母と娘の残された時間のなかで
施設に入居中の母はこの夏が越せるかどうか危うい。
もう寝たきり状態で、言葉もうまくしゃべることができなくなってきている。
訪ねたときは母はすやすや眠っていた。
起こすのもしのびないので半時間ほど側で母の寝顔を見つめていた。
まるで童女のような顔で母は眠っている。
どんな夢を見ているのだろうか。
寝顔を見ているとさまざまな感情が去来する。
母とはいろいろあった。
今では母のことも自分自身のことも客観的に見れるようになったが
それでもときおり錆びたスイッチが押されて否が応でも過去の記憶が再生されてしまうことがあった。
とたんに重く湿ったものが私の喉を圧迫してくる。
母がまだ元気だったころは、面会時には我慢していても途中でキレて怒鳴ってしまうこともあり、なんともいえないやるせなさを抱え、帰路のバスの中でひたすらどんよりするのだった。
しかしもう寝たきりとなった母を前に今はさすがにそれはなく
今生での母娘の限られた時間を過ごすだけだ。
食欲がない母に何かつくっていってあげようと考えたとき
ふと大根の味噌汁が頭をよぎった。
作っていくとやはり喜んでくれて全部食べ切り本人も驚いていた。
これが食べたかったというので以心伝心だったか。
誤嚥がこわいのでできる限り細く大根を切り、出し汁でやわらかく煮込む。
味噌も麹が気管に入らぬよう濾す。
母はいつも私の料理を褒めてくれていたな。
最後の親孝行はこんなことしかできないなあ。
先日、母が声をふりしぼるように言った。
「こんなになっちゃってごめんね…」
私は返す言葉がなく母の手をさすり続けた。
何か言葉にしたら泣きそうだったから。
もう帰るね、と言うと
母は私の腕まくりしていたシャツの袖をよくは動かない指でおろしだした。
そして私の腰をぽん、ぽん、と軽くたたいた。
持病の腰痛を案じてくれているのがわかった。
できることが日に日に失われていく中で
娘に親らしいことをしたいという母の意志を感じ取り目頭が熱くなる。
今度は蒸しプリンを作っていくからね。