たやすい仕事 4/4
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何かされたような気がして、目が覚める。
ベッドの上らしい。
体がだるく、頭が重い。
不吉な夢を見たらしい。余韻を感じながら、シーツを撫でるようにして確かめる。それがシーツであることを。摘みあげてひねると、渦巻状にしわができる。
また一日をはじめなきゃいけないと思うとうんざりする。特に今日みたいに、厄介な仕事を抱えているときは。
何とか起き上がり、さっと洗顔を済ませる。タオルで顔を拭きながら、まだソファで寝ているフランキーの足を蹴る。
「起きろ」
フランキーはうめきながら目を開ける。まぶたが腫れぼったい。
「すまん」フランキーがうろたえたように言う。
おれたちは身支度を整える。着るものは昨日と同じだし、十分とかからない。フランキーに部屋を点検させている間に、おれは清算を済ませる。玄関ドアについている小さな窓口を通して、やって来た従業員に金を支払う。互いに顔を見ないで済むつくりだ。最後に、自分でも何も痕跡を残していないことを確認して、部屋を出る。
外は快晴。
おれは、上着のポケットに入れてあったキーを取り出し、運転席に乗り込む。
フランキーは車庫の仕切りカーテンを開けに行く。おれはそれをバックミラー越しに見る。そう、それがお前の役目だ。
「誰もいない」
フランキーが助手席に乗り込みながら報告する。
おれは車のエンジンをかけ、ギアをバックに入れる。念には念で、ここには楽しみに来ただけだという表情を作る。実際、お楽しみはないこともなかったんだから。
ホテルから出る道は一つしかない。出口専用の細道に隣りあって、入り口専用の細道がある。どちらも未舗装で、真ん中に植えられた樹木で分離されている。
おれはゆっくりと出口専用の道に入っていく。
入れ違いにホテルに入って行く車が一台、木の向こうに見える。一瞬、知ってるやつらが乗っているような気がするが、顔を見ることはできない。
「まだ朝だぜ」フランキーがからかい混じりに言う。
時計を見るとまだ九時にもなっていない。まぁ、そういう奴らもいるだろう。
公道を左に出る。車の通りは少ない。
おれはすみやかに仕事を片付けられそうな予感がする。
「腹が減らないか」フランキーがおずおずと言う。
おれは気がそがれて軽い苛立ちを覚える。それを感じ取ってか、フランキーは萎縮したように黙り込む。食料はすべて昨夜のうちに食べてしまっていた。あとに控えている仕事のことを考えると、確かにしっかり食べておいた方がいいだろう。
行く手にコンビニが現われる。昨日と同じ店だ。
広い駐車場の隅に車を停める。店内から死角になる場所だ。
「おれが行く」エンジンを切るよりも前におれは言う。
フランキーは黙っておれを見る。その目に少し反抗の色が浮かぶ。
「お前は昨日行った」
フランキーは何も言わないが、納得したわけでもない。
「同じ奴がいるとまずい」
「もう夜だった」
同じ店員が今朝もいる可能性は低いと言いたいのだ。
「ダメだ。防犯カメラだってある」
近所に住んでるわけでもない男が二日続けて買い物に来ているところを撮られるのは、好ましくない。おれはフランキーを黙らせ、朝飯を買うために車を降りる。
店内に入ると、まっすぐ目的のコーナーに向かう。パンやおにぎりをいくつかと、飲み物を二つ。選ぶのに時間はかからない。レジに行くと、雑誌を品出ししていた店員が小走りに戻ってくる。他に客はいない。店員は最小限のことしか言わず、おれも一言も発しない。お互い顔も見ないまま、会計を済ませる。
店を出て、建物の角を過ぎたところで顔をあげる。
おれたちの車の脇で、肩で息をするようにして立っているフランキーの姿が目に入る。奴の足元に、誰かが倒れている。
くそっ、どういうことだ。
おれは駆け寄りながら辺りをすばやく見回す。誰もいない。駐車場にはおれたちの車があるだけだ。通りを走る車もない。誰もこの出来事を見ていない。
倒れているのは、痩せて汚らしい格好をした初老の女だ。ぴくりとも動かない。
「こいつが中を見せろって言うから」
フランキーが、女とトランクを曖昧に指しながら言う。
おれは女をよく見る。うつ伏せのため顔ははっきり見えない。血はどこからも出ていない。しかし、呼吸をしていないように見える。
「見たのか」おれは言う。
「え?」
「中を」
「いや、その前に」
フランキーは、自分のやったことを自覚し、怯えた目つきになる。
おれは、こうなってしまった以上どちらでも同じだと気がつく。とにかく、女はなぜだか知らないがトランクの中身に関心を持ったらしい、間違った関心を。
突然、女がびくりと痙攣し、小さく苦しげなうめき声を上げる。
生きている。
おれは女の傍らにしゃがみ込むと、両手で頭を抱えて力任せに捩じる。何も考えずにそれをやる。まるで、そういうことをやり慣れてるみたいに。首のところでぐぎっといやな音がして、女の体から力が抜ける。
「開けろ」
フランキーはすくみあがって動けない。
「開けろ!」
