが、頬に直撃し、神父の顔というか兎の被りモノが大きく凹んだ。
「それはもはや、コスプレを通り越して、単なる変態だから!アンタはせいぜい用務員がいいとこよ!」
「あっ、あのぉ」栞は手を上げ、自信無げにわずかに俯きながら「その制服、私が着てもいいですか?」と上目遣いに様子を伺った。神父は、「OK」と言いたかったのか親指を立てるも、先程の一撃で「KO」だったらしく、そのまま、その場で卒倒した。
「キャー、大丈夫ですかぁ?」
「フン!」
Sofia(ソフィア)
「本庄真希、本日付けで警察庁科学警察研究所特務捜査課(仮)へ異動を命じる。」
警視庁から隣の建物への移動とはいえ、いろいろ挨拶回りをして、辿り着く頃には、すでに午後になっていた。
(まぁねぇ、どこに飛ばされるんでもアタシは構いませんよぉ。ただねぇ、辞令に(仮)ってつくかねぇ、しかし。。この課が(仮)なのか、私の異動が(仮)なのか、わかったもんじゃないし、怖くて突っ込んで聞けなかったし。)
まだ慣れない建物のせいか、防犯の為なのか、迷路のようにウネウネした通路を抜け、ようやくと、それらしい扉の前に辿り着いた。
扉には、半ば予想通り、A4のコピー用紙に、「特務捜査課(仮)」と、サインペンでなぶり書きされ、セロハンテープで止めてあった。真希は、ガックっと肩を落とし、受付で渡されたカードキーをかざし、カチっと鍵が開く音を確認すると、厚め扉を開けて中に入った。
「へっ、何ココ?」
学校給食のように向き合って並んだ机の島が、幾つかこじんまりと並んでいる様を想像していたが、そこには全く異なる世界が広がっていた。薄暗い部屋の中に業務用の冷蔵庫位のサイズののっぺりとした直方体の装置らしきモノが等間隔に並んでいる。そもそも部屋自体が薄暗いのもあるが、直方体のそれは、さらに真っ黒で中身は杳としてわからない。ただ、フル稼働しているのか、チカチカと何かが明滅しているような音だけが聞こえてくる。また、床は金属製でスリットが入っており、床下には無数の配線がトグロを巻いて方々に張り巡らされているのが見える。
真希は、この縁遠い光景に戸惑って、私物の入った段ボールを両手で抱えながら呆然と立ち尽くしていると、白衣を着た、少年が傍から顔を出した。
「あ、今日から配属された方ですね?聞いています。ちょっと手が離せないので、こちらへ来て頂けますか?」
言われるままに、この部屋の中心に向け歩いていくと、先ほどの少年がドライバーを片手に何かを組み上げている。
「おい、少年。オマエ何をやっているんだ?」
「あー、失礼な。僕は少年ではありません。柏木優斗と言います。」
「だからぁ、柏木と言う名の少年だろ? この部屋は何なんだ?」
「いやだから、僕は歴とした大人です。」
このいかにも小柄なこの少年は、自分は18歳だと告げた。確かに法改正後、18も大人ではあるのだが、見た目は明らかに小学生くらいだ。
「だとしても、18で此処に居るって、おかしいだろ?」
「あぁ、それは飛び級で、あれよあれよと進級した結果、ここに居る感じでして。ちなみに、ここに来る前は、気象庁で新しい地震予測のシステムの立ち上げを行っていました。そちらの方はひと段落ついたので、今度はこっちに来て、また立ち上げろと言う事らしいです。」
「それでアタシに何をしろと? わかると思うけど、こう言うの苦手なのよねぇ。って言うか理解できない。」
「大丈夫です。真希さん、あなたは実行部隊ですから。」
「んっ、どう言う事よ?」
「順を追って説明しましょう。今僕が立ち上げているのは、新たなAIによる犯罪対策システムです。国内外を問わず、今までの犯罪事例を学習させ、現在進行形の犯罪や、これから起こるであろう犯罪を事前に食い止めるのが僕らの目的です。確かにAIは、僕らの処理能力を容易に凌駕するパフォーマンスを持ちますが、ひとえに犯罪と言っても、その種類は多岐にわたり、各々見方や対応の仕方も異なると思います。AIを人に例えるのであれば、犯罪の種類毎に専門家が存在し、各々の事象に対し個々のAIが協議しながら一つの答えを導く様にシステムをデザインしています。」
