地獄の打ち合わせ

*これは実話である。

私は、担当の理解できなかったギャグを、5時間もかけてすべて説明させられるという、地獄の打ち合わせを経験したことがあるのです・・・・・・。


数年前、「世田谷一番乗り」という50枚の短編で小さな文学賞をもらい、出版をするにあたって新しい作品を書下ろすことになりました。その中の一作が書籍のタイトルにもなった「余裕の暮らし」です。

賞をいただいた短編は「モンティ・パイソンのようにコントの連続で一本の小説を書くことができないか」という狙いで書いたものです(もう一つ、深沢七郎の「東京のプリンスたち」がやりたいという狙いもありましたが、それはまた別の話)。

書下ろしを書くにあたって、それも初めての本ということになれば、この手法を発展させたいと考えるのは、それなりに野心のある書き手として当然でしょう。

「余裕の暮らし」(137枚)は、「ギャグの連鎖で一本の小説を書く」という狙いで書いたものです。前者と比べれば、リアリティとしては漫画チックになりますが、笑いの手数は増えます。つまり、その137枚にはギャグがたくさんある、です。

小説でギャグというのは、とっても理解されにくい在り方です(ギャグという言葉は便宜上のもの)。それは私もよく知ってます。「専門は文学」とのたまうような人でも、必ずしも小説でギャグを理解できるとは限りません。読者だって少ないでしょう。それでもあることはありますし、私としてはそういう小説を志してます。

さて、すでにコントの連続を狙って書いた小説で賞をいただいた私ですが、その人が出す本についた担当が、ギャグを理解しないなんてことがあるでしょうか。

あります。この担当にしても、別に自分の意志で担当になったわけではないで、まぁそう不思議でもない巡り合わせではあります。

書下ろし一本目にあたる「余裕の暮らし」を提出したところで、私は打ち合せに呼ばれました。

自分としては自信作です。「世田谷一番乗り」を書いたときに、おぼろげながら自分の文体を掴んだような手応えがしましたが、この次作で自分のスタイルがよりはっきり打ち出せたと思いました(ここまでは幸せな展開)。

この「余裕の暮らし」が本のメインになるだろうと感じました。多少荒削りであっても、他の誰にも似ていない特徴のある、新人の第一作としてあらまほしい本ができるような気がしました(自分で言うのはなんですが、誰も言ってくれないのでね)。

しかし、担当は難しい顔です。単刀直入かつ強硬な態度で、要望を伝えてきます。

この新作はまずい、全面的に書き直してほしい。

そう言われて「はい、わかりました」というわけにはいきません。それが作品をよく読んだうえでの適切な判断だというならともかく、担当は「読めてない」からです。

「誤読」という言葉がありますが、読んでるつもりがまったく意味を取り違えているということは、恐ろしくもあるのです。「小説でギャグ」の手法で書かれたものほど、これがあからさまに出てしまうこともないでしょう(ただ、なぜかこの場合には誤読という言い方はあまりされませんが)。

相手の意見に妥当性があるというならともかく、読めていない人に合わせて、相手が納得できるように直したところで、まったく別の作品になってしまうだけです。それでは自分が書く意味がない、というくらい別物になってしまうでしょう。

要求に従って、「ギャグの連鎖で一本の小説を」と狙って書いたものからギャグを抜いたらどうなるか。ありきたりで凡庸な小説が残るだけです。

(ですが、たとえありきたりで凡庸でも、ギャグばかりの小説よりはずっと喜ばれる、その方が読者も多いだろう、というところが、この話の難しいところです。そして、相手が自分は読めてないとは全然考えてないところが、この話のもう一つの難しいところです

しばしば極端と言えるくらい賛否両論が分かれる私の作品です。担当のその反応も想定内のことではありました。それまでのやり取りからも、そういう反応をするだろうということは予想していました。

というわけで、私としても説得します。「あんたは分からんかもしらんが、これで大丈夫。大丈夫だからおれに任せろ」と、いや、そうは口に出しては言わなかったかもしれませんが、とにかく意を尽くして説明・説得です。