フランキーは運転席のドアを開け、シートの下のトランクレバーを引く。トランクがぼっと音を立ててわずかに開く。
おれはトランクを押し開けながら、もう一度周囲を見る。誰もいない。女の後ろから脇の下に手を入れて抱きあげると、上半身をひねるようにして中へ放り込む。もう一つの死体と重ねるようにして。そして、すみやかにトランクを閉める。
おれは放り出した買い物袋を拾いあげ、女が身に着けていたものや何かが落ちてないことを確かめる。運転席に回りながら、フランキーに「乗れ」と怒鳴りつける。
フランキーはびくっとなって、慌てて助手席に戻る。
運転席のドアを閉める前に、もう一度辺りをよく見る。店に客は来ていない。店員からも見えていない。おれたちがいる辺りを写すカメラもない。通りには人も車もない。通りの反対側にある二軒の家からも誰もこちらを覗いていない。
おれは買い物袋をフランキーに投げやり、キーを差し込んでエンジンをかける。前進で大きくカーブを描いて駐車場を出ていく。
慌てずに車を走らせ、ゆっくり確実にコンビニから遠ざかる。
フランキーが事情を説明しようとする。
「黙れ」おれは有無を言わせぬ調子で言う。
フランキーは、萎縮したように口をつぐむ。
おれもフランキーも黙ったままだ。すれ違う数少ない車も、おれたちに注意を払うことはない。どんなサイレンも聞こえてこない。ひとまず、うまく切り抜けたらしい。
「何があった」ようやくおれが言う。車を走らせ、前を見据えたまま。
「イカれたババァだよ」フランキーが言う。
何日も風呂に入ってなさそうで、いつも独り言をいっているような変人。それが女の印象らしい。確かに、倒れているところを見てもそんな風に見えた。
フランキーが言うには、女はまっすぐ車に近寄ってきたという。驚いて様子を伺っていると、トランクに鼻を近づけて匂いを嗅ぎはじめた。それで追い払おうと外に出ると、いきなり中を見せろと詰め寄ってきたのだ。
「鼻がいいから分かるんだ」女は言ったという。
「なぜだ」フランキーが今になって当惑したように言う。「自分だって臭うような女が、どうしてそんなことが分かる」
おれは何も答えない。答えようがない。
フランキーは誤魔化そうとしたが、女は執拗に迫ってきた。ヒステリックに笑いながら、お前のやったことはお見通しだと言わんばかりに。
だからフランキーは殴った、怖くなって。
倒れるとき、女は地面にもろに後頭部を打ちつけた。ぞっとするような音がしたという。やりすぎたと思ったところへ、おれが戻ってきた。
その話をどう理解したらいいか分からない。
女がどんな奴なのかはどうでもいい。なぜトランクの中身を怪しんだのかもどうでもいい。とにかく、死ぬ運命にあったというより他にない。つまらないことに首を突っ込むからだ。そうだ、あの女は死ぬ運命だった。駐車場で倒れているところを見た瞬間から、おれにはそれが分かっていた。
肝心なのは、女がいなくなって騒ぐ連中がいるかどうかだ。いるとすれば、騒ぎはじめるまでにどれくらいかかるかだ。
「この近所のやつだ」フランキーが言う。
「確かか」おれは顔を見て確かめる。
「あぁ。歩いて来た」フランキーは真剣だ。
おれはその言葉を信用する。
仮に、女が家族と一緒に近所に住んでいるとしたら。
なぜ外に出たのか。散歩か、コンビニに用があったのか、誰かに会いに行く途中だったのか。いずれにしろ、鞄や買い物袋といったものを持っておらず、遠出するような格好でもなかった。あの女がしばらく戻らなかったら、そうかからずに家族や知り合いの誰かがおかしいと思うかもしれない。そう、昼が来る頃までには。
女が一人暮らしだというなら、もう少し余裕はあるだろう。だが、おれたちに都合よく考えるわけにはいかない。昼が来る頃までには処理すべきだ。
「あんな、殺さなくても」フランキーが怯えて言う。
おれは横目に睨みつける。
「最初に殴ったのはお前だ」
その段階で死んでいた可能性だって十分ある。
「ババァは何も知らなかった。あのまま逃げたって」
フランキーはあくまで現実を受け入れまいとする。
「顔を見られてる」
フランキーは言葉に詰まる。顔を見られたのはこいつだけなのだ。
「他にどうすればよかった」
考えがあるなら言ってみろ、バカめ。
フランキーは答えられない。
当然だ。そうするしかなかったからだ。殺すしかなかった。あの女は殺される運命だった。最初に見た瞬間から、おれにはそのことが分かっていた。
フランキーは、起きてしまったことを認めて黙り込む。
おれは明るい側面を見るように努める。
もしかしたら、気づかれるのはだいぶ遅くなるかもしれない。あの女は本物の変人で、一人暮らしで、地域でも孤立した存在かもしれない。遅れてくれればくれるほど、こちらにとってはありがたい。うまくすれば、誰も不審がらないかもしれない。捜索願が出されるようなことがあっても、誰も殺されたとまでは考えないかもしれない。
とにかく、後始末をきちんとすることだ。
だが、くそっ、事が起きたときに店の防犯カメラに映っているのはおれだ。
