大学生活の振り返り③
前々回と前回から続いている大学4年間の振り返りもいよいよ大学ラストイヤーである4回生編。
当初は2部構成だったかが書きたいことがどんどん出てきたため急遽の3部構成となりすみませんm(__)m
今回はラストイヤーの大学4回生編。
大学4回生のスタート
いよいよ大学ラストイヤーということもあり飛躍の一年にしようと誓ってスタートした4回生。
就活もスタートし、時間を作りながら練習に励んだ。
4回生一発目のレースは1500mに出場。1週間後のATT(アマガサキタイムトライアル※非公認)の5000mを本命レースとしてしていたため1500mは刺激入れの意味合いで出場した。
結果は4分39秒。一応自己ベストだった。ちゃっかり組2番だったしちょっと嬉しかった。
そしてATTに出場。小雨が降っていたが特に気にならない感じだった。個人的に多少の雨は余計に集中力が増す感じがして好き。
果たして結果はどうだったか、、、
3000mでDNF(10分30秒ぐらい)
この時のlogでは「2000mでガス欠になった」と書いてあった。この2000mを過ぎてから途端に走れなくなるのはこの日だけではなく、3回生のラストレースとなった学連記録会5000mでも同様だった。
このレースはYouTubeでライブ配信されていたためAさんも見ていた。この日だけでなく直近の練習で全く走れていなかったこともありAさんは貧血をかなり前の段階から疑っていた。だが自分がその現実を受け入れるのが怖く、受診するのをずっとためらっていたのだ。
だが「このままでは走れない体になる」という言葉でようやくスポーツ内科を受診した。
貧血と別れ、そして復帰
Aさんの勧めもありスポーツ内科も専門としている病院で診察を受けた。血液検査の結果、ヘモグロビン値は12.1g/dl。フェリチンに関しては6ng/mlという明らかなスポーツ貧血だった。
貧血と診断される数値はヘモグロビン値が14.0g/dl未満、フェリチンは30ng/ml未満が貧血と診断される。
これを見るといかに自分の数値が低いかがよくわかる。そりゃ走れないわけだ(笑)
もちろん鉄剤処方。当初予定していた5月の吹田ナイター記録会はDNSとなりこれが人生で初めてだった。
そしてこれまで数々とアドバイスして頂いていたAさんとの契約が終わりを迎えた。
当初はかなり前の段階で終わる予定だったがなんだかんだここまで面倒を見ていただいた。
本当に感謝しかない。ありがとうございました。
鉄剤処方の効き目はものすごく、徐々に走れるようになってきた。しかも以前より走れるようになっていたのだ。
このタイミングで新たに練習メニューを提供していただける人に出会う。
折角の機会であり陸上部としての経験がないからこそ学べるところが数多くあると考え、再び師としてその人についていくように心に決めた。
その方のメニューは消化できるかできないかの微妙なラインをついてくるのが非常にうまかった。それでも何とか食らいついて消化していった。
次の復帰レースは6月の吹田ナイター記録会にして標準を合わせていった。
迎えた復帰レース
17分15秒は狙えるところまで調子は上がっていた。天候も無風に近く記録を狙うのは絶好のチャンス。レースプランも3000mまでは後ろについて淡々とリズムを刻むことだけを考えていた。
結果は16分56秒72。
これまでの自己ベストを50秒も上回った。会心のレースだったのは言うまでもない。コーチとの関係は終わっていたがAさんに真っ先に報告した。ずっと16分台を狙えると言われ、その練習をしてきたのに結果を出せないでいたが教えていただいていた。自分にとって運命の人だったからこそ真っ先に報告したかった。その時のメッセージからも本当にうれしさが伝わってようやく恩返しができた瞬間である。
この後も1500m~3000mの記録会に出場しまくった。ちなみに5000で自己ベストを出した週の土曜日に1500に出場。中2日ということでアップ時から体がバキバキだった。
