【英国判例紹介】Donoghue v Stevenson ー英国で最も有名な判例ー
こんにちは。
お読みいただきありがとうございます。
今回ご紹介するのは、Donoghue v Stevenson事件(*1)です。
不法行為(Tort)の分野における著名な判例であり、英国法の弁護士だけではなく、イギリスで法学を勉強している人であれば、ほぼ全員が知っているんじゃないかと言えるぐらい有名です。
先に言っておくと、本判決で言われていることは、今日の不法行為法からすれば割と当たり前の内容であり、新しい法律知識が増える類の読み物ではないです。ただ、上記のとおり、とても有名な事件なので、知っておいて損は無いかなと思います。
なお、このエントリーは、法律事務所のニューズレターなどとは異なり、分かりやすさを重視したため、正確性を犠牲しているところがあります。ご了承ください。
では、始めます。
事案の概要:夏の夜、グラスゴーのカフェで事件は起こった
1928年8月、May Donoghue(原告)は、友人とカフェに入り、友人にジンジャービアを注文してもらいました。原告は、運ばれてきたジンジャービアを飲んで、更にグラスに注ごうとしたところで、茶色の瓶から腐敗したカタツムリが出てきたことに気づきます。原告は、それを見て気分が悪くなり、数日後に入院。医者からは胃腸炎とショック症状の診断を受けます。
ジンジャービアを注文したのは原告の友人であり、原告とカフェの間に契約関係はありません。そのため、原告は、ジンジャービアをカフェに卸した業者に目を付けたのかもしれません。その製造業者は、近くでレモネード工場を経営するDavid Stevenson(被告)でした。原告は、被告に対して、不法行為に基づく損害賠償請求を行います。
なお、この事件ですが、謎に英語版のWikipediaが充実しています。ICLRのLaw Report(判例時報みたいなもの)を読むと、事実関係がフラットに書いてありますが、このWikipediaの記事は、原告が厄介なクレーマーであったことを匂わせていますね。
その後、事件は下級審では終わらず、貴族院(当時の最高裁)に持ち込まれました。それがこの判決です。
争点:製造業者の消費者に対する責任
「製造業者は、契約関係の無い消費者に対して、注意義務を負う可能性があるか」が本件の争点でした。
当然あり得るでしょ、というのが21世紀に不法行為法を勉強している我々の感覚だと思います。そもそも、日本だとその具現化としての製造物責任法がありますし、英国にも同様の趣旨で定立された法令があります。
ただ、当時のイギリスでは当然のことではありませんでした。第三者に対する一般的な注意義務が課されているとは考えられておらず、特定の状況においてのみ、行為者に注意義務が課されるものと解されていました。
もちろん、現代の英国の不法行為法も、行為者に対して、無制限に注意義務を課しているわけではありませんが、当時はより硬直的に考えられていました。具体的には、前述の「特定の状況」とは、契約関係と類似の状況が認められる場合に主に限定されていたのです。
裁判所の判断
貴族院は、原告の主張を認めました。
つまり、貴族院は、「製造業者は、契約関係の無い消費者に対して、注意義務を負う可能性がある」と判断したということです。
この審議には異例の時間を要したようで、5人いた判事の中でも考えが割れており、3対2という僅差で決まりました。
このエントリーを書くにあたり、初めて本件の判決文を全て読みましたが、結構長いですね、、。疲れました。普通は、「○○卿の意見に全面的に同意する」みたいに述べるだけの判事が一人か二人いるのですが、本件では、全員コメントしています。
考察
行為者が負う注意義務の範囲は?
貴族院は、契約関係の無い者に対する注意義務の可能性を肯定しました。しかし、第三者の範囲は無限に広がり得ます。行為者は、あらゆる第三者に対して、注意義務を負うのでしょうか。
本件で多数派の意見をリードしたAtkins卿は、このように述べました(太字はぼく)。
では、いったい隣人とはどういう人を言うのでしょうか。Atkins卿は次のように続けます(太字はぼく)。
今日の確立した過失責任論における予見可能性の話にかなり近いですよね。
隣人を愛せよ
法律の話はさておき、「you are to love your neighbour」(隣人を愛せよ)という聖書に由来するフレーズが出てきたことに驚きます。
前にも書いたかも知れませんが、イギリスの裁判官が書く判決文は、かなりフリースタイルです。例えば、日本の裁判官が判決で「契約自由の原則は天岩戸に閉じこもってしまった」みたいなことを言い出すなんて考えられません。イギリス人の感覚だと、宗教的な意義を超えて、「隣人を愛せよ」は身近な言葉なのかもしれません。
欧米の文化はキリスト教と結び付けて論じられがちです。でも、(ぼくが鈍感だからなのかも知れませんが)実生活であまりキリスト教の影響を感じることはありません。しかし、こういう場面に出くわすと、やっぱりぼく(=非キリスト教徒)とは根っこのところが違うのかなと思ったりもします。
民事事件の最高裁判所はスコットランドと共通
イギリスは、単一国家ではありますが、イングランド、スコットランド、北アイルランド、ウェールズという4つの地域の連合体でもあります。
そして、イングランド(及びウェールズ)はコモン・ローベース、スコットランドはシビル・ローベースの法制度を敷いています。
なので、ぼくがいつも英国法といっているのは、正確にはイングランド法なのです。そのため、スコットランドのグラスゴーで起こった本件の取り扱いについて、疑問に思われる方がいるかもしれません。
答えは、小見出しのとおり、民事事件の最高裁判所(当時は貴族院)は、イングランドとスコットランドで共通であり、そこで下された判例は、イングランドの法規範を構成するからです。
UKの法制度は、アメリカのような連邦制国家と似ていないし、日本のような純粋な単一国家ともまた違っています。この点も、また書きたいと思っていいます。
なぜこの判例は有名なのか?
タイトルで煽っておきながら申し訳ありません。
理由は分かりません(笑)
でも、イギリスで法学を勉強した人か、英国法の弁護士なら、全員知っているはず。
不法行為法の分野でエポックメイキングだったからなのか、ジンジャービアにカタツムリというシチュエーションが記憶に残るからなのか、それとも、Donoghue氏のクレーマー的なふるまいが世間の耳目を集めたのか、、。
もしご存じであれば、こっそり教えてください。
いかがだったでしょうか。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました!
【注釈】
*1 Donoghue v Stevenson [1932] AC 562
免責事項:
このnoteは、ぼくの個人的な意見を述べるものであり、ぼくの所属先の意見を代表するものではありません。また、法律上その他のアドバイスを目的としたものでもありません。noteの作成・管理には配慮をしていますが、その内容に関する正確性および完全性については、保証いたしかねます。あらかじめご了承ください。
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