あの女の足取りが詳しく調べられて、コンビニに向かったことが分かれば、店のカメラはチェックされるだろう。そこにはちょうどその頃に買い物をしているおれが映っている。証拠は何も残していない。目撃者もいない。だが、疑いは持たれる。おれが誰か調べられ、素性がバレたら、疑いはますます深まるだろう。
なんでこんな目に。
どうしてこんな仕事を。
フランキーが手の甲で目をこする。
泣いてやがる。
ガキが。役立たずの、甘ったれの、ケツの穴野郎。
どうしてこんな奴と。
どうなってる、おれは今どこにいる、何をすればいい。
ばらばらになるぞ。
おれは自分がばらばらになりそうなのを必死で抑える。
くそ、頭が割れそうだ。
「大丈夫か?」フランキーが涙声で言う。
おれは片手の掌でこめかみを押さえつける。
「おい」フランキーが不安を帯びた声で聞く。
おれは苛立ちを抑えられない。
頭がずきずき痛む。
「埋めるんだ」おれは言う。
フランキーは何も言わない。
「二つとも。さっさと終わらせる」
フランキーは黙って頷く。もう涙は止まったらしい。
おれは車を走らせる。
深い森の間を富士山頂に向かって伸びる、ゆるい上り坂を進む。少し冷えてきたと思うまもなく、霧が立ち込める。あっという間に白い煙に包まれる。濃い霧だ。ほんの十数メートル先も見えないほどの。おれはフォグライトを点灯し、スピードを落とす。
時速三〇キロ、時速二〇キロ、時速十五キロ。十メートル先、五メートル先さえ怪しくなる。方向感覚がおかしくなる。そして同時にこう感じる、まだツキには見放されていないらしいと。
今なら誰にも見られずにトランクの中の荷物を運び出すことができる。森に入ってしまえば、人の目は届かない。
「やるぞ」
おれは車を路肩に寄せる。エンジンを切ろうとすると、つけっ放しにしていたラジオから音楽が流れてくる。
Won`t you change partners and dance
You may never want to change partners again
おれはその曲に聴き覚えがある気がする。
だが、うまく思い出せない。
歌は終わり、エンジンを切る。
仕事だ。
おれはフランキーを見る。フランキーもおれを見る。おれもフランキーも、何をやればいいのか分かっている。この霧に紛れて。
車を降りてトランクに回り込む。
一番の危険はトランクから荷物を出すこのときにある。荷物は重くて一体ずつ運ぶしかない。その間どうしても無防備になるし、何か起きてもすぐには逃げられない。おれたちは誰にも見られたくないのだ。だから、この霧を味方にする。
まず、上になっているまだ生温かい方の荷物を担ぎ、森に入る。森の中も霧でまるきり見通しがきかない。感覚を研ぎ澄ませて方向を見失わないように進む。少し奥に入った、道路から目の届かない辺りに、いったん荷物をおろす。道路からは死角になるように、木の幹に背中をもたれかけさせて。勘を頼りに。
それからまた車に戻る。トランクからもう一つの荷物を出し、同じように森の中へ運ぶ。こちらは完全に硬直している。一往復目の記憶を頼りに、方向に注意して進む。やがて、白煙の中に先ほど下ろした荷物が現われる。おれたちは、その隣の木の根元にもう一つの荷物をおろす。
またしても車に戻り、今度は後部座席の道具類を手分けして持ち出す。コンビニで買った食料もだ。霧はまだ濃く、他の車が通る気配はない。道具はすべて持ち出し、車には何も残さない。キーも抜いておく。
ようやく荷物をすべて運び出し、一息つく。
道路からおよそ三十メートルの地点。ここがひとまずのベースキャンプになる。霧は深く、一向に晴れる気配はない。木立はそれなりに密になっている。霧が晴れたところで、どの方角も見通しは悪いだろう。おれたちはこれからもっと奥へ進まなければならない。
すべてを滞りなく、すみやかに遂行すること。そして、方角を見失わないこと。荷物をうまく処理したとしても、車まで戻って来ることができなければまずいことになる。車はまだいいとしても、森の中から出られなくなったらシャレにならない。
おれたちは、霧が晴れるまでその場で待つことにする。
その間に女の衣服をすべて脱がせる。妙なことを企んでいるわけじゃない。みつやすくんが最初から裸だったのと同じで、手がかりを残さないようにだ。脱がせた衣服はあとで捨てるか燃やすかする。
服を詰め込んでおくために、コンビニ袋の中身を空ける。かすかに悪臭を放つ女の汚れた衣服はそこに十分収まって、おれは口をきつく結ぶ。
フランキーは朝飯にかじりつく。サンドイッチを食べながら、丸裸で地面に仰向けに転がされた女をまじまじと見ている。おれはペットボトルのお茶を飲みながら、そんな奴を横目に見る。
「ひっくり返せよ」全身をくまなく観察したいだろう。
フランキーははっとなってあらぬ方を向く。
奴が何を考えているのか、知りたくもない。
朝飯はうまい。二つの死体の横でも。
食べ終わろうとする頃、霧は晴れそうな気配を見せる。
おれは後ろを振り返って目を凝らす。道路は、今おれたちがいる場所より少し高いところを走っている。路肩に車が停まっているのを見ても、誰も気に留めないに違いない。せいぜいキノコ狩りか何かと思う程度だろう。