そういうわけで、担当の方から「1ページ目から見ていきましょう」と言いましたよ。そして、ここが分からない、ここが分からない、と指摘してくる点が、もう面白いようにみんなギャグの部分なのです。

「全面的に書き直せ」というのは、この場合、全編に散らばっているギャグが理解できないということなのです。というか、そもそもそこがギャグであるということ自体が伝わってないのです(もちろん、分かる人は何も説明しなくたって分かるわけで、つまらないというのとは違うのです、念のため。つまらないと分からないは別の話です。いずれにしても、分からない人にはつまらないでしょうが)。

(はっきり言って、こういう賛否両論現象に慣れてる当の私でも、あんまり明確に違いが出てしまうと不思議に思うことがありますし、いまだに困惑させられます。「読んでおかしいと感じるか感じないか程度の話でしかない」わけですが、多分、文章に笑いを持ち込まない人には、これは実感できないのではないかと思います。そして、笑いといっても他ジャンルでやられてる方は、これほどまでに読み間違えられることはないのではないかと思います)

(更に言うと、おかしいときは「おかしかった」という程度で軽く済まされてしまうし、済む話ですが、それを否定したがる人は、何をそこまで気に入らないのか、やけに強い口調で大袈裟に否定してくるのです。完成度についてとやかく言うならともかく、ジャンルや傾向そのものを否定してくるわけです)

話を戻して。

私は、相手に分かるように説明しなければいけない立場に追い込まれたわけで、しょうがないからしましたよ。

少しでも笑いに詳しい方、笑いに携わってるような方は、分かってない相手にギャグを自分で解説するというのが、どれほどキツイことか、お分かりでしょう。

それを、400字詰めで137枚の小説の随所にちりばめられたギャグ、ほとんどすべてについて、頭からケツまで、午後2時から7時までかけて、やったのです。

小林信彦がどっかで「(分からない人は)説明されてようやく笑う(ことがある)」というようなことを書いていたと思いますが(太字にしましたが曖昧な引用です)、この地獄の打ち合わせにおいてもそういう場面は何度かありました。

私の解説を聞いてようやく文意を理解した担当が「あー、そういうことですか、ははは」と笑うのを見て、私がどれほどげんなりしたか、想像にお任せします。繰り返しますが、相手は自分のはじめての本の担当です。

この説明されてようやく笑うという態度には、「だったら最初からそう書いてよ」という批判も内に含まれているわけですが、老若男女誰も彼もに伝わるように詳しい説明を加えていたら、笑いが死んでしまいます。そんなことをしていたら子供番組になってしまうでしょう。

打ち合わせというものは色々と経験しましたが、中身にまつわる話は五分とかからないことも多いです。相手「こんな風にして」、私「分かりました」と、こんな程度の簡単なやり取りで終わってしまうことが大半だったりします。

この担当の理解できなかったギャグを、5時間もかけてすべて説明させられるという打ち合わせは、私が経験した中でも最も印象に残っているものの一つです。こんな徒労感を感じた打ち合わせは、他にありません。

ところで、相手が話が通じないとなると、取るべき選択肢は基本的に二つです。「それでも相手の意を汲む」か、あるいは「自分の意見を押し通すか」です。(「別の話が通じる人に代わってもらう」という選択肢も場合によってはあるかもしれません)

「映画は共同作業」とか「本作りは共同作業」などと言いますが、あまり主張されませんが、その共同作業というのにはこういう側面もあるのです。こういう現実的なことはあまり言われませんが、何をやるにしても人と金が絡めば妥協というのは必須です。重要なのは、うまく自分で自分を納得させてモチベーションをキープすること、こっちです。

現実には、力関係やいろいろな事情も絡んできて、前者を選択せざるをえない(実質選択の余地がない)ことも多々あります。私も「言うことを聞かなかったのでクビになった」という経験はあります。「自分の意見を押し通」してみるという選択ができるというだけでも、実は恵まれているのです。最終的な結果がどうであれ。

