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『埼玉りそな銀行』ではない『りそな銀行』が埼玉県に1店舗だけある謎

埼玉県外に住んでいるとあまり意識する事は多くありませんが、いわゆる「りそな」と呼ばれる銀行には主に埼玉県外の全世界を管轄する『りそな銀行』と主に埼玉県内を管轄する『埼玉りそな銀行』の2種類があります。
※厳密にはこの他にジャカルタに本拠を置きインドネシア国内に展開するりそなプルダニア銀行が存在しますが、ちょっと特殊な上に埼玉とは関係が無いので以下無視します。

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この2行の名前を見ればわかる通り『埼玉りそな銀行』は埼玉が地盤で『りそな銀行』は埼玉以外が地盤なので、「なるほど、地域毎に分けているのか……!」と早合点してしまいそうですが、案外単純ではありません。埼玉県は朝霞市、東上線と武蔵野線の乗換駅として多くの人が行き交う朝霞台駅前にはストリートビューのスクショですがこんな支店があります。

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そう、看板を見てもらえればわかる通り、埼玉県内にも関わらず『埼玉りそな銀行』ではなく『りそな銀行』の支店があります。なぜせっかく『埼玉りそな銀行』を作ったのにわざわざ埼玉県内に『りそな銀行』を建てたのでしょうか。またそもそも地域毎に分割するにしても、なぜ東京や大阪では無くピンポイントで”埼玉”なのでしょうか。この謎を探るためにはりそな銀行が歩んできた歴史を振り返る必要があります。

”りそな”の成り立ち

三井住友銀行や三菱東京UFJ銀行のような名称からして明らかにいろんな銀行の寄せ集めにしか見えない銀行と違い名称だけではわかりにくいですが、りそな銀行と埼玉りそな銀行も複数の銀行が合併して出来た銀行です。具体的に言うと以下のような図式になります。

あさひ銀行+大和銀行→りそな銀行+埼玉りそな銀行
※実際はりそな銀行・埼玉りそな銀行発足後に奈良銀行がこの輪に加わりますが、名称から明らかな通り埼玉県の話には全く絡んでこないので以下無視します。

この図式を見ればわかる通り、元々あったあさひ銀行と大和銀行と言う2つの銀行が経営統合し『りそな』と言う同じ名前を持つ1つのグループ(厳密に言うと大和銀行の親会社だった大和銀ホールディングスの傘下にあさひ銀行が入り、同時に社名をりそなホールディングスに変更する……と言う流れです)となり、そしてその『りそな』を『りそな銀行』と『埼玉りそな銀行』の2つの銀行が承継した……と言う流れです。これだけ見てもさっぱり狙いがわかりませんね。大和銀行の方はさておくとして、実はこのあさひ銀行も合併によって誕生した銀行でした。コイツが出来た際の図式も振り返ってみましょう。

協和銀行+埼玉銀行→協和埼玉銀行(すぐ改名)→あさひ銀行

ここで「埼玉」と言うワードが突然登場しました。結論から言うとこの『埼玉銀行』の存在が現在の『埼玉りそな銀行』に繋がるのですが、ここで埼玉銀行について簡単に振り返ってみましょう。なおこの辺のお話は複雑な大人の事情や資料の少ない時代の話が絡む故にある程度推測や噂レベルの話も多いです。話半分にお読みいただければと思います。
戦前、埼玉県に限らず全国各地に様々な銀行が存在しました。戦時中にこれらの銀行を概ね府県単位で統合することになり、当時埼玉県に存在した4つの銀行を束ねて誕生したのが埼玉銀行でした。今でも全国の各都道府県にはこうした地元の都道府県を中心に営業を行う地方銀行(戦時中の統合でできた銀行ばかりではありませんが)が数多く存在しており、今日も営業しています。
しかし、戦後になり東京近郊の住宅地として開発が進み人口が激増し産業が急激に発展した一方で元々さして県として規模が大きくなかった故に他行が長らく進出していなかった埼玉県(と諸事情で引き継がれた一部多摩地区)を地盤としていた埼玉銀行は、そのあまりの規模の大きさから地方銀行の枠組みを飛び出し、都市銀行(当時だと住友銀行や三菱銀行などの規模の大きい大手の銀行)の枠組みに仲間入りする事となります。現在最も規模の大きい地方銀行は神奈川県を地盤とする横浜銀行でしたが、当時は横浜銀行よりも埼玉銀行の方が規模が大きかったわけです。
さて、地方銀行としては傑出して規模が大きかったとは言え都市銀行としては小さい部類だった埼玉銀行は、全国区ながら比較的規模が近く、中小企業や個人の取引先が多いと言う共通点を持つ協和銀行と合併し規模を拡大する事となりました。とりあえず名前をつなげて『協和埼玉銀行』としましたが、名前の冗長さからか、あるいは近所の銀行の名前にある日突然「埼玉」と言う謎のワードが加わって困惑する埼玉県外の協和銀行ユーザからの声からかは知りませんが、すぐに『あさひ銀行』と改名します。

