Don't overthink. Just do.|#553C
考えすぎるのは君の悪いクセだよ。そう言われてやめられるのなら、クセになどならぬ。退かぬ。媚びぬ。省みぬ。と振り切って、堂々と考える(というか悩む)モードにアクセルを踏みこんだ日。
超ひさしぶりに「行動よりも考えること」に没頭する時間をすごした。もう心ゆくまでやってみようということで、紙の束を用意し己を解き放つ。そのまま時間を気にせず、TCCはつけつつ、スタートを切った。
結果は自分でも驚きの終日シンキング、ではあきたらずオールナイト。圧倒的Overthinkである。朝10:52から始めたそれは翌朝05:06まで続き、眠気で強制カットされて終わったがまったくとどまるところを知らない勢いだった。
その間、生活上で必要なことはしても、すぐにまたあーだこーだと考えるポジションに戻るという感じで無限に考えつづける。そして、とくにこれといった際立った成果はなく終わった。わかっている。考えすぎはよくない。
しかしこの点でいうと私は本当にすごいなと思う。これが前向きな能力であったなら。何か生産性の上がる事柄だったなら。私ってばヒトカドの人物になれたのではないかと思えるこの脳みその動き方よ。もし「考える」だけで仕事になれば食うに困らんぞ。
まあこれは半分冗談だ。こういう人も多いだろうなと思う。よーするに悩みグセだよね。
この無限思考モードは、逆に思考力が落ちている時にのみ突入する。実態は思考と悩みとリサーチが混ざったような心地のよい状態で、そうして過ごしたあとには、ジャンクフードを食いまくった時に感じる体へのうしろめたさに似た、時間に対する罪悪感がじわっとにじむ。
これはひたすら自分の脳に浮かぶ事柄についてあーだこーだ深めたり広げたりしていく、トリップ感のある行為だ。趣味として休日にいいかもしれない。
思考力精神力が落ちていない時であれば、浮かんだ問いに対して範囲を区切って結論を出しに行ける。これがいわゆる仕事的な脳の使い方とも言える。ぼやーっと想像力に翼を授けて自由にフライさせるのとは真逆で、ストレスと集中力とエネルギーがかかる作業で、だからこそ生産性がある。
どっちにしろやること。考え2割実行8割がベスト。そんなことはわかっているのだけど。
p.s.
で、いちおうその時間の中で、この裏noteや表noteの他、SNSの使い方とかアカウントのこれからの運用についても考えたのでそれを雑に残しておく。
この裏noteには「前〜今」の情報を書く。現在は内省日記が全てだがインフォメーション的なものを混ぜていく。その日気になったニュースとか検索した言葉とかを残していく。Scrapboxでやるほうがよさそうな。でXをくだらない日記的に使う。不思議と感覚が変化したので、なんかX運用できそう。
表noteは「後〜今」を書く。未精査のものを出さず。自分がいいと思ったものだけをあの手この手で伝えようとする。いいものを伝えるという一点に目的を集約する。これまで表noteに対してはライフハック的な縛りと、役に立たねばという気負いと、読者の目標達成をサポートするものにといった大枠があったが、それらがすこんと外れた。仕事的に使おうと思っていたがそれを諦めた。そう思っていたら何も書けない。柔軟に自由に。豊かさを、といってもいいが、ライフハックじゃなくてライフを表現する。そう考えると逆に仕事的にも使えそうなイマジネーションが膨らみ楽しみ。サボり倒して一周年ではどうするか悩んでいたが、表noteリブートできそう。
その他に2つの、これらは本気で仕事用のアカウントを先月から動かし始めているが、こっちが力そそぐメインのほうで、どちらもマーケットインというか自分がしたいことでなく相手が望むことに全コミ。ということで、合計4アカウントを育てていく。稼がんとなーという状況なので、必死に人の役に立つ。ためにまずは必死に届ける努力。どうやったら稼げるか=どうやったら人の役に立てるか=どうやったら買ってもらえるか=どうやったら届くか。がんばるんば。