ノベライズ版 『幾彩 -IKUSA 01-』
『幾彩 -IKUSA01- BRAND NEW BLADE』
登場人物紹介
・九十九 翠(つくも すい)
1人で戦いを始めた若き女流剣士。「剣の道は殺生の為にあらず。己を高めることにのみ剣を振るう」という信条のもと、質実剛健なバトルスタイルを採る。剣の実力自体は低くないが、その信条ゆえに実戦では苦戦を強いられることもしばしば。
・八雲 蒼太(やくも そうた)
聡きこと天が如し。速きこと水流が如し。常に冷静沈着な戦いぶりから、知略の剣士と称される。 〈蒼天〉という勢力を率いる。
・御子神 紅(みこがみ こう)
当代最強との呼び声高い、猛攻の剣士。最大勢力の〈血車〉を率いる。
・黒剣士(くろけんし)
特定の勢力に属していない剣士たち。
・八木 水人(やぎ みなと)
八雲蒼太の軍・蒼天に属する剣士。
・八島 海央(やしま みお)
八雲蒼太の軍・蒼天に属する剣士。
Prologue
時は令和。しかしここは、我々が暮らしているこの世界とは少し違う。人々は刀を携え、武の鍛錬を積んでいた。やがて令和の豪剣士たちによって、いくつかの勢力が築かれていく。
一つ、聡きこと天が如し。速きこと水流が如し。知略の武人・八雲蒼太が率いる軍〈蒼天〉。
一つ、当代最強との呼び声も高い、猛攻の剣士・御子神紅が率いる最大勢力〈血車〉。
そして今、新たなる剣士・九十九翠がこの戦いに名乗りを上げる。「武の道は殺生の為にあらず。己の研鑽にのみ剣を振るう」という信条の若き剣士が一石を投じ、戦乱は混沌を極めていく。
Chapter 1
小刀を握り締めて彼女は佇んでいた。足元のアスファルトに描かれた白線が、自分を遮る規制線にも、未来を示すスタートラインのようにも感じられる。期待と焦燥が綯い交ぜになった胸を叩いて自らを鼓舞すると、九十九翠は戦地へと歩みを進めた。
すると、どこからともなく刃が翠の頭上を掠める。間一髪で躱し、翠も刀を抜いて相手の剣を受けた。奇襲をかけてきたのは女の剣士だった。
「貴様、見かけない顔だな。どこの軍だ?」
女剣士は問う。
今、多くの剣士はいくつかの勢力に纏まっている。生き残るためにはその方が合理的だからだ。どこの軍にも属さない者は〈黒剣士〉と呼ばれており、奇襲をかけてきたこの女が正に黒剣士である。
翠は今日が初陣であり、彼女も定義の上では黒剣士ということになる。しかし、
「えーっと、まだ決めてない!」
翠は大声で言い切った。
斜め上の回答を得た女剣士は、混乱しながらも攻撃の手を緩めない。だが、剣術では翠が一枚上手であった。女剣士の首にヒヤリとした温度が伝わる。翠が喉元に刃を突きつけたのだ。女剣士は覚悟した。戦場において雌雄を決するとは命が失われるということだ。次の瞬間に備えて身を固くしたその時、女の首元から刀が外された。
「行ってください」
翠から発せられた予想外の言葉に女剣士は狼狽しながらも、その場から脱兎の如く立ち去った。
「武の道は殺生の為にあらず。己の研鑽にのみ剣を振るう」というのが敬愛していた師の教えであり、翠の矜持であった。師の教えの通りに人を活かして初陣を飾れたことを誇らしく感じた。
しかし、ここでそんな物思いに耽っている時間はなかった。新手の登場である。
「我は蒼天軍が一人、水人。貴様に恨みつらみは無いが、我が刃の露となってもらう」言うが早いか、水人と名乗る男が攻撃を仕掛けてくる。
〈蒼天〉とは有力派閥の一つで、知略に長ける。連戦の翠を襲ったのも作戦の内だったのだ。それが功を奏して戦局は水人が有利に展開した。
翠は苦戦を強いられながらも水人の大振りを躱し、隙をついて彼の喉元に刀を突きつける。再び人を殺めることなく戦いを終えられる、そう思った刹那、刀は弾かれ翠は蹴り付けられていた。
「どういうつもりだ?」水人は怒声を上げながら、疼くまる翠に大上段から刀を振り下ろす。何とか受ける翠だったが、力に押されて少しずつ刃が肩口に近づいていく。あわや、と思われた次の瞬間、水人は何者かに肩を叩かれた。
水人が振り返るよりも早く、その身体は引き離され、衝撃を浴びていた。
一瞬の出来事に唖然としている翠と水人の間に立っていたのは男の黒剣士。邪魔をされた水人は怒りに任せて男に何度も攻撃を繰り出すが全く通らない。黒剣士は鞘で攻撃を受けながら刀を抜いて振り下ろす。歴然たる戦力差に、水人は尻尾を巻いて逃げ出してしまった。
何事も無かったかの様に黒剣士は刀を納める。
「大丈夫か?」彼は翠に尋ねる。
「はい。ありがとうございました!私、九十九 翠といいます。あなたは?」
「名乗る程の者じゃない」男はそうぶっきらぼうに言った。
Chapter 2
ブルーのデニムジャケットを羽織った少女・八島海央は帰路を急いでいた。主に報告することがあったのだ。
「主将さま、長きに渡った雷霆軍と桜花軍の抗争は雷霆に軍配が上がったようです」