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画像:大阪の下町、東大阪市長瀬に残る『協和埼玉銀行長瀬支店』の文字。そら大阪の下町に突然「埼玉」なんて文字が出現したら困惑しますよね。なお協和埼玉銀行長瀬支店(元々は協和銀行長瀬支店)はりそな銀行長瀬支店と名前を変え現存します。長瀬の大学の学生だった頃に筆者が撮影。

さて、そんなあさひ銀行の誕生は、噂レベルですが埼玉県財界からの評判があまり芳しくなかったと聞きます。考えてみると規模が大きくなったとは言え地元の誇りだった「埼玉」の名前を捨てられ、さらに浦和の本店営業部も東京に持っていかれ……となると、「埼玉を見捨てられた」と感じるのもそう不思議では無いかもしれません。また、バブル崩壊後に融資が焦げ付いて経営が危うくなった東京方面とは異なり、昔から細々と続く取引先や個人向け住宅ローンなどの比較的堅実な貸出先が多かった埼玉県の支店は比較的業績が良かった……とも聞きます。
そんなわけで埼玉県に持つ強い地盤を活かすため、りそなとしての統合の際に『埼玉りそな銀行』として埼玉県内の支店を切り離した……と言う流れで旧埼玉銀行の地盤を受け継ぐ『埼玉りそな銀行』が誕生します。

ところで、ここまでクドクドと能書きを垂れ流したせいで既に忘れ去られている気がしますが、この話の本題は『りそな銀行朝霞台支店』の話。ここまでの流れを踏まえて話を朝霞台に移しましょう。

"りそな銀行朝霞台支店"の成り立ち

さて、ここまで埼玉銀行とあさひ銀行の話をし続けましたが、りそなの誕生にはもう一つ大和銀行と言う銀行が絡みます。詳細は割愛しますが、大和銀行は元々大阪が地盤の銀行で関西に多くの支店を持っていました。逆に言うと関東、特に歴史が浅い埼玉県にはほとんど支店を持っていませんでした。『埼玉りそな銀行』を立ち上げる際、厳密に区分けするならば以下の手順を踏むこととなります。

・あさひ銀行の支店を「埼玉」と「埼玉以外」に分割する。
・大和銀行の支店を「埼玉」と「埼玉以外」に分割する。
・あさひ銀行の「埼玉以外」の支店と大和銀行の「埼玉以外」の支店をくっつけて『りそな銀行』を作る。
・あさひ銀行の「埼玉」の支店と大和銀行の「埼玉」の支店をくっつけて『埼玉りそな銀行』を作る。

だがしかし、当時の大和銀行が持っていた埼玉県内の拠点はわずかに2箇所。たった2箇所のためにわざわざ大和銀行を2分割するのは手間がかかる……と言う事で実際は以下の手順を踏むこととなります。

・あさひ銀行の支店を「埼玉」と「埼玉以外」に分割する。
・あさひ銀行の「埼玉以外」の支店と大和銀行の支店をくっつけて『りそな銀行』を作る。
・あさひ銀行の「埼玉」の支店を『埼玉りそな銀行』とする。

これにより形式上(そして恐らくはシステム上)2回ずつ行われるはずだった分割と合併と1回ずつ(+1回の改称)へと縮減されました。

ここまで書けば流れ的にもうおわかりかと思いますが、大阪から乗り込んできた大和銀行はまさに「大和銀行朝霞台支店」を持っていました。旧大和銀行の支店はまるごと『りそな銀行』に引き継がれましたから、当然大和銀行の支店だった朝霞台支店は『埼玉りそな銀行』では無く『りそな銀行』に引き継がれます。旧大和銀行が持っていた埼玉県内の拠点の最後の生き残り。これが『りそな銀行朝霞台支店』の正体です。
ちなみに、なぜ朝霞台だったのかは正直よくわかりません。ただ、1970年代に武蔵野線が開通するまで駅のない地域だった朝霞台は、その頃までどこの銀行も手を出していない「新しい街」でした。それ故に埼玉県に地盤のない大和銀行も乗り込みやすかった……なんてシナリオが頭に思い浮かびましたが、この辺は本当に推測(というか妄想)なので詳しい方にお訊きいただければと思います。なお過去には久喜支店(埼玉初の支店?)・川越支店(朝霞台支店に統合)・大宮西口支店(東京営業部に統合)の各支店を有していたと言う情報があることを追記いたします。

余談ですが、朝霞台には『りそな銀行』が存在するものの、朝霞台駅前のATMコーナーは『埼玉りそな銀行』のATM(隣駅・朝霞駅近くにある『埼玉りそな銀行朝霞支店』の出張所扱い)です。

