無限変化成長ループ|#587S
無限の変化成長ループの入口に立っていると感じる。ついに!ついに!!ドアが開いたぞ!!!といった喜びがある。まずこのドアを開けるために、ここまで努力してきたのだ。くーー。まだちょっと早いが感動している。
(いや。そのドアをくぐってからが本番、スタートなんですけれども。わかってる、それはそれとしてちょっと喜ばせてくれ)
すでに自分自身がこれまでとは違う種類の変化を起こし始めていると思うし、周囲からもとりわけ嬉しいお言葉をいただく。ようやく長い夜を抜けられそうで、とっても嬉しいのだ。今たぶん、朝日が出る前の、少しだけ明るくなり始めたような場所にいる。
こうした有り難いメッセージをはじめ、さらに具体的な内容も入った嬉しいお声がいくつも届いており、自分の変化成長と、それによりご提供できるアウトプットの向上を感じている今月。
人に恵まれていることの感謝を思うし、自分もがんばっていると胸を張れる、この感覚はとても心地よい。
私は神社仏閣が好きでよく参拝に行くのだけど、最近は神仏への感謝を深めるよりも、それはもちろんとして、周りの友人や仲間に対して、「感謝できる機会をどんどん増やす」方がより豊かになるだろうと思うようになった。
「感謝できる機会を増やす」とは、極端な言い方をすれば「他者に負担をかける機会を増やす」ということだ。積極的にお世話になるということだ。
以前は、人に頼み事をする時にも迷惑をかけちゃいけないとか、なるべくは1人でやろうとか、思っていたけれど。それは孤独への道であったし、精神的な「引き込もり」ゆえの選択だった。
このマインドの転換。私は1日を振り返る会のクラハもこの毎日のnoteも、「脱引きこもり」を目的の1つに持って続けているが、その長いチャレンジが実りそうである。
これまでずっと人様に迷惑をかけないように、迷惑をかけないように、という強迫観念があった。(その根っこは母の影響だ。彼女は鬼のように気にするのだ。)そのため、なるべく何かする前にまず完全にならねば、正解を出せるようであらねば、と思い詰めるものの、いつまでたっても完全になんてなれないので、外に出ていけないよという人生だった。
(そんなマインドが心に刻まれているのに小学生の頃から商売をしていたのだから、本来の自分はかなり発想などぶっ飛んでいると思う。しかし10代の自分は若さゆえの自由があり、完全性に囚われるようになったのは10代最後に大きく挫折したことに依るので、あんまり関係はないか)
これからは、ヘマも恥も多くできないことは山盛りな自分のままで、そんな自分にもできることは全力でやりながら、皆様に助けてもらって生きていくのだ。
無限変化成長ループとは、心に思ったことをクリアするまで柔軟さと遊び心を携えて全出力の行動が継続できる、ということである。
また同時に、それは無理だぞ、ということが見えれば気軽に手放して新しい目標を描くこともできるということでもある。
この自由さ。自分を解放していい気持ちよさよ。
ずっと「変わりたい」と思っていた人間が、ついに実際に「ずっと変われる」人間になる。それはいくつであっても感動できる、素晴らしきことだな。