本当は、そういう相手に出くわさないのが一番なんですが、出会ってしまった以上「付き合うしかねーか」と考えるのが、まぁ大人の態度というものです。

ですが、これに相手が大人の態度で返して来るとは限りません。予想をはるかに下回ってろくでもない下衆(げす)ぶりを発揮する、ということだって、現実には起こります。諸事情あって、自分から「おりる」とは言い出せない状況に追い込まれることもあります。ドツボにはまる可能性はいつだって開かれているのです。ねー。

この場合、私は後者を選びました。曲がりなりにも受賞者という立場があったおかげで、その選択肢を選ぶことができた、というところです。振り返ってみれば感謝すべきことです(ちなみに、この立場では、「担当を替えてほしいという主張はできにくいです。一度角が立たないようにやってはみたんですけど、担当自身が最後まで自分がやると言い張りましたよね)。

そういう立場(これ自体は相手から与えられたもの)はあっても、相手には一方にはこちらを出入りの業者程度にしか考えてない部分だってあって、もちろん抵抗というのは受けます。まぁそれは「自分の意見を押し通す」という選択肢を選んだ以上、引き受けなければならないことです。

話が通じない相手というのは、面白いもので、どこまでいっても、話が通じません。不毛と言えば不毛な関係ですが、それを乗り越えないことには作品が完成および発表できないというのであれば、やらざるをえません。

ホントに「あーいやだ」と思いますが、何か人と一緒に仕事をするたびに、どうしてこのような不毛な闘争をしなきゃならんのですかね。ただの闘争ならまだしも、これはただただ不毛です。分からない人は、説明したって結局分からんのですから。

センスという言葉はいかにも雑ですが、センスが合う合わないの話でしかないのであって、合う人にさえ出会えれば、いちいちこんな徒労感を感じなくて済むと思うんですが、そんな出会いに恵まれたことはないです。

この「余裕の暮らし」が最終的にはどうなったかを、以下に簡単にまとめておきます。

私としては、選考委員に読んでもらって判断を仰いでみてほしいと提案しました。

これではあまりにもあからさまに「担当を信用してない」ということになってしまいますが、それもしょうがないじゃないですか。「読めないお前が悪い」とは口に出しては言いませんが、このケースではいずれにしても選考委員の許可を得られないと次のステップへ進めないようになっていたのです。

実のところ、担当個人は「こんなもの選考委員に読ませられない」という判断をして自分のところでストップさせようとしたわけですが、私がゴリ押しました。話が噛み合わない担当といくらやり合っても意味がないからです。

それで。

選考委員二名のうち、ひとりは絶賛でした、こう言ってはなんですが。ついでに言いますと、この方は芥川賞作家です。有名人だということです、その筋では。ありがたいことです。

そして、もう一人は面白いくらいの全否定でした。全部書き直さなきゃダメというのがその方のご意見です。ついでながら、こちらの方も芥川賞作家です。

後者の方は「ウソばかり書いてある」と仰るわけですが、せめて「誇張」って言ってくれないかなと作者としては思います。誇張って笑いの基本でもあるわけで、もうそこから誤読されてる(とあえて言いますが)んですよね。

とはいえ、率直に言いますと、このお二方の反応は私の予想通りでした。最初の50枚の受賞作に対する評価、その評価してるポイントを聞いて、多分これにはそういう反応をするだろうと思ったのです。

これを受けて担当がどうしたかと言えば。

担当は、自分と同意見の方を採用してきますよ。ほら見たことか、と言わんばかりに。あのね、そういう意見が出ることは分かってるわけですよ。でも、一方には絶賛という意見だって出てるわけで、そっちはどうなるという話です。

こういう人にかかると、自分と違う意見はいとも簡単になかったことになってしまうんですな。人は自分に分からないものをなかなか認めようとはしないものです。これはホントです。これを「自分のこととして経験する」人も、そういないのかもしれませんが。

そりゃ、多数決を採れば、私はいつだって負けますよ。マイナーだというのはそういうことですから。でも、こーゆーものは多数決で決めるものではないじゃないですか?

