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ジュエリー大手「4℃」は、愛媛県のスーパーマーケットの関連会社だった

皆さまは4℃(ヨンドシー)をご存知でしょうか。日本全国に展開するジュエリー・宝飾品販売大手です。ジュエリーにはあんまり詳しくないので4℃自体の説明はさらっと流します。

さて、そんな4℃を展開するヨンドシーホールディングスの株の約18%を握る筆頭株主は、数年前までちょっと意外な会社でした。

その名はフジ。フジと言ってもテレビ局やパン屋さんやフイルムメーカーではなく、愛媛県創業で東は徳島県から西は山口県あたりまでの中四国地方に展開するスーパーマーケットです。

愛媛県宇和島市にある、フジが展開するスーパーの店舗(Wikipediaより)

フジ自体はこの手のローカルスーパーの中でもかなり大きな会社のひとつで特に愛媛県内での認知度は非常に高いため、何かデカい関連会社の1つや2つあっても不思議ではありません。例えば愛媛県などにドラッグストアを200店舗以上展開するレデイ薬局はフジの関連会社ですが、生活に欠かせない商品を販売する小売業と言う意味では、それなりに妥当な組み合わせでしょう。
しかしながら、さすがに愛媛のスーパージュエリーブランドの間には、一見するとなんの関連性もないように見受けられます。

もちろん、単なる投資目的でここまで大量の株を保有することはあんまりないはずなので、これにはちゃんとそれなりの理由があります。
それを探るため、時計の針を4℃ブランドが誕生した1972年に巻き戻しましょう。

4℃の成り立ち

4℃ブランドが誕生したのは先述の通り1972年。当初はアクセサリーブランドとしてスタートしました。

この4℃の立ち上げにはある企業が関わっていました。その名は十和。広島に本社を置く繊維問屋で、衣類を広島県内の小売店に販売する事業を行っていました。十和自体は社名をアスティに変えた上で現在も広島で営業を続けており、祖業である卸売はもちろんのこと、アジア各地の協力工場を通じた衣類やバッグの製造販売に至るまで、アパレル関係の幅広い事業を手掛けています。

で、さっさと結論を述べると、この十和のスーパーマーケット部門として1967年に愛媛県宇和島市で産声を上げたのが、前述のフジでした。
タネ明かしをしてしまえばなんてことはありません。4℃とフジは同じ会社が作ったわけですね。

さて、これにて一件落着……と言いたいところですが、そうは問屋が卸しません(いやまあ実際に問屋の話ではあるのですが)

衣類のプロである繊維問屋が、同じアパレル分野であるアクセサリーやジュエリー部門へ進出することは、素人目に見てもそう違和感のないチョイスに思えます。
ですが、衣類のプロである繊維問屋が、なぜ突然スーパーマーケットに参入したのでしょう
場所だってヘンです。十和は広島の会社なのに、なぜか出店先に選んだのは愛媛県でした。

これについて説明するには、今度はフジの歴史、そして根本的にスーパーマーケットの歴史についてじっくり振り返る必要があります。ちょっと長くなりますが、どうかご堪忍の上お付き合いください。

そもそもスーパーマーケットとは何か

急にスケールの大きい話題になってしまいましたが、いったん身近なお買い物を例にとって考えてみます。
たとえば、今晩のおかずに使う旬の野菜春物の洋服洗濯用の柔軟剤の3品を買う用事があったとしましょう。あなたがもし、ご自宅の近所でその3つを買い揃えるとなったら、どんなお店をハシゴしますか?
……まあ、なんのお店でも良いのですが、ごく一般的に考えると、野菜はスーパーで、洋服は服屋で、柔軟剤はドラッグストアで……と言った感じで買い回る人が多いんじゃないでしょうか(区分けが超大雑把でごめんなさい)

何が言いたいのかと言うと、現代の日本におけるスーパーマーケットは『衣食住の中でも特にに強い業態であり、食料品店に近い存在である』と言う共通認識があることを、ここで再確認したかったわけです。逆に言うと、柔軟剤はまだしも春物の洋服なんかを敢えてスーパーで買う人はあんまりいなさそうですね。
だからこそ「アパレル系の繊維問屋が、突然愛媛で野菜とか肉とかを売り出したのはなぜだろう?」と言う先述の疑問に至るわけです。

さて、ここで改めて”スーパーマーケット”の辞書的な定義を振り返るために国語辞典を引っ張り出しましょう。

スーパーマーケット
セルフサービス方式で、食料品を中心に日用雑貨・衣料品などの家庭用品について、大量・廉価販売を行う大規模小売店。SM。スーパー。

デジタル大辞泉(小学館)

これを見ると、2つの事実がわかります。
ひとつは、「まあ食料品は売っていて然るべきだが、別に食料品以外のモノを色々売っても問題ない」と言うこと。
もうひとつは、「セルフサービス方式で、大量・廉価販売を行う」ことが定義としてけっこう重要そうであると言うことです。

このセルフサービス方式とは、店内に陳列された商品を値札などを参考に自分で選んでレジで一括精算を行う方式のことで、今でこそ当たり前となりましたが、店員とのコミュニケーションを通じて商品の販売を行う百貨店や個人経営の商店などと比べて人件費が削減できる(≒売価を安価にできる)方式として、誕生した当初は喝采されました。