わざわざ車を降りて覗き込みでもしない限り、今おれたちがいる森の中の様子は分からない。そんなことをする奴がいたとしても、死体も道具類も木の陰になって見えることはない。少しの間なら荷物を置いて離れてもかまわないだろう。
仕事をするのに適した場所を探さなければならない。とはいえ、ひとまず手ぶらで歩いていって、いい場所を見つけてから戻ってきて改めて荷物を運ぶ、という手間をかける必要はない。そこまで慎重になることはない。すでに外界からは隠れているのだから、すみやかに森の奥へ入っていくんだ。
おれたちは今度はみつやすくんから運んでいく。女の死体はまだ人肌の温もりが残っていて、それが逆に気持ち悪いから。
少し進んでいったん荷物をおろす。おれはビニールテープを傍らの木の幹にぐるりと一周巻きつける。マーキングだ。やや引いたところから見映えを確かめる。よさそうだ。ベースキャンプもよく見える。それからまた荷物を持ちあげて進む。
フランキーに合図してまた荷物をおろす。おろすのに気を使う必要はない。振り返ると、さっきマーキングをした木がよく見える。見えなければ困る。おれは再び傍らの木に同じように印をつける。ちょうど胸の高さ辺りに。
もう一度荷物を持ち、ある程度進んだところでまたおろす。さっきのマーキングがよく見えることを確認して、同じことをする。面倒だが必要な作業だ。迷わず帰れるようにしておかなければ、もっと面倒なことになる。それにちょうどいい休憩にもなる。
そんなことを何度か繰り返したあと、おれたちは地面に亀裂を見つける。地震によってできたのか、左右で三十センチほどの高低差がある。これに沿って進めばここから先はマーキングの必要はなさそうだった。おれたちはそうすることにする。
ベースキャンプから、荷物を担ぎながらでたっぷり二十分。予想以上の重労働だ。亀裂はまだ続いているが、十分奥深くまで来た気になる。
「この辺でいいか」とおれ。
「そうだな」とフランキー。
いったん傍らの木にマーキングをする。近くの地面にちょっとした広がりがあるのが目につく。悪くない。木の根が邪魔して穴が掘れないようでは困る。フランキーにその場所を指し示すと、奴もうなずく。おれたちはそこをポイントに定め、荷物を放り出す。
木漏れ日がみつやすくんを照らす。途中で何度もおろしたため、あちこちに擦り傷がついている。かまうことはない。もう用なしなんだから。
おれたちは、再びベースキャンプに戻る。亀裂に沿って、それからマーキングを辿って。迷うことなく戻ってくることができる。荷物がなければ十分とかからない。ベースキャンプに変化はない。おれたちがやっていることに気がついた奴は誰もいない。
続いて女の死体を運ぶ。痩せ細った体からはまだ温もりが消え去っていない。みつやすくんよりもだいぶ軽いこの荷物は、一人で背負った方が運びやすいのではないかという話になる。それで交代で背負うことにする。
じゃんけんでおれが勝ち、フランキーが先に背負うことになる。おれは道具類をいくらか持つべきか迷うが、やはりあとに回すことにする。次に戻ってきたときにいっぺんに運べるし、この先まだ穴を堀るという作業が待っているのだ。今は無理しない方がいい。
フランキーの背中で、女の頭が後ろに反り返ってぐらぐら揺れる。首の骨が折れているからだ。ふいに、この女の名前を知っているような気になる。しかし、すぐにそんなはずがないと打ち消す。フランキーも今度は名前をつけようなどとは言い出さない。
二つ目のマーキングのところでフランキーは荷物をおろし、今度はおれが背負う。そうやってマーキング二つ分ごとに交代し、亀裂のところでも同じくらいの間隔で交代して、同じ場所までやってくる。
みつやすくんはさっき地面に放りだした状態のままだ。何も変化はない。誰にも見つかっていない。おれは背負っていた女を隣へおろす。木漏れ日が、みつやすくんと女の体を照らす。
もう一度ベースキャンプに戻る。途中で一瞬霧が出る。おれとフランキーは不安を感じ、立ち止まって様子を見る。今度の霧は薄く、たちまち消えてしまう。おれはその幻想的な光景に目を奪われる。それから自分の仕事を思い出し、再び歩き出す。
ベースキャンプに変化はない。道路の方からもおかしな気配は感じない。おれたちは手分けして道具類を持つ。使わない物もありそうだが、念のためその場には何も残さない。
またしてもマーキングを辿り、それから亀裂に沿って歩く。やがて、木漏れ日が射す、二つの荷物が横たえられた空間にやってくる。おれたちは傍らに道具類をおろす。
準備は整う。あとはやることをやるだけだ。いくらかしんどい仕事になるだろうが、できないこととは思えない。できないこととは思えないが、一人でやるとしたらかなりきつかっただろう。この仕事を二人で組まされたのは正解だったと今更思う。
連中はきっと経験済みなんだろう。おれ自身は今回みたいな仕事は初めてだったが、連中は何度か同じような必要が生じたことがあったんだろう。あるいは何度も。手際のよさを考えれば、そうだと分かる。もう連中のことなど関係ない、仕事さえ終わらせてしまえば。また次の仕事が来るまでは。