(まぁでも結局ねー、色々なものがごちゃごちゃ存在できないというのは、そのジャンルが貧しいってことなんですよねー)

作者本人としては、面白いって思う人がいるんだからそれでいいじゃないか、というところです。否定的な意見を、それがわざわざ声高に主張されるからと言って、みすみす聞き入れて、作品を引っ込めなきゃいけない謂れなどないだろうと思うのです。引っ込める=発表できなくなる、という意味ですから。

わざわざ選考委員お二人の経歴を添えたのは、そーゆーレベルでもこれくらいはっきり意見が分かれる(とか誤読する)、ということを一般に分かりやすく知ってもらうためです。

結局、中編「余裕の暮らし」に関しては、肯定的な意見もあるのだからと、私がゴリ押しにゴリ押しをしまして、思う通りの形で本に収録しました。

書籍『余裕の暮らし』は、最終的に「中短編4本と長いあとがきを含む小説集」となってます。


拙著に興味のある方はこちらから(在庫極少!)

四本出揃ってみたところで、やはり当初の予想通り表題作「余裕の暮らし」がメインとなったわけですが、これが分かるか分からないかが踏み絵のようになっていると言えるかもしれません。

ちなみに、小説に多少なりとも馴染みのある方なんかは、過去作で担当も納得のいくものから採用し加筆訂正した「牧野夫妻の奇妙な冒険」という怪奇幻想風味の不条理喜劇を面白いと言ってくれる傾向にある気がします。

ランディ・ニューマンとポール・サイモンが共演した「ブルース」という佳曲を勝手にイメージソングにして、かつデイモン・ラニアンを意識して書いた「二番目の男のブルース」(セカンドベスト・キッド・ブルースと読みます)は、あまり言及されることはないですが、自分では気に入ってます。

収録作のうち「牧野夫妻の奇妙な冒険」を除いた三編「世田谷一番乗り」「余裕の暮らし」「二番目の男のブルース」は、同じ人物があちらにもこちらにも登場するなど、ゆる~くつながってます。

タイトルを鵜呑みにして、そのまんま「余裕のある暮らし」が描かれていると思う人も多いらしいのですが、これは「これのどこが余裕の暮らしなんだ」とか「これでも筆者は余裕の暮らしと言い張るらしい」とか、うがったというか、皮肉を込めたタイトルです。

漫画家のあらいあきさんに描いていただいた素晴らしい表紙イラストと合わせて考えてみれば、タイトルに込められたニュアンスも分かりそうなものですが、多分、分からない人にはここから分からない、ということなのかもしれません。


ハッシュタグ「#地獄の打ち合わせ」で、打ち合せにまつわる皆さんの地獄の経験を教えていただくのも面白いかなと思ったりします。まぁこのサイトの特質上というか皆さんのお人柄上、あまりやるような方もいないかとは思いますが。

気が向いた方は、勝手にやってください。笑い話にしてくれても、読むのもつらいくらいにしてくれても、ご自由に。って私は何も責任とりませんが。

まぁ他人事であればなんだって笑ってられるもんです。あるいは、似たような経験をしてる方には慰めになることもあるかもしれません。


以下に、オマケとして、簡単な制作進行表に沿ってボツ原稿のことや制作裏話を書きました。興味のある方はどうぞ。


書籍『余裕の暮らし』の制作は、2011年1月(とはいっても実質4月)から2011年11月にかけて行われました。原稿自体の締め切りは2011年7月末です(あとがきだけ8月になりましたけど)。

つまり、本文となる小説の原稿自体は4月から7月の4ヶ月に書いたことになります。

原稿が仕上がった段階で、表紙イラストの作成と校正に入りましたが、諸事情あって、校正はほぼ100%私が一人でやりました。著者校じゃないですよ、校正を一から十まで自分でやったということです。専門の校正者は入ってません。