で、実のところ、日本にスーパーマーケットが登場した黎明期である戦後~高度成長期にかけての時期においては、この「セルフサービス方式で、大量・廉価販売を行う」定義が今以上にかなり重視されていました。なにせ業界団体である全国スーパーマーケット協会が、当初は日本セルフ・サービス協会と呼ばれていたほどです。

逆に言うと食料品店的なキャラクターは今の時代より薄かったと言えます。もちろん大概のお店では食料品も扱っていましたが、セルフサービス方式により安価に販売できる……と言う理屈は食料品以外でも同じなので、衣食住すべてを安売りするお店としての存在感が今より強かったのが黎明期のスーパーマーケットでした。
専門用語ではこれを総合スーパー(GMS)と呼びます。これに対して食品メインのスーパーは食品スーパー(SM)と呼ばれます。
イメージしにくい方はとりあえずドン・キホーテ※を頭に思い浮かべてみてください。と言ってもドンキをそのまま思い浮かべると脳内がヤンキーの溜まり場になるので、あそこに並んでいる食品やら衣類やら生活用品やらの商品のうち不良ウケしなさそうなモノを清潔感のある店内に整然と陳列した、いわば清楚なドンキを思い浮かべると、なんとなーく概念をイメージしやすいと思います。
※通常、ドン・キホーテのようなディスカウントストアはGMSとは別カテゴリで認知されます。

そういうわけで、特に歴史の古いスーパーは(もちろん八百屋や魚屋が祖業のところもありますが)アパレル系が祖業である会社が一定数ありました。例えば日本最大のプレイヤーであるイオンも元々は三重県四日市の「岡田屋呉服店」が祖業ですし、イトーヨーカ堂も東京府浅草の洋品店「羊華堂」から始まりました。

ここまで読むと、衣類に強い繊維問屋である十和が、突然スーパーマーケットに参入したのも納得できるでしょう。
1968年に開店した創業2号店であるフジ湊町店(松山市)の当時のフロアガイドを見ると、以下のような構成でした。

1階から3階 衣料品
4階 食料品
5階 食堂

フジ創業50周年記念誌『その手から、この手に。』に筆者が一部加筆

と言うわけで、大半のフロアを衣料品売り場が占めており、この当時のフジは価格帯の安い衣料品店としての側面が強いお店で、現在のお店に例えるならばしまむらとかに近い雰囲気でした。
上記の引用元であるフジ創業50周年記念誌には『問屋機能を中心に消費者に近い小売業と、生産者に近いアパレル機能の確立をめざし「流通機能の統合化」を掲げ、小売業への進出を決めた』という記述もあり、当初はあくまでも問屋としてのノウハウを活かした衣類小売業として参入したようです。
その後アパレルの専門・高度化が進むにつれフジを含めどこのスーパーも徐々に食品メインに変わっていきますが、現在でもフジでは衣料品を販売している他、衣料品を専門に扱う店舗も1店舗(ザ・カジュアル池田店)残存しています。

なぜ愛媛県に進出したのか

さて、もう一つの疑問も解決しましょう。すなわち、なぜ広島の会社なのにいきなり愛媛県に進出したかと言うことです。

これに関しては比較的シンプルで、この当時の十和は広島を中心に中国地方全域に2000社以上の取引先がありました。当然、その中には多くの「まちの洋品店」的な小売業者も含まれます。
その中でいきなり広島に安売り衣類店を出店したらどうなるでしょうか。当然、既存の取引先からものすごく反発されますよね。
そういうわけで、既存取引先への配慮と言う事情により、当初は取引先がなかった(かつ広島からそこまで遠くもなかった)愛媛県へ進出することとなりました。

なお、その後食品店としての側面も強くなった1981年に、本来の地元である広島への進出(高陽店)を果たし、2024年には本社機能も広島に移転しています。もっとも、本社移転に関してはイオンの資本が入った関係で広島の地域子会社(マックスバリュ西日本)と統合した事情が大きいですが……。

今回の参考文献

今回の文章を書くにあたって、先程も少し引用しましたが、フジが公開しているフジ創業50周年記念誌『その手から、この手に。』が極めて参考になりました。

フジ創業50周年記念誌『その手から、この手に。』

フジ創業前夜から近年に至るまでのフジや小売業の歴史がよくまとめられています。広島上陸の際の苦労話から、あの名曲「ハッピーショッピング」の制作者がヤバいぐらい豪華なことまで盛りだくさんの内容ですので、ご興味のある方はぜひお読みくださいませ。

私は基本的に出不精なのでインターネットで調べた内容を主に書く『コタツ記事』スタイル(※そもそも記事と呼べるほどちゃんとした文章ではない)で書いていますが、今回は公式の資料がネット上にしっかり公開されていたため、ずいぶん簡単に書くことができました。本当にありがとうございます。

もっとも、社史を刊行した直後にイオンの資本が入ったり、本社を広島に移転したり、ロゴがおもいっきり変わったり、その過程でヨンドシーの株も手放したり……とかなり激変したので、ちょっと刊行したタイミングは悪かったかもしれませんが……。


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