類例

『りそな銀行朝霞台支店』が目立つ例ですが、他にも似たような類例がいくつか存在するためここでピックアップします。

1.りそな銀行王子中央支店久喜駅前出張所(埼玉県久喜市)
先ほど「大和銀行の埼玉県内の拠点は朝霞台を含め2ヶ所のみ」と説明しましたが、そのもう1ヶ所がここ。大和銀行王子支店久喜出張所(さらに前身は大和銀行久喜支店)から引き継がれたATMコーナーでした。
あくまでも『りそな銀行』の出張所だったため、遠く離れたりそな銀行王子中央支店(東京・北区、旧大和銀行王子支店。その後あさひ銀行王子支店を引き継いだりそな銀行王子支店に統合)の出張所扱いとなっているのが印象的です。もっとも、その後王子支店に統合されたため現存はしません。

2.りそな銀行ひばりヶ丘支店ライフ新座店出張所(埼玉県新座市)
こちらも埼玉県に位置するりそな銀行の出張所です。これに関しては地図を見た方が早いでしょう。

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図中のライフがライフ新座店、そしてひばりヶ丘駅前にりそな銀行ひばりヶ丘支店がありますが、距離的にごく近いにもかかわらずライフ新座店はギリギリのところで埼玉県、そしてりそな銀行ひばりヶ丘支店はギリギリのところで東京都に位置することがわかります。お互いにギリギリとは言えあくまでも「東京支店の埼玉出張所」であるため、りそな銀行が埼玉県に位置するような光景が見られます。なお、ひばりヶ丘支店は旧あさひ銀行ひばりヶ丘支店でした。

3.埼玉りそな銀行妻沼支店足利出張所・今井病院出張所(栃木県足利市)

最後は逆に埼玉りそな銀行が埼玉県外の栃木県に位置した事例。これも一言で言うならばひばりヶ丘の逆パターン(いわば埼玉支店の栃木出張所)と言われればそれまでですがこちらも地図をご覧ください。

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あさひ銀行時代の2001年、足利に位置したあさひ銀行足利支店を閉鎖し、跡地に出張所(ATMコーナー)を置く事となりました。出張所を置く場合基本的にはどこかしこの母体となる支店の出張所……と言う扱いになりますが、上の地図の通り足利から一番近い支店は同じ県内の宇都宮支店や隣県の前橋支店では無く埼玉県に入った妻沼支店であったため、足利市内の病院に位置する出張所であったあさひ銀行足利支店今井病院出張所を含め『あさひ銀行妻沼支店足利出張所』『あさひ銀行妻沼支店今井病院出張所』として引き継がれます。その後、先述の経緯により埼玉県内のあさひ銀行の支店とその出張所がまるごと『埼玉りそな銀行』になったため、埼玉県内の支店の出張所である足利の出張所も同様に『埼玉りそな銀行妻沼支店足利出張所』『埼玉りそな銀行妻沼支店今井病院出張所』として引き継がれました。なお、いずれも現存しません。

余談

これまで長々と書き連ねた記述のうち、現存する支店・出張所については公式サイトの店舗検索ページを参照しましたが、現存しない支店・出張所についてはりそなグループのディスクロージャー誌を参考にしています。2000年以降のりそなグループ(と前身のあさひ銀行・大和銀行)のディスクロージャー誌については同社ウェブサイトで公開されており、その中にある支店・出張所一覧(大和銀行は有人支店のみの紹介)を元に構成しています。
この他、趣味でりそな銀行や埼玉りそな銀行の全国の支店を完全制覇した物好きなフォロワーさんがりそな銀行・埼玉りそな銀行などの支店やその歴史を網羅した表を作成しており、非公式の情報ながら適宜参考にしました。
なお本筋からは明らかに外れますが、『りそな完全制覇』の行程で最後に残ったのは衆議院支店と参議院支店だったそうです。まあ議員会館の中にある支店で一般人がやすやすと入れる支店では無いので仕方がないところかなと思います。ただし、国立国会図書館の中にある店舗外ATMが『りそな銀行参議院支店国立国会図書館出張所』扱いとなり、こちらは一般人でも立ち寄ることができるそうです。
またしても関係の無い話ですが、埼玉銀行は先述の通り大手の都市銀行と言う扱いだった事もあり、意外と全国に拠点を構えていたのですが、埼玉銀行名古屋支店が所在したビルが現存しています。それがこちら

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名古屋第二埼玉ビル。協和銀行との合併後に早々と旧協和銀行側の名古屋支店に吸収され撤退した事もあり、現在では名前以外に名残は無いのですが、事情を知らないとワケがわからないネーミングです。

以上、『埼玉りそな銀行』では無い『りそな銀行』が埼玉県に1店舗だけ存在する謎と蛇足について、少々長くなりましたがここで筆を置きます。

【お知らせ】
私、とさかは、このようなくだらない妄想を不定期的に書き記しています。もしよろしければ他の記事もお読みください。

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