もしまた頼まれたら、引き受けざるをえないだろうが。連中はおれたちのことをよく知っているから。奴らは必要なことはすべて分かっている。おれもフランキーも連中の思いのままだ。捨て駒。言われたことをうまくこなせば次がある。失敗すればそれまでだ。
おれたちは、まず軽く水分補給をする。
おれは軍手を取り出し、一つをフランキーに放ってやる。
木立に囲まれるようにして開けた空間の、中央辺りに目星をつける。
「二つ掘った方がいいかな」とフランキー。
どういうことかと思って奴を見る。
「別々に」フランキーはシャベルで二つの荷物を指す。
「どうして」
「一応、墓だよなと思って」
おれは奴の言わんとすることを理解する。見ず知らずの他人同士を、同じ墓穴に入れるのは適当ではないのではないかということだ。
「一つでいい」
フランキーはおれを見る。
「墓じゃない。誰にも見つからなければそれでいい」
「そうだな」
おれたちは、まず掘るべき穴の見当をつける。二つの死体を横たえることができる縦長の穴。決して小さくない。浅くもない。地面に簡単に枠を描き、向かい合うようにして両端から掘っていく。
シャベルを地面に突き立て、足で地中に押し込んで、柄を手前に倒すようにして土を掘り出す。湿り気を帯びた土は思いのほか柔らかく、新品のシャベルはすんなり地面に入っていく。木の根に邪魔されることもない。掘った土は傍らに捨てる。
じゃく、じゃく。
じゃく、じゃく。
おれとフランキーが地面を掘る音が、森の中に響く。
じゃく、じゃく。
じゃく、じゃく。
おれとフランキーが地面を掘る音が、森の中に響く。
リズムに乗った、無言の労働。
おれは少し汗が出て袖をまくる。
少しすると、フランキーも袖をまくる。
甲高い鳥の鳴き声がして、作業しながら耳を傾ける。
おれは小休止をしてペットボトルのお茶を飲む。
二つの死体は変わらずに転がっている。
フランキーが一人で掘り進めるのをそれとなく見る。
日の光が強くなったり弱くなったりするのに合わせて、森の中の明るさが変化する。
おれはシャベルを地面に突き刺す。
風が吹き、頭上で木の葉がざわめく。
どこかで鳥が鳴く。
フランキーが地面に座り込んで休憩を取る。
おれは次第にリズムに乗る。
フランキーがシャベルを地面に突き刺す。
近くの木から鳥が羽ばたく。
おれとフランキー、それぞれの傍らに土の山ができる。
二つの死体は変わらずに転がっている。
フランキーが手を止めて、腕を揉みほぐす。
少しずつ、穴らしくなっていく。
じゃく、じゃく。
じゃく、じゃく。
おれとフランキーが地面を掘る音が、森の中に響く。
つらい労働。
おれは手に痛みを感じはじめて、軍手をはずして確かめる。
肉刺はまだできていない。
じゃく、じゃく。
じゃく、じゃく。
おれとフランキーが地面を掘る音が、森の中に響く。
汗が垂れる。
永遠に終わりそうにない労働。
じゃく、じゃく。
じゃく、じゃく。
地面を掘りながら、その音を聞きながら、妙な心地にとらわれる。
もうずっと前からこうやって穴を掘っているような気がする。
最初からずっとこうしているような気がする。
じゃく、じゃく。
じゃく、じゃく。
小さな土の塊が顔に飛ぶ。
不意に、何のためにこんなことをやっているのか分からなくなる。
この穴は一体誰のためのものなのか、分からなくなる。
じゃく、じゃく。
じゃく、じゃく。
掘っているはずなのに、埋められているような気がする。
これはおれのための穴だ。
連中はグルになっておれを埋めようと企んでいるんだ。
おれは顔に降ってくる土くれを払いのけようとする。
ところが、痙攣してうまく動けない。
おれは埋められようとしている。
殺されようとしている。
くそっ、どうなってるんだ。
じゃく、じゃく。
じゃく、じゃく。
お前だな、フランキー。
フランキーがおれを見ている、ビクついた目で。
やつは何かを企んでいる。
おれに知られたら困る企みを。
おれははっとなって振り返る。
ここまで運んできたあの二つの荷物がない。
さっきまでそこに転がっていたはずなのに、どこにもない。
じゃく、じゃく。
じゃく、じゃく。
ハメられた。
最初からこうなると分かっていたんだ。
連中は生きていて、グルになっておれを埋めるつもりだ。
なぶり殺しにしたあとで、埋めるんだ。
それとも生き埋めにする気か。
おれは、自分が埋められることになる穴を掘らされている。
ちくしょうめが。
おれは区別がつかなくなる。
生きていても死んでいても、たいした違いなんかないんだから。
おれは死んだように生きてるんだから。
生ける屍なんだから。
じゃく、じゃく。
じゃく、じゃく。
まだあの音が聞こえるぞ。
どこか遠くから。
おれは爆発の予感にとらわれる。
出してくれ、ここから!
出せっ!
出せっ!
じゃく、じゃく。
じゃく、じゃく。
お前の仕業だな、フランキー。
最初からお見通しだ。
すべてお前の仕業だな、フランキー。
おれは、フランキーとみつやすくんとあの女に囲まれている。
罠にハメられたんだ。
どこにも逃げられない。
じゃく、じゃく。
じゃく、じゃく。
おれの顔に土をかけるのをやめろったら!