「ふーん、それじゃ、このデッカイ箱は、スパーコンピュータってやつか?」
「はい、それも一部あるんですが、殆どは量子コンピュータです。人とモノが様々なデバイスで繋がり、日々巨大なデータを扱うことが可能になりましたが、データが膨大すぎて様々な事象の組み合わせから最適解を得ることは既存のスパーコンピューターでは限界がありました。従来のAI予測と異なるのは、量子演算による並列処理と、その速度や規模の点で大きく異なります。」
「ふーん、それで、アタシは少年、アンタの言いなりに動けと、そう言う事?」
優斗は、真希の語尾に一抹の怒気を感じた。
「そんなことはありません。あくまで、現場の裁量は、真希さんに委ねられています。」
「まぁいいわ。それで?」
「では最初のミッションについて説明します。ここは、機器の冷却で冷えてますし、あちらのブリーフィングルームへ移動し、コーヒーでも飲みながら話しましょう。」
そう言うと、優斗は部屋の隅の一角にある一面ガラス張り部屋へ真希を誘った。
二人が部屋へ入り扉を閉めると同時に、透明なガラスにスモッグが入り、中の様子が見えないようになった。さらに、壁面にある大画面のモニターに電源が入り、画面に大きな関東一円の地図が表示される。その中に赤丸のマーキングドットが、徐々にプロットされていき、やがて地図の殆どが真っ赤に埋め尽くされた。
コーヒーを手渡しながら、優斗が説明を始める。
「この赤丸一つ一つは、過去1年間の失踪者の失踪前の所在をプロットしたモノです。」
「過去数年の履歴を見ても年間の失踪者の総数は、平均して毎年約8万人、そのうち不詳やその他に分類されるモノは、約半数です。僕たちが事件を防ぐと言っても取っ掛かりが必要でしたので、この失踪者のリストから、何らかの事件に巻き込まれていそうな事案をピックアップしました。その中で事件性の可能性が最も高いモノを今回のミッションとしてチョイスしています。」
優斗が言い終わるのに合わせて画面は遷移し、先ほどの地図がズームされ、ちょうど東京と神奈川の境界付近が映し出された。画面上には、先ほどと同じ形状の黒丸が幾つかプロットされ、さらに真希も見たことがある、天気予報でやっているような気温分布をエリアごとに赤から青で色分けした様なヒートマップが表示された。ちょうど、マップの中央のエリアが真っ赤になっており、周辺へ行くほど、青色へとグラデーションになって、色が変わっている。
「現在プロットされている失踪者達が同一犯による犯行であると仮定し、犯人の活動拠点のあるエリアを推定しました。このエリアで着目した失踪者を失踪届日の浅い順に番号を振っていきます。この様に青い領域から赤い領域へ、まぁ必ずしも綺麗に並んではいませんが、遷移していくのがわかると思います。典型的なシリアルキラーなどの例として、自身の生活圏で、普段から眼にする身近な人間をターゲットにする事例があり、このケースでは、その傾向にあるとAIが弾き出しました。」
「つまり、この中心の赤い領域に犯人が存在していると?」
「はい、お察しの通りです。」
「そして、ピックアップされた失踪者は、いずれも女子高生で、この中心部の地域にあるのが、この失踪第一号の高校です。」
「普通、一つの管区内で、これだけの数の失踪が発生していたのなら、流石に誰か気付いたでしょうが、見ての通り、ここは、世田谷区と大田区、そして多摩川を挟んで、川崎市に横浜市と発生箇所がバラけています。さらに失踪のタイミングも規則性がないので、管区毎に解析すれば、そこから個々の結びつきを見つけるのは、もはや不可能と言えます。」