報告の相手は八雲蒼太。知略の武人と名高い蒼天の主将である。
「そうか。想定通りだな」
次なる一手は蒼太の中で決まりつつあった。しかし今はまだその時ではない。いつか来るであろう血車との直接対決に向けて軍備を整える必要がある。そんなことを逡巡していると、騒がしい足音が近づいてきた。
「ご報告いたします。主将さま」
現れたのは水人だった。
「ここから南西に少し行った辺りで腕の立つ黒剣士と交戦いたしました。他の軍に加入されると厄介かもしれません」
水人は少々ことを大きく話す傾向がある、しかし不安の芽を摘んでおくのも良いかもしれない。蒼太は水人、海央を連れて件の黒剣士の元に向かうことにした。
Chapter 3
「じゃあ!!」
翠は腕に巻いていたバンダナを男の眼前に突き出した。
「これは?」
男は怪訝な表情で尋ねる。
「仲間になってください。栄えある九十九軍の一人目です!」
翠は瞳に輝きを湛えて黒剣士を見据えた。黒剣士は間髪入れずに顔を背け、拒否する姿勢を示す。それだけではない。微かだが殺気を感じていた。男は周囲に視線を配る。
「囲まれたな」
黒剣士は呟く。翠は何のことか分からずにキョロキョロと辺りを見回すと、こちらに近づく影に気がついた。
人影の輪郭が明瞭になっていく。槍を携えた小柄な男と、それ以外にも数名、翠と黒剣士を取り囲んでいた。
「我は蒼天軍主将・八雲蒼太。先程は配下の者が世話になったようだな。そこの黒剣士よ、聞けばなかなかに腕が立つそうだな。どうだ、我が軍でその力を発揮する気はないか?」
蒼太は黒剣士の男に問いかけるが彼は意に介さなかった。
「そうか。ならば致し方ない」
蒼太が持っていた槍の石突で地面を鳴らすと、蒼天の剣士達が一斉に二人に襲いかかる。
黒剣士は刀すら抜かずに襲い来る敵をあしらった。蒼太はその戦いぶりを観察していた。一介の黒剣士でこの実力、にわかには信じがたかった。
一方、翠は最初こそ上手く応戦していたものの、相手を斬ることができず次第に窮していった。絶体絶命と思われたその時、黒剣士は遂に刀を抜き、敵を切り伏せていく。一瞬の出来事で翠はその殺生を見ていることしかできなかった。
黒剣士は刀の血を払うと翠に歩み寄る。
「戦地において人を斬らないとは何事だ」
低いトーンだが男の怒りが滲んでいた。
「でも!」
翠が反論しようとすると男は視線を切り、別の方向に睨みを効かせる。そこには悠然と歩み寄ってくる蒼太の姿があった。
「なるほど、実力は確かなようだ。だがそれ故に、我が軍に入らないならば今後の障害となる」
蒼太は大槍を構える。
「ここで始末させてもらう!」
黒剣士に向かって穂先が走る。しかしその軌道を翠の刀が遮った。蒼太と黒剣士は互いの技量を探りつつ、翠を巻き込んだ2対1の戦闘が始まった。
蒼太は長物の特性を活かし、二人との間合いを上手く取りながら策を巡らせた。先に翠を叩き、そして黒剣士との一騎打ちに持ち込もう、と戦いを組み立てていた。
蒼太は巧みな槍捌きで翠の刀を落とす。チャンスとばかりに攻撃を仕掛ける蒼太。翠は咄嗟に小刀を抜き、槍を受けた。しかし次から次に繰り出される攻撃に防戦一方となり、ついに膝をついてしまった。
「おい!」
戦場に黒剣士の声が響く。皆が声の方向に目を向けると、先程落ちたはずの刀が宙を舞っていた。翠はその刀を掴み、二刀で蒼太の槍を押し返した。
これを好機と見た翠と黒剣士は一気に畳み掛ける。先ほどまで拮抗していた戦況は二人に傾いていた。黒剣士はなおも攻撃の手を緩めない。瞬く間に蒼太の手足の腱を切断し、反撃も、逃げ帰ると言う選択肢すらも封じてしまった。勝負はついた。黒剣士は刀を大上段に振り上げる。だが蒼太は動じない。戦とは常に命懸け、自分の命運もここまでだと悟った。しかし、黒剣士の刃が蒼太に届くことはなかった。今にも振り下ろさんとする黒剣士の腕を、翠が止めていたのだ。
「行ってください!!」
翠は黒剣士に必死にしがみ付き、蒼太に叫んだ。
自由の効かない片足を引きずり、蒼太は自陣へと引き返していった。
黒剣士はため息をつき、翠の腕を振り解く。
「貴様のその甘さが、いずれ戦地において自らを苦しめる事になる。覚えておけ」
そう言い残して黒剣士は足早に去ってしまった。
翠はその後ろ姿を見届けることしかできなかった。
Epilogue
黒剣士は自分の屋敷に戻った。
赤い装束に身を包んだ従者が彼を出迎える。
「おかえりなさいませ。御子神さま」
「少し休む。お前たちは下がって良い」
御子神と呼ばれた男は、そう言うと自室に入っていった。
「九十九翠、人を斬らぬ剣士か……」
御子神は神妙な表情で呟いた。
「武の道は殺生の為にあらず。己の研鑽にのみ剣を振るう」
若き剣士が投じた一石は、やがてこの戦禍に広がる大きな波紋となることを、彼らはまだ知る由もなかった。
〈了〉