くそ、どうしてこんなことになってる。
どうしておれがこんな目に合わなきゃいけない。
じゃく、じゃく。
じゃく、じゃく。
やらなきゃ、やられる。
そうだ、やらなきゃやられる。
やらなきゃやられて、それでどうなる。
やられて、それでお終いだ。
奴を見てみろ。
あのビクついた目。
あいつは隙を見てやるつもりだ。
こっちだってやるしかない。
思い切ってやるしかない。
やらなきゃ、やられるんだから。
やるしかない。
やられる前に。
じゃく、じゃく。
じゃく、じゃく。
おれはシャベルの柄を握りしめる。
フランキーを見る。
フランキーもおれを見ている。
やれ、突き刺せ。
やられる前に。
おれは柄をきつく握りしめる。
やれ。
やれ。
やれ。
…………。
………………。
……………………。
じゃく、じゃく。
じゃく、じゃく。
まだあの音が聞こえるぞ。
どこか遠くから。
じゃく、じゃく。
じゃく、じゃく。
何も起きていない。
安心しろ、何も起きていない。
じゃく、じゃく。
じゃく、じゃく。
心配するようなことは何も。
さっきから何も変わっていない。
じゃく、じゃく。
じゃく、じゃく。
落ち着け。
暴走だよ。
いつもの暴走だ。
また妄想に歯止めがきかなくなっているんだ、いつものように。
じゃく、じゃく。
じゃく、じゃく。
二つの死体は変わらずに転がっている。
同じ場所に、同じ格好で。
ときどき分からなくなる。
どっちなのかな。
おれは悪夢を見ているんだろうか。
それとも、悪夢のようにひどい現実を生きているんだろうか。
どっちでもなくて、これは素晴らしい世界なんだろうか。
それは誰にとっての話だ?
誰のことを言ってるんだ?
こうやって、すぐに誰かが割り込んできて邪魔をする。
さっきまでいい調子で来てると思ってたんだが。
いいときのあとには、悪いときが来る。
逆もまた真なり。
ぐるぐる回ってるだけなのか、同じところをただひたすら。
じゃく、じゃく。
じゃく、じゃく。
フランキーはおれのことなんか気にしていない。
おれは悪いことなんて何もしてないんだから。
たとえ何かしたとしても、それは仕方なくやったことだ。
そうするしかなかったから、やったことだ。
フランキーは許してくれるだろう。
おれたちは同じ仕事をしている仲間なんだから。
「こんなもんじゃないか」とおれ。
「あぁ」とフランキー。
穴は十分な深さになっている。
おれはシャベルを傍らに投げやる。
死体の足を掴み、地面を引きずっていって、穴に放り込む。
二つ。
もしかしたら、三つ。
これはこれで重労働だ。
しかも、まだようやく折り返し地点に来たところでしかない。
おれは穴の淵に立って中を覗き込む。
深い穴、何の感慨もない。
聞こえる。
おれの耳には聞こえる。
……んごごごごごご。
すべてを呑み込む、深く黒い穴の底から、聞こえてくる音。
自分を見失わないように気をしっかり持て。
狂うぞ。
足を滑らせて、穴の中に落ちないようにしろ。
もう一度よく見る、穴の中を。
そこにはおれの姿はないようだ。
なんだって?
いや、何も聞こえない。
誰も何も言ってない。
おれはここにいる、穴の外に。
おれは大丈夫だ。
おれのやり方はOKだろ。
おれのやり方はOKだと言ってほしい。
もちろん、おれのやり方はOKだ。
そう言っているのがおれには聞こえる。
なんだって?
いや、誰も何も言ってない。
さあ、仕事を終わらせるんだ。
おれは再びシャベルを持つ。
それから、穴を元通りに埋めていく。
ざっ、ざっ。
ざっ、ざっ。
すべてが終わるまで、逃げることはできない。
そのことはよく分かっている。
いったん引き受けた以上、きちんと最後まで終わらせないといけない。
ざっ、ざっ。
ざっ、ざっ。
奴らに土をかける音が、森の中に響く。
リズムに乗った、無言の労働。
おれは手を休めない。
風が吹き、頭上で木の葉がざわめく。
鳥が鳴く。
日差しはもう午後のものになっている。
ざっ、ざっ。
ざっ、ざっ。
小休止をして水分を補給する。
つがいの鳥が低い枝にとまるのを見る。
ざっ、ざっ。
ざっ、ざっ。
音は頭の中で鳴り止まない。
見回しても死体はもうどこにもない。
それは土に埋もれつつある。
少しずつ、穴は埋められていく。
ざっ、ざっ。
ざっ、ざっ。
手が痛む。
どうやら肉刺ができたらしい。
それでも手を止めない。
抜かりなく最後までやるんだという声が聞こえるから。
どこか遠いところから。
ざっ、ざっ。
ざっ、ざっ。
奴らに土をかける音が、森の中に響く。
急に、仕事が終わったあとのことを考えたくなる。
こいつが終わったら、どうなるのか。
何も変わらない。
振り出しに戻って、同じことを繰り返すだけだ。
同じような毎日を、同じように、何食わぬ顔で。
何度も、何度も。
それだけだ。
狂うぞ。
なんだって?
いや、誰も何も言ってない。
ざっ、ざっ。
ざっ、ざっ。
急に、振り出しに戻ることが怖くなる。
振り出しに戻って、また同じようなことを繰り返す。
同じようなことが延々と繰り返される。
そこから出ることができない、永遠に。
おかしくなりそうだ。
ざっ、ざっ。
ざっ、ざっ。
まだ手や足が出ている。
どれが誰だか、もう分からない。
それもすぐに見えなくなる。
出してくれ!
誰かが叫ぶのを聞く。
誰の声かは分からない。
おれのものではないらしい。
なんだって?
