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#076|想定が甘い|成果を出すには

年齢や資産の有無で人物を判断したりされたりするのは嫌いで、それよりも「今どういう姿勢で生きているか?」を重視したいと思っているが、世間一般はその指標で回っている。そちらにも対応できるようになろうと思うようになった自分は、一步大人になれたのだろうか。これもまた新しい変化。note365日連続投稿チャレンジ76日目。

想定が甘い君へ贈るアドバイス

とある30代男性が、先輩に人生(仕事)の相談をする過程で、その甘さを詰められまくっているシーンに遭遇した。

「怒っているわけではないが、30も過ぎてそれはちょっと、甘すぎるといわざるをえない」ということで、懇々と諭されていた。

※以下、記憶にある限りの内容をダーッと書き連ねてみる。私の解釈も入っているので100%正確ではない。

仕事計画、人生計画、全てがなんとなくだ、と。思いつきで動き、自分の動きを計測しておらず、その結果に至った原因もわからず、望みを実現するために何が必要かも曖昧で、自分自身がどういう特性や力があるのか(たとえば1日どれくらい集中して生産的に物事に取り組めるのか、どんなことを再現性をもって世に生み出せるのか、自分が他者に提供できる価値は何で、どうすればそれを提供できるのか等)も把握していない。

それなのにただ「あれがしたいこれがしたい」と言っているだけで、実現できるかどうかはまったく未知のまま、何年も単純に同じパターンの行動を繰り返し、失敗を続けて生きているだろう。

今、新しく「やりたい」と言っていること、それが「僕にできますかね?」と私に聞かれたところで、なんのデータもないのでは判断もできない。しかし、君が過去やろうとして、実践したことの達成率を見ることで予想はできる。これまでの目標の達成率は何%だ?それもわからない?成功したことがないと。ならば、今やっていることも失敗する確率が高そうじゃないか?なぜ今回は達成できそうに思う?

どうやってそれを達成するのか?その根拠は?なんとなくそれくらいやれば達成できると思うから?じゃあそれはいいとして、「『それくらい』を実際にやる」ためにどれくらいの時間や行動量がいるの?自分にとってそれはどれくらい大変なの?実際にできるの?できたとして成果は想定通りに出るの?そういう読みが今まで当たったことがないのに、そして成果が出るまで粘ったこともないのに、今回こそは「うまくいきそうな気がする」となんで思えるの?全て思いつきでなんとなくでしょう。

まずは、自分の取った行動をきちんと記録すること。そして記録を理解し、使える形にすること。数字に対してシビアになり、目標を達成していないなら緩めないこと。どんな行動にも意味が宿るために必要な"閾値"というものがあるから、その閾値に至るまでは行動量を重ねること。決めた期間の途中でやめないこと。昨今は「がんばらなくてもいい」風潮とはいえ、人の心が動くだけの「量」というのは絶対にある。人の心を動かせるようにならなければ、何を目指しても難しい。

人はやり直すことができる。しかし当たり前だが、やり直さなければやり直せない。「やり直す」というのは、同じことをもう一度することではない。何度やり直しても同じことをやっていては同じ成果しか出ない。記録して、失敗を知る。失敗を活かして、成功しそうなやり方で再度やり直す。同じことだけ繰り返していたのでは単に「焼き直し」だ。そうしてあっという間に人生は終わる。

本当にやりたいことを1番にやること。それ以外はどうでもいいじゃん、だってそれが本当にやりたいんでしょう?そうでないならそれは嘘で、誰かにやらされていること、言わされていることだ。大事なのは1番大事なことからクリアしていくことだ。そのために大事なことを心に問い、見つめる。やることを決めたなら、期間を決めて集中して取り組んで、データ取って、その結果を反映していく。

とにかく、様々な物事の想定、数字への扱い、考え方、全部が甘すぎる。これからどうやって生きていくのか。まともに考えて、しっかり生きて。その年でこれはやばい。周りから人がいなくなるぞ、と。


耳が痛い

この先輩が言っていることを、きちんとできている人ってどれくらいいんの?と思う。どの集団を見るかによるが、私が育ってきた中でそんなことができていた大人はほとんどいなかったぞ。

しかしその先輩は事業家であり、自分の人生を望むようにデザインできている方なので、一連の言葉には説得力がある。そういう方にとっておそらく最低限以下レベルの「当たり前」が、今言っているようなことなのだなあと考えると、住む世界によって基準値というのは本当に様々であることを実感する。おそらく、これが「大人」だ。

「自由に事業を立ち上げて成功させる」ことを「できるのが当たり前」の世界で生活している人にとっての、基準の一端を知ることができたのは非常によい機会だった。思い切って質問をしてくれた後輩氏にも感謝だ。


私はどうするか

24時間行動の記録を取るようになって2年。私自身、自分の動きがランダムで全然コントロールができないことが嫌で始めた「記録」。しかし、この先輩が言う「使える形」に落とし込めているか?というと、甘い。

私の記録は「人生を味わう」ために働いている部分が多く、「結果を出す」ための働きは充分ではない。

「結果を出せる会話ができる」ことを「大人」のイチ要素とした場合、この記録をそこに対してもっと活用し、私自身も「年齢に見合う大人」であれたらと思う。

今日は姿勢を正される気付きをいただいた嬉しい日になった。ますます5月目標の達成に燃えてきた。明日もしっかりやろう。


✑70分|2300文字

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