通常ありえない話ですし、自分でやるということを知らされたのも、原稿を書き上げたあと、ゲラが出たときです。青天の霹靂とはこのことです。だって、こっちは校正のイロハも何も知らんのですから。

で、その校正が、イロハを知らないせいもあり、毎日みっちりやって、8月~10月で丸二か月もかかり、それが終わってあとは印刷、11月に仕上がりとなります。

簡単に進行表ぽく記してみます。記憶に頼ってなので多少事実とは違う部分もあるかもしれませんが、だいたいこんな感じでした。

1、300枚手前まで「自主的に」書き進めた長編(2011年1月~3月)を、「このままでは長くなりすぎるから」という理由で「自主的に」ボツにする(そういえばあれ以来手をつけてない。幻想怪奇風味のオフビートな変な小説でしたよ。J・P・ドンレヴィ―を読んだ今なら、もっと面白く書けるかもしれない)。

2、46枚の短編(2011年3月)が、担当の判断でふさわしくないからとボツになる(かなりブラックだったが自分では気に入ってた。でも本のトータルカラーを考えると入れなくてよかったかも、結果論としては)。

3、「余裕の暮らし」(137枚)書く。2011年4月~5月。

4、「二番目の男のブルース」(87枚)書く。2011年5月~6月。

5、「牧野夫妻の奇妙な冒険」改稿する。49枚が61枚になる。2011年6月。すべて私のカラーで染めるのを危ぶんだ担当が、私の過去作から担当も納得のいくものを見繕って、加筆訂正させる。(まぁこれは私も納得はしたし、発表できたこと自体はよかったけど、気持ちとしては新しく書きたかった。「牧野~」の一稿は2009年に書いたもの。公募で一次落ちしてるんですけどね)

6、各作品推敲、多分。2011年6月~7月。受賞作「世田谷一番乗り」は50枚から63枚になる。

7、あとがき第一稿(31枚。2011年7月)が、担当およびその上司の判断で、やはりふさわしくないからとボツになる(ふん)。これを書いてもらっては困るという部分に赤線が引かれる。

8、あとがき第二稿(32枚)2011年8月。赤線があった部分を一部そのまま残したが、何も言われない。それに「同じ予算であと何枚書けるか」を問い合わせたのに、担当から返事がないままだった。書き直せと言ったくせに、どういうつもりなのか。というので、私は何枚まで書けるか分からないまま書いていたのです。ありえんよ。枚数によって印刷費が変わるのだから、むしろあちらにとって、とても大事な部分なのだが、意味不明。

などなど、色々すったもんだありました。制作に関してだけでなく、その後の流通や配本などについても。

すったもんだを全部書いてたら本が三冊くらいできてしまう、とんでもなく(無駄な←ここ超重要)苦労の多かった仕事で、ここに書いたことは氷山の一角も一角です。

「世田谷区芸術アワード飛翔’文学部門’」と「世田谷文学賞」を二つもらってるのに、担当が作った帯では「世田谷文学賞」のことがどこにも触れられてない、とか、そういうこともありましたね。

上の方で、「一度担当変わってくれないかと打診したけど、担当自身が最後までやると言った」と言いましたが、これには、この担当が己のミスや悪意ある過失や杜撰な仕事ぶりを、引き継ぐことで人(同僚や上司)に知られたくない、という身勝手な理由もあったんですね。私の出会いは、こーゆー出会いばかりですよ。

実際問題、この自分にとってはじめての本を作っていた2011年の間中、どころか翌2012年に入ってしばらく経つまでも、私はもうずーっと怒髪天を衝いて怒り狂ってました(笑)。ははは。

本自体は、苦労の甲斐あって、納得のいくものができました。仕上がり見ても嬉しくはなかったですけど、というか、ほっとしたというのが一番でしたね。イラストの仕上がりを見たときだけ、「おおっ!」っとテンション上がりました。それくらいです。


以上となります。長文にお付き合いいただき、ありがとうございました!



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十佐間つくお
いただいたサポートは子供の療育費に充てさせていただきます。あとチェス盤も欲しいので、余裕ができたらそれも買いたいです。