ささえあって互いの豊かさを築く|#605C
昨日は「思い込み」をクリアにするための自助努力的な話を、自分のディープめな体験も含めて書いたのだけど。
最近は「思い込みを外す」ことに関連する、自分1人では気付けないような視点や知識を、他者からいただくことも多い。目標に対してもなにかちょこちょこと助けが入る感じがある。
これまで1人で閉鎖的な仕方で努力していたところから、なんだか開けてきたような気がする。以前は自分と関わってくれる人と、自分自身は「別々」に分かれている感覚があったし、そのような仕方でしか接することができなかった。
特徴的なことを挙げれば、自分は相手の困りごとや目標を手助けするが、自分の困りごとや目標は自分1人でなんとかしようとしていたというところにある。(もちろん助けてくれる人はいたし、自分が気づいていないところでたくさんお世話になっていることと思う)
しかし10月になってからかな、そこもダイレクトに他者と繋がってきたような感覚だ。
たとえば10月3日の記事で「来年の誕生日までに法人を作る」と書いたのだけど、先週久しぶりに会った仕事関係の人が偶然「法人を作るならこうしたことをすると税金がめっちゃ得になるよ」といったマル秘資料をくれたり。
たとえば今私は作っていきたい仕事があり、個人規模の企業にWebマーケの営業を始めているのだが、定期ミーティングをしている人が偶然それに関する大量の営業資料を持っていることが一昨日わかって共有してもらえたり。
こういうことは「自分が開けている」から起こることだ。「自分はこうしたいんですよね」と言えるようになってきていることと、それを聞いた人からの支援やちょっとした手助けを素直に受け取れるようになっているということだ。
noteで自分に関する未熟な部分を書き散らしていることに関しても、そのおかげで「だったらこうすればいいのでは」「それはこのようにも考えられるね」という声をいただけたりするようにもなった。そうして自分では思いも寄らない視点をもらい、そんな解釈があるんだなーと発見になり、また思い込みが外れて行動が変わっていく。プラスのスパイラルだ。
年を取るにつれていろんな要因から失っていく「他者からの支援」を、いつまでも受けられる人でありたい。
これはいつも思うことだが、それを気持ちよく行うのはかなりレベルの高いことと思う。そもそも「それができれば苦労しねえよ」案件であるし、それができるために何が必要かは、状況と個人の特性によってまるで違うためだ。再現性がありそうでない。私に有効な仕方が、あなたには逆効果でありうるし、その逆もままある。
私は、自分と他者を分離させるのでなく、共に属する循環の領域を築き、上昇のスパイラルを描くような繋がりを作りたい。互いにナチュラルに支え合い、互いの豊かさを築くことに貢献し合う。そういう波を、自ら発生させられるし、すでにある波にも乗れるという、そんな柔軟で丈夫な人間でありたい。
そのためにも心のブロックはスイスイとクリアにしていくこと。視点や解釈はどんどん自由にしていくこと。ハートを開いて何事にもかろやかであること。他者の声に目と耳を向けられること。必要な行動や変化はガンガンやれること。行動速度をピッピパッパと上げていくこと。
これらを楽しめる範疇で続けていくことは、今ココも豊かであり、未来も豊かになる素敵な生き方だろうと思う。