あの夏
2019年夏
自分のことなんてどうでも良くなっていた。
心が、とげとげしていたもので包まれて、ずっと痛かった。
どのくらいかっていうと、
長く伸ばしていた髪を突然肩上まで自宅で切ってしまうくらいだった。
昔から、心が苦しくてどうしようもなくなると髪の毛を切ってしまう。
一種の自傷だったのかもしれない。
このまま此処にいては腐ってしまう。
そう思った私は、自分の状況を変えたくて、気づけば高知に向かっていた。
いつだって、帰りたいと思える場所はそこしかなかった。
学生でお金のなかった私は、初めて、夜行バスを使うことにした。
夜遅く出歩くことを禁止されていた家庭なので、夜行バスに乗るなんて、悪いことをしている気分でとても楽しかった。
ファストフード店の窓から見える夜の新宿は、とても騒がしくて、キラキラと輝いていて、閉店間際の百貨店、帰りゆく人、酔っ払いや、大学生。
夜の街の人間模様は、私が生きていた世界とは違くて、胸が苦しくなった。
夜行バスに女の子が1人なんて…と、心配もされたけど、どこでも寝れる私にとって、夜行バスは快適で、最高の移動手段だった。
車窓から眺める遠くの灯りは、自分の姿を見ているようでなんだか切なかった。
お気に入りのプレイリストを聴きながら眠りにつき、気づけば夜は明けた。
バスを乗り継ぐために降りたとき、
明け方の澄んだ空の美しさを初めて知った。
空気の澄み具合、温度感はとても気持ちいいものだった。
きっと、旅に出なければずっと知らなかったことだと思う。
高知駅に到着した時の感動は今でも覚えている。
ずっと来てはいたけれど、駅の外へと降り立ったことはなかった。
駅を降りて少し歩くと、そこには大きな坂本龍馬の銅像があり、路面電車が心地の良い音で走っていた。
美味しそうなモーニングの香りに、改札の階段にはアンパンマンがいて、自分は今、高知にいるんだなぁと嬉しく思った。
「帰ってきたんだ」と
猫の恩返しのハル並に胸が躍った。
朝食で食べた、
トーストの味は今でも忘れられない。
やっぱり、高知の朝食は美味しくて、あったかくて好きだ。
ここからがさらなる長旅で、電車に2時間以上乗り、さらに南西へと向かう。
流石に祖母の住む場所まで電車で行くのは面倒くさくて、仕入れついでの祖母を呼び出して、途中の駅に車で迎えに来てもらった。
久々の祖母との再会に喜ぶのも束の間、祖母は当時スナックをしていたから、仕込みの為に、と、家で休む間もなくお店に連れて行かれた。
その祖母の、勢いが、
私にはとても心地よかった。
家に一人で置いておくのが心配だったらしく、私をお店まで連れて行ったらしいが、常連のお客さんに、スナックに連れてくる方が危険では…?と怒られていた(笑)
常連さんが歌うカラオケを聞きながら、のんびりと祖母の仕事が終わるのを待った。
何度見ても、祖母の働く姿は美しい。
今は亡き祖父と一緒にしていた自営業でも、男社会に置いて行かれぬよう働く祖母は誰よりも格好良かった。
祖母は、色々な苦しい経験しているけれど、自分が置かれた場所でしっかりと咲き誇り、常に笑顔と人への感謝を忘れずにいれる人だ。
そんでもって、どこかネジが飛んでいて、ユーモアがあるから一緒にいて楽しい。
日々一緒に過ごす互いの生活のペースや、大事にしたいものも合っているから、とても心地がよかった。
滞在している間も、夜は仕事があるのに昼間は様々な場所に連れて行ってくれたこと感謝している。
そういうホスピタリティ、受け継いでいきたいと思うし、祖母の凄いところだと思う。
特別、何かをしたわけじゃない。
ただ、5日間、祖母と海を見たり、お寺さんにお参りしたり、美味しいものを食べたり、夜はスナックに行って、
沢山の人の人生に触れ、沢山の人と話をして、
ただ、そういう5日間だった。
人生まだまだ、頑張れそうかも。と思った。
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