いや、誰も何も言ってない。
くそっ、おかしくなりそうだ。
ざっ、ざっ。
ざっ、ざっ。
奴らに土をかける音が、森の中に響く。
おれは休まず働く。
ふと、フランキーのことを思い出す。
辺りを見回すが、どこにもいない。
それから、自分が誰を探しているのか分からなくなる。
そんな奴は最初からいなかった。
そんな気がする。
だから、誰も、どこにもいない。
ここにいるのは、おれ、ただ一人。
ざっ、ざっ。
ざっ、ざっ。
仕事を終わらせるんだ。
こいつが終わるまで、どこにも逃げられない。
だが、この仕事を遂行するおれのやり方はOKだ。
おれは、おれのやり方がOKなのを知っている。
そう言う声が聞こえたから。
そう言う声を聞いたから。
おれは声を聞く。
なんだって?
いや、誰も何も言ってない。
いや、何かが聞こえる。
どこか遠くから、囁くような声が。
ひょっとしたら、これはおれの声か。
もしかしたらそうかもしれない。
おれの声かもしれない、おれはずっと話してるんだから。
おれはずっと話している。最初からただひたすらおれのことを話している。目も当てられないほど不幸なこのおれについて。もろく、傷つきやすく、かわいそうなおれについて。そうじゃなかったらよかったのにということの連続で成り立つおれについて、延々と。誰もおれと一緒に踊ってはくれないから、そうするより他なくて。逃げることもできないから。ここにはおれしかいないんだから。
どうだった? おれの話はどうだった? そうじゃなければよかったのにということの連続で成り立っているおれの話は。なかなか聞かせると思ってくれたなら嬉しいね。
またどこか遠くから声が聞こえる。もしかしたら聞き間違いかな。なんだって? なんだかうまく聞き取れない。今度はおれの声ではないらしい。もしかしたら、あいつの声かもしれない。手配師の声。どことなく、あいつの声に似ているような気がする。おれがどんなにうまく姿をくらませても、奴はどうにかしてコンタクトを取ってくるんだから。また新しい仕事かな。奴に頼まれたら断れない。おれには何一つ確かなものはないから。おれは霧の中で方角も分からないままさ迷っていて、声を頼りに進むしかないから。おれには選びようもない。奴に従うよりほか、どうしようもない。
おれは自分の仕事のことをよく分かっている。穴を埋めて、すみやかに立ち去ること。それまでの間に真相を話そうか。いや、真相なんて知らない。これが真相の一つ。おれの意見、それならおれにも分かる。それがもう一つの真相。おれの意見なんて、ころころ変わるが。いずれにしろ、この話を締めくくらなきゃならないだろう。おれはこいつを何とかハッピーエンドに持っていくことができると思う。仮にできなくても、すべて持続しているものはそれぞれのエンディングを迎えることになる。終わりを迎える運命にある。こればっかりは何があっても避けられない。運命的な誕生のあと、そうじゃなければよかったのにということの連続で成り立つろくでもない持続があって、なし崩しに終わる。何も分からないまま、ある日突然、あっけなく。だいたいそんなところだよ。
そろそろ締めくくろう。終わらせよう。そのためには続けなければいけない、終わりが来るまで。無言になってはいけない、このスタイルをとっている限り。終わりよければすべてよし。途中で何かひどい間違いをしでかしたかもしれないが、もう忘れた。お前の話はもううんざりだ? よし、じゃあもう少しだけ続けよう。そう聞いて元気が出てきた。そもそも、はじまりだの終わりだのがあると思ってるのが間違いなのかもしれない。途中から途中まででしかないのかもしれない。これはちょっとした発見かもしれないな。
だからおれは話そう。何について。おれが見たことについて。おれが感じたことについて。おれが笑ったことについて。おれが夢見たことについて。おれが喋ったことについて、相手もなしに。おれが望んだことについて。おれが聞いたことについて。おれが演じたことについて。おれが思い出したことについて。おれが捏造したことについて。おれが受けた洗脳について。おれがおれについて考えたことについて。おれが辿ることになる運命について。おれの不幸について。おれの好きな順序について。おれの秘密について。おれの失敗について。おれの犯した過ちについて。おれが失った若さについて。おれの性癖について。おれのトイレにまつわるエピソードについて。おれの持続について。おれがとらわれている疑惑について。おれが偽った正体について。おれの病気について。おれの淫らな欲望について。おれが経験した恐怖について。おれが受けた辱めについて。おれの狂おしいほどの怒りについて。おれの不埒な行いについて。おれがされてしかるべき同情について。おれの孤独について。おれの罪について。おれが逃れてきた罰について。おれが熱中している遊びについて。おれが理解できないでいることについて。おれが隠していることについて。おれが言おうとしたのに言い損ねてしまったすべてのことについて、こいつは一年がかりの仕事になるだろう。おれが起こした事件について。おれが投げ出した義務について。おれが忘れてしまったことについて、思い出すことができれば。おれの涙を誘わずにはいられない恋愛物語について、おれの方から眺めた都合のいいストーリー。おれを見捨てた人々について。おれの自制心について。おれがおれを見ていることについて、いつもちょっとだけ離れたところから。おれが踊っているダンスについて。待望される平和について。おれが持っている金について。おれがこなした数々の杜撰な仕事について。おれの学歴について。おれのささやかな自由について。おれの知っている女たちについて。おれが与えたすべての名前について。おれの唯一の友人メイジャー・メイジャー・メイジャー少佐について。おれの理想について、そうだったらよかったのにということの連続で成り立つその先に浮かぶイメージ。おれがついたウソについて、こいつもまた厄介な仕事になるだろうが。おれが掘った深い穴について、そこに自ら落ち込んでしまったことについて。
