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コンビニでトイレを借りたら、便器を掃除してから出るようにしている、という話。

以前、知り合いと話していて、
「『立つ鳥跡を濁さず』だよね〜」
なんて話題になり、

「あ〜、僕も、コンビニとかでトイレ借りたらブラシで掃除したり、拭いたりしてから出るようにしてますね。」
と言ったら「聖人なの?」と驚かれた。

全然そんなつもりではない。
「良い人になろう」というのも違うし、「トイレを貸してくれたことへの感謝」というのも微妙に違う。

じゃあ、なんでそんな事をするのかというと、自分の生き方についての「こだわり」の話になります。
ちょっと大きな話になってしまうけど。

自分が生まれた意味は何なのか、
どういう人間として生を全うして、何を残して死にたいか。

そう考えて、
「少なくとも、自分が存在しなかった世界より、自分が存在していた世界のほうが、良い世界になってほしい。」
という価値観になりました。

トイレの掃除の話に落とし込むと、
「自分が利用した場所は、自分が利用する前よりキレイな状態にして去りたい。」
という感じ。

他の例で言うと、
公園でBMXの練習をしたら、帰るときにはわざわざ他人のゴミを拾って帰ったりもします。
必ず毎回、ではないけれど、目についたものは拾っておく。

別に「良い人」を演じたいわけではない。
自慢をするようなことでもない。

「自分の生き様をどうしたいか」の問題です。


ゴミのポイ捨てが問題になると、大抵は「ポイ捨てはやめましょう!法律では○万円以下の罰金です!」みたいな看板が立ちますが、
僕としては、その人の生き様に訴えかけるのも有効ではないかと思います。

「人様にてめーのケツ拭いてもらって、ダサいと思わねーのか?いつまで子供でいる気だ。」
くらい書いてもいいのでは?
言葉はちょっと選ぶにしても。


ゴミ問題の話でいうと、
そういうことをしっかり叱ってやれる大人が減ったのも問題なんでしょうね。

その役割を全うしなかった大人たちのツケが今になって回ってきただけ、という気もします。

ただ、そういう僕も、今まで他人のことを叱る役目は避けていました。
そこは改めて、責任を持って叱るべきだと考え直しました。

最近は自分の子以外にも、言うべきことは言うようにしています。

そういう、「一見口うるさいおじさんだけど愛を持って叱ってくれる人」が増えていかないと、国民のマナーも良くなっていかないですよね。

モラルの教育も、我々大人の大切な役目だなと感じるようになりました。
学校に務める教育者でなくても、できることはあるはずです。


話を戻します。

要するに、どういう人生にしたいか、自分が存在する意義は何なのか、というのを考えていった結果、
その行動の1つとして「コンビニのトイレの便器にこびりついた他人のクソをブラシで掃除してから去る」というのが、たまたまあるだけなんです。

そういう「自分の芯」「自分の哲学」みたいなものは、大切にして生きていきたいと思いますし、
そのほうが人生の充実感も増すのではないかと思っています。

  


  

余談ですが、
最近はBMXを続けていくうえで、「自分の存在価値はなんだろう?」と考えることが増えてきました。

自分なんかは、プロライダーのように技術レベルが高いわけでもない。
BMXライダーとして仕事をしたいわけでもない。
「ただただ楽しくて乗っている」だけ。
それはそれで悪いことではないけれど、「他人に対して何かを与えることはできないのか?」という気持ちが強くなってきました。

今考えているのは、「BMXをどう楽しむか」「BMXとどう向き合うか」を示していけたらいいな、ということ。
それについてはまた別の機会に発信します。

30代には30代なりのできることがあると思うので、常に考えながら発信していきます。

それでは。


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