3回生から準備を始め、1年間やり続けた就活もようやく満足できる形で終えることができた。
4回生上半期結果
1500m:4分29秒96
3000m:9分47秒45
5000m:16分56秒72
人生最後の夏休み
そして迎えた人生最後の夏休み。
以前からよくしていただいていた知り合いの誘いもあって長野のGMOアスリーツパーク湯ノ丸に2泊3日の高地合宿を行った。
初めて長野県に上陸し、たくさん走った。3日間で100㎞を目標としたがわずかに届かなかったがめったにない機会で素晴らしい環境で練習ができたことはいい思い出。
(たくさん走ったのに飯がうますぎて逆に太ったのは内緒)
大学4回生下半期
夏にしっかりと練習できた結果を後は解放するだけ。
一番のターゲットレースを同じ10月の吹田ナイター記録会5000mにした。
直近の練習は1000m+2000m+1000m+400mや8㎞のPRなど。消化率も上半期と同じぐらい練習ができており、うまくいけば16分30秒は出るんじゃないかと予想。
そして10月の吹田ナイター。
結果は16分41秒92。最低16分40秒を切りたかっただけに自己ベストだったが満足できるものではなかった。
そこから何度か5000mの自己ベスト更新に挑戦。
しかし16分50秒、16分47秒となかなか16分40秒の壁を破ることができなかった。
この記録を破るには3000mで9分30秒切りは必須だと思う。5000mの記録更新は社会人になってからの持ち越しとなった。
トラックレースが終わってひと段落つき、大阪ハーフマラソンに向けてのトレーニングも行った。
個人的に去年の悔しい結果もありなんとしてでもリベンジがしたかった。
詳しい内容は以下の記事を参照にしてくださいm(__)m
結果は手元で77分25秒。グロスだと78分前半だ。見事に去年の借りを返すことができた。
続く2週間後には大学2回生の時に走れなかった愛媛マラソンに出走。ハーフ前のアクシデントもあったため狙うレースではなく練習の一環として出場した。
初めての地元レースだったが噂の通り沿道の応援が尽きることがなかった。エイド全制覇を密かに狙っていたが無理ゲ―だった。
いつかエイド全制覇を狙って出場したい。
その一か月後には名古屋シティマラソン10㎞。
こちらも初めての名古屋だ。半分観光目的で出たが楽しみにしていたのは名古屋飯。
ひつまぶしと味噌カツを食べておけば大丈夫だろうと思い、しっかりご馳走になった。
こう振り返ってみると下半期の方がレースに出ていたのは驚き。いろいろな気づき、発見があった。
訪れたことがなかった土地にも行くことができて一つの楽しみ方として経験することができた。
4回生下半期結果
1500m:4分26分94
5000m:16分41秒92
10㎞:35分33秒
ハーフ:77分25秒(手元)
フル:2時間54分20秒
4年間を振り返って
大学一回生から走り始めたが高校生の時は長距離が大嫌いだった。
そんな自分がここまで走ることにのめり込んだのは実に不思議だ。4年間たくさんのことをランニングを通じて学ぶことができた。
目標に向かって計画を立てること、結果が出ない時こそ辛抱することなど野球部の時には気づくことができなかった。
ランニングに出会えたことは自分を変えるきっかけになったことは間違いない。
ランニングを通して出会えた人もたくさんいる。
練習メニューを提供してくれている人、最初の師であるAさん、そして長く練習パートナーとして切磋琢磨してくれたよっしー。
もちろんXで知り合った方もたくさんいる。そんな人の練習ポストも刺激になっていたのはもちろんだ。
4月からは社会人ランナーとしての挑戦が始まる。
今まで同様に走る時間がたくさんあるわけではないがうまく有効利用してさらにレベルアップできるようになりたい。
今回も長くなりましたがここまで読んでいただきありがとうございました。
大学生ランナーとしての物語は終わりますが社会人ランナーとして自分の限界に挑戦していこうと思う。