小説 『星空への憧憬』
静かな湖面、そして満点の星空。
青年はかねてより所望していた自由な時間、ソロキャンプを満喫していた。
初夏の闇夜に身を委ね、湿度を帯び始めた空気をその肌に感じる。
日中に苦労して着けた火が消えないように気をつけながら薪を焚べていると、かすかに足音が聞こえた。音の方を見やると、少年が1人、とぼとぼと歩いていた。小学校低学年くらいだろうか?今にも泣き出しそうだが、必死に堪えているように見える。
「君、1人かい?お父さんかお母さんは?」
少年が怖がらないように努めて柔らかく話しかける。
「お父さんと遊びに来てたんだけど、帰り道が分からなくなっちゃって」
少年はそう答えた。
青年はひとりの時間を死守すべく、他のキャンパーからなるべく離れたところにテントを設営した。つまり少年は大分と彷徨い歩いたのだろう。
「とりあえず僕のテントで休む?あったかい飲み物でも用意するよ」
「うん」
二人はテントへ向かい、ひとまず休息を取ることにした。
「君、名前は?」
少年に尋ねる。
「天乃由人!」
「由人くんか!由人くんは、どうしてお父さんとはぐれちゃったの?」
「薪を拾ってくるから待ってなさいってお父さんに言われたんだけど、なかなか戻って来ないから探しに行ったの。そしたら……。」
「お父さんも見つからないし、テントにも戻れなくなっちゃったんだ」
「うん……。」
「そっか。怖くなかった?」
「怖かったけどお父さんが心配で……。」
「心配して迎えに行ってあげようって優しさは良いことだけど、お父さんに『待ってなさい』って言われたんでしょ?ちゃんと守らなきゃね。」
「ごめんなさい」
「それは後でお父さんにちゃんと言おうね」
「はぁい。」
由人はしゅんとしてしまった。彼をを励まそうと、青年はマグカップを渡す。
「あったかいココアだよ」
「わあ!」
由人は勢いよく口をつけた。
「あちち!」
「あぁ、ゆっくり飲まないと!」
由人はふぅふぅと息を吹きかけながらココアを口に含み、破顔する。
少し落ち着いた様子の由人を見て、青年も胸を撫で下ろした。
バタバタしていて気づかなかったが、由人の首には双眼鏡が提げられていた。
「由人くん、もしかして星が好きなのかい?」
「うん!今日はね、ヘルクレス座を見にきたんだ!」
「ヘルクレス座か!渋いね。」
「だってメッチャ強いんでしょ?」
「確かに。」
ヘルクレス座はギリシャ神話最大の英雄とも呼ばれるヘーラクレースの姿を表した星座だ。メッチャ強いは間違っていない。
由人の無邪気さに青年からも笑みが溢れた。
青年はおもむろに立ち上がり、北の空を見上げる。
「由人くん、この方角を見てごらん?」
由人は双眼鏡を手に青年に並ぶ。
「あのぼんやり明るい星々がヘルクレス座だよ。」
青年はスマートフォンに表示させたヘルクレス座の図解と照らし合わせながら説明する。ヘルクレス座を構成する星々は、あまり明るいものではないが、今日は天体観察に適した条件なので、しっかり探せば見つけることができる。
由人も発見できたようで、星明かりを指で繋いで勇者ヘーラクレースを描き出していた。
「お兄ちゃん星座詳しいんだね!」
「うん。僕の専門は考古学なんだけど、天文学も趣味でかじってて……」
由人はキョトンとしていた。
「ごめんごめん!僕も星が大好きってこと。」
「そうなんだ!」
「本当はお父さんとヘルクレス座見るつもりだったんだけど……」
由人は自らの状況を思い出してしまったようだ。
実際問題どうしたものか。夜の森で動き回るのは得策ではない。最悪、一晩はこのテントで匿って、明朝に対応することにしよう。とは言え、今塞ぎ込んでいる由人を放っておくわけにはいかない。青年は逡巡していた。
「由人くん、流れ星にお願いすると願いが叶うってお話聞いたことある?」
「うん。」
「流れ星って夜空を観察してると思っているより現れるものなんだ。だからもし見つけたら、お父さんに会いたいって願ってみたら?」
「うん!」
由人は空に双眼鏡を向けた。少しは希望を繋いでくれたようだ。
「由人くん。流れ星の見えている平均時間は0.2秒程度……すっごい短いって言われているから、願い事も短い言葉にすると良いかも知れないよ。」
「わかった!」
二人はしばし夜空を見上げていた。
「お兄さんも何かお願いするの?」
「そうだなぁ。」青年は難しい表情を浮かべている。
「お願いしたいところだけど、僕の願いは果たされない方が良いかも知れないなぁ」
「なにそれ!」
そんな会話をしていると空を一筋の光が駆ける。
「由人くん!」
青年はあまりのタイミングに驚いていた。
「どうだった?」
「お父さん、お父さん、お父さんって言ってみたんだけど、どうかな……?」
「お星様が由人くんの言いたいことを汲んでくれると信じよう。」
青年は、由人が気を落とさないように言葉を選んだ。その時。
「由人ぉ!!」
遠くから声が響く。
「お父さん?」
奇跡だ。流れ星に願掛けなんて由人を励ますために言ったに過ぎない。運よくタイミングが重なったのか。とにかく由人と父親は再会できたのだ。
「勝手にどっか行っちゃダメだろ!心配したぞ!」
「ごめんなさい。」
父は由人をグッと抱き寄せる。
「もしかして由人がご厄介になりましたか?すみません!」
青年に気づくと由人の父は深々と頭を下げた。
「そんな、頭を上げてください!よかったね由人くん!」
「うん!お兄ちゃんありがとう!」
「ありがとうございました。」
親子が揃って頭を下げ、彼らのテントに帰っていく。
「由人くん!」
青年はなぜだか呼び止めていた。
由人も不思議そうな表情で振り返る。
青年は由人に歩み寄り、懐から何か取り出した。
「これあげるよ。」
「なぁに?」
青年が渡したのは流星を象った小さなバッジだった。
「これはね、僕が学校の先輩から貰ったものなんだ。今でも人生のお手本にしている言葉をくれた先輩からね。」
「そんな大切なもの頂けません…!」由人の父が恐縮している。
「良いんですよ。由人くん、強い者に憧れる気持ちは僕にも良く分かる。男の子だからね。確かにヘラクレスは強いしカッコいい。でも、大切なのは戦いに勝てる力だけじゃなくて心の強さなんだ。お父さんを心配して、怖くても夜道に飛び出した君の純粋さを、覚えておいてくれたら嬉しいな。」
「うん。ありがとう、お兄ちゃん!」
由人はバッジを胸につけてご満悦だった。
改めて礼を言うと、二人は夜に溶けて見えなくなっていった。
小さなバッジが減った分だけ少し体が軽くなってしまったような気もする。
だがあのバッジを手にしてから幾星霜、青年は青年なりに新しい光を繋ぐことができたと感じていた。
頭上では流星がまた一つ、きらりと光って消えた。
青年はまた、願いを唱えなかった。
〈了〉
【あとがき】
『星空への憧憬』ご覧いただきありがとうございました。作者の登坂義之でございます。
これ以降は有料ゾーンとなります。本作が面白かったと思ってくれた方や、仕方ねえから応援してやるよという貴徳な方は、ぜひ続きでまたお会いしましょう。
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