「つまり、我々の存在意義を示す上で最良の事案という事です。」
「存在意義を示したいならさぁ、何もこんなまどろっこしい事なんてしないで、手っ取り早く殺人事件とか大きな事案の方が、いいんじゃない?」
「人の殺意を数値化し予測すると言うのは、少なくとも現時点の技術では不可能です。例えば日々の行動履歴から、それらしい人間にフラグは立てられますが、誤認逮捕が増えるだけですし、そもそも推定無罪の原則があります。そういった危ない橋を渡るよりも今まで手付かずだった毎年行方不明の8万人にフォーカスした方が、この組織の確固たる存続意義が打ち出せると考えています。もちろん、犯罪予測も僕が必ず実現して行きますよ、これから。」
「ふふん、おもしろそうじゃん♪」
「それで、アタシはどうすればいい?」
「今までお話しした内容は、あくまで予測の域を出ませんが、犯人の生活圏もしくは仕事圏内がそこにあるのは確実です。また、失踪者は皆、女子高生ですので、まずは、該当の高校へ潜入するのがスジです。」
「女子高生で潜入するのは、真希さんの年齢的に無理があるので、先生などが妥当なんじゃないかと、、ちなみに、得意の教科などはありますか?」
「うーん、保健体育とか? あ!、あとイタリア語はできる。アタシ、ハーフなのよ、イタリア名はソフィアって言うの、よろしくね!」
イタリアの場合、出生届を提出する際に、日本名とイタリア名の二つの名前をもてることを優斗は思い出した。それでこの人は、透き通るように綺麗なブロンドなんだ。
「ソフィアって、もっとお淑やかで、優しい感じの女性だと思ってました。」
「チッ、言わなきゃよかったな。」真希は、頭をかきながら手近な椅子に腰掛けた。
「そりゃぁ、アタシも小さい時はおしとやかで優しい女の子でしたよぉ。学校ってさ、日本の閉鎖的社会の縮図っていうの、同調圧力からくる仲間外れ探しっていうのかな、この髪、地毛なのよ。まぁ、何かにつけ目立つわなぁ。でも、これは親から受け継いだアタシのアイデンティティーだから、染めたりはしなかった。そんでもって、自分にまっすぐに生きてきたら、こうなった。って感じ?」
真希は全て語ろうとはしなかったが、多感な少女時代に色々打ちのめされてきたであろう事は容易に想像できた。優斗もまた、決して自分事ではなかった。飛び級と言えば聞こえは良いが、頭は良くても、体力は年齢相応だったし、優斗なりに様々な歪みをどうにか飲み込んで、ここまで歩んできたからだった。
「おいおい、少年、なんて顔してるんだよ!」
バシッ!っと頭を引っ叩いた。
「ハハハ、すみません、話を元に戻しましょう。という事で、現在在籍の保健の先生に1か月ほど、海外旅行をプレゼントしておきましたので、入れ替わりで明日からお願いします。資料は今日中に目を通しておいてください。」
「オッシャー、それじゃ、はじめるか!」
「あぁ、その前に、装備品がロッカーにあります。事前に説明しますので、持ってきて貰えますか?」
真希は、まずロッカーに、持参した段ボールの中に入っていた私物をしまい、中に入っていた装備品を手に優斗のところに戻り、一つずつ机に並べた。
「えーっと、まずこの分厚い紙の束は、さっき言ってた事前資料ね?」
「これは、潜入先での衣装? 白衣に、水色のショートスリーブシャツ、黒のスカートとパンプス。。。うーん、ちょっとヒール高いかなぁ、まあ、いいわ。」
「それに、小型イヤホンとボールペン、これは?」
各デバイスの断面図や説明が画面に映し出される。
「小型イヤホンは、通信用です。2種類あるのは、TPOに応じて使い分けてください。もっとも、真希さんの場合は、その長い髪の毛に隠れるので、あまり関係ないかもしれません。小型の方が電波強度も弱く接続時間も短いですが、ステルス性は増すと思い用意しました。」