思い出してみろ。よく思い出してみろ。最初からずっと、ここにはおれ一人しかいなかったんじゃないか。フランキーなんて奴はおれの脳みそをかすめたささやかな思いつきにすぎない。ほんの一時の慰めの相手にすぎない。そんな奴はたくさんいた。もう一度はじめから思い出してみろ。そうすればこれがすべてお前の一人芝居だったということが分かるから。音楽がはじまってから、おれはずっと一人で踊ってる。パートナーを交代しようにも、そもそも相手なんていない。死んでいる奴を除いて。死んでいる奴だけが、確かに存在する。死んだことによってようやく、そいつが確かに存在していたということが分かる。そして、おれはそれを存在していなかったかのように隠そうとする。それがおれに課せられた仕事だから。しかし、おれは一人じゃ何もできない。心も身体もつぎはぎだらけで、機能不全に陥っているんだから。おれがする話も同じだ。つぎはぎだらけで、辻褄もおかしい。おれの、とどまるところを知らない辻褄合わせ。気にするほどのことじゃないかもしれないが。一つには記憶力が悪いせいだろう。おれが欠陥だらけだからだろう。おれは覚えていることを組み合わせて、まったく別の話をしているのかもしれない。おれがおれについて話していることで、確かなものがあるかどうか、おれにすら分からない。おれは一人じゃ何もできないんだからそれも仕方ない。何か起きるとおれはいつもうろたえて、ただおろおろするだけなんだから。でも、だからこそ助けを呼ぶ必要がある。すると、助けはどこからともなく現われる。おれができないことをそいつがやって、そいつができないことをおれがやる。あるいは二人で協力してやる。こいつは悪くない取引じゃないか? 男A、男B、男C、それからときどきメイジャー・メイジャー・メイジャー少佐。女が来ることもあるかもしれない。フランキーはいつの間にか逃げたらしい。おれを一人残して。うまくやれそうだったのに、思ったより根性のない奴だったな。もうちょっと期待したんだが。いずれにしろ、そうやっておれはいつも逃げ遅れる。逃げ遅れて、馬乗りされて、顔面にパンを押しつけられる。おれは自分が落ちていくのを見た。もう二度と這いあがれないだろうっていうほどの深い穴、何もかも引きずり込む底なしの真っ暗闇に落ちていくのを。それでおれは閉じ込められた。この頭の中に。おや、そんな話だったかな。
終わったら帰ろう。どこに。病院に。いや、そこが何と呼ばれていたか忘れたが。とにかくおれのお馴染みのねぐらに。そこでまた閉じ込められる。そのうちまた声が聞こえてきて、おそらく新人も現われるだろう。そうすればまたそいつに名前をつけることができる。そして次の話がはじまるというわけだ。サンキュー、サンキュー、レディース・アンド・ジェントルメン。拍手をどうも。やるべき仕事を終えれば、少しの間安息のときが訪れる。そういうもんだ。そうじゃなかったら、どうして次の話をはじめることができる?
もちろん、おれのやり方はOKだ。
このやり方でやるしかない。
おれにはこういう風にしかできないんだから。
ざっ、ざっ。
ざっ、ざっ。
何の音だろう。
これは何の音だろう。
さっきからずっと聞こえているこの音は。
蠅が飛び回ってる、ちがうか?
ざっ、ざっ。
ざっ、ざっ。
土をかける音。
そうだ、シャベルで土をかける音が、森の中に響いている。
ざっ、ざっ。
ざっ、ざっ。
シャベルで土をかける音が、森の中に響く。
もう鳥はどこにもいない。
その代わり、蠅が飛び回っている、らしい。
おれは土を掬って穴を埋めていく。
穴はもう少しですべて埋まる。
ざっ、ざっ。
ざっ、ざっ。
もう一度辺りを見回す。
誰もいない。
きっとうまくやったんだろう。
ばらばらになってしまうこともなく。
頭がおかしくなることもなく。
分かっている限りでは。
ざっ、ざっ。
ざっ、ざっ。
これは何の音だっけ?
さっき確認したばかりの気がするんだが、もう分からなくなっている。
おれが聞いている、この音。
さっきからずっと聞こえている、この音。
なんだって?
くそっ、うるさくて聞こえない。
蠅が。
ざっ、ざっ。
ざっ、ざっ。
最初からずっとこうやっている気がする。
だが、それももう終わるだろう。
何もかも土に還っていく。
ざっ、ざっ。
ざっ、ざっ。
何もかも、土に。
きっとそうなんだろう。
だが、それでおれはどうなる?
さぁ、それは分からない。
一人、か。
ざっ、ざっ。
ざっ、ざっ。
ずいぶんひんやりしてきたらしい。
何も考えずに手を動かす。
声はもうどこからも聞こえない。
蠅の羽音だけ。
蠅、それから蛆虫。
もう何も聞こえない。
そして、長い沈黙が訪れる。
長い長い沈黙が。
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了