「ボールペンは、内蔵カメラによる盗撮と盗聴が可能です。クリップの天冠部分にレンズがあり、全方位見れますので、向きなどあまり気にせず設置可能な仕様です。これとは別に各教室をモニタするための小型カメラを別途多数用意しますので、潜入初期は、その小型カメラの設置を急ぎお願いします。」
「了解。そして、最後に、このリボルバー・・・」
「ちょっとぉ、これって官給品の360Jでしょ? 重いし、ゴツゴツしてて携帯に不向きだから、他のにして。そもそも本来357弾が使えるのに100%の性能を制限してるっていう、なんかこう、抑圧されてる感じが性に合わないんだわ。」
確かに、性に合わない。優斗はニッコリ頷いて、
「わかりました。でも今回は間に合わないので、これで我慢してください。」
「ベレッタのナノ、それがダメならPX4のサブコンパクトかな、グリップのバックストラップ交換できるから、何種類か用意しといて、アタシの手にフィットするのが良いんで。あと使う事ないとは思うけど、念の為ドットサイトも。」
「わかりました、うーん、何とか掛け合って見ます。確か、ベレッタってイタリアでしたね。」
「ふふーん、わかってきたなぁ、少年!」
「ところでさぁ、優斗、アンタさっきから何も操作してないけど、画面操作とかどうやってたの?」
「ご紹介遅れました。私、優斗のサポートAIのムツキ(睦月)と申します。」
・・・
翌朝、真希は目覚めると、優斗から通勤用の車を家の前に準備したとメッセージが入っていた。
”元々、EV車だったんですが、お嫌いだろうと思い、急遽用意しました! もちろん駆動系はエンジン仕様ですが、それ以外は特殊仕様の電装系が組み込まれていますので、無闇にやたらと、その辺のスイッチ押さないでください。後々説明しますので。”
表に出ると、メッセージの通り、一台の車が停車していた。
「おー、フィアットじゃん!」
真希が車に乗り込むと、自動でエンジンが始動し、車内のスピーカーから声が漏れ聞こえる。
「おはようございます。私、真希さんのサポートAIの如月(きさらぎ)と申します。」
「おぅ、よろしく!」
言うや、真希はフルスロットルで走り出した。
「真希さん、制限速度オーバーです、一旦止まりましょうか?」
「・・・」
「赤、赤、赤、止まってください。」
車は電子制御により、信号の手前で急停止した。
「ちょっとー、今のは行けたって! 勝手に持って行かないでくれる?」
「制限速度を守り、私のナビに従ってください。守っていただけるなら、運転をお任せします。」
「わーったよ。」
車は、安全運転で走り出した。
「次、35m先を右折です。」
「カチ・カチ・カチ・・・」
「次、83m先を右折です。」
「カチ・カチ・カチ・・・」
「次、57m先を右折です。」
「カチ・カチ・カチ・・・」
「次、87m先を右折です。」
「カチ・カチ・カチ・・・」
「キサラギ! 元の道に戻ってきたじゃねぇか!テメェ!」
「やられたら、やり返す。倍返しだ。」
「おい優斗!どうせ聞いてるんだろう? なんなんだコイツは!!なんか、明らかに偏った学習をさせてるだろ?」
「ピッ、いやぁ、急場で間に合わせたんで、学習モデルに不備があったかもしれません。後ほど、調整しておきます。」
「チェ、興醒めだ。キサラギ、どうせ自動運転できるんだろう?学校まで行け。」
「了解です。」
「フン!」
車は、安全運転で走り出した、今度は学校へ向けて。
第二部
第二部:https://note.com/toshi_57/n/n95503c4d4642
Collapse(コラプス)
Filippo(フィリッポ)
Hydroponics(ハイドロポニックス)
第三部
第三部:https://note.com/toshi_57/n/ncce3745a2004