批判すれば自分に返ってくる

お世話になっている経営者の方から、以前教えていただいたお話です。

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「お釈迦様と悪口男」

あるところに、
お釈迦様が多くの人たちから
尊敬される姿を見て、
ひがんでいる男がいました。

「どうして、あんな男がみんなの尊敬を集めるのだ。いまいましい」

男はそう言いながら、お釈迦様をギャフンと言わせるための作戦を練っていました。

ある日、その男は、お釈迦様が毎日、同じ道のりを散歩に出かけていることを知りました。

そこで、男は散歩のルートで待ち伏せして、群集の中で口汚くお釈迦さまをののしってやることにしました。

「お釈迦の野郎、きっと、おれに悪口を言われたら、汚い言葉で言い返してくるだろう。その様子を人々が見たら、あいつの人気なんて、アッという間に崩れるに違いない」

そして、その日が来ました。

男は、お釈迦さまの前に立ちはだかって、ひどい言葉を投げかけます。

お釈迦さまは、ただ黙って、その男の言葉を聞いておられました。

弟子たちはくやしい気持ちで、

「あんなひどいことを言わせておいていいのですか?」

とお釈迦さまにたずねました。

それでも、お釈迦さまは一言も言い返すことなく、黙ってその男の悪態を聞いていました。

男は、一方的にお釈迦さまの悪口を言い続けて疲れたのか、しばらく後、その場にへたりこんでしまいました。


どんな悪口を言っても、お釈迦さまは一言も言い返さないので、なんだか虚しくなってしまったのです。

その様子を見て、お釈迦さまは、静かにその男にたずねました。


「もし他人に贈り物をしようとして、その相手が受け取らなかった時、その贈り物は一体誰のものだろうか」

こう聞かれた男は、突っぱねるように言いました。

「そりゃ、言うまでもない。相手が受け取らなかったら贈ろうとした者のものだろう。わかりきったことを聞くな」

男はそう答えてからすぐに、

「あっ」

と気づきました。

お釈迦さまは静かにこう続けられました。

「そうだよ。今、あなたは私のことをひどくののしった。でも、私はその 

ののしりを少しも受け取らなかった。だから、あなたが言ったことはすべて、あなたが受け取ることになるんだよ」

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本当にそうだなと、思うのと同時に、SNSがこれだけ発展した時代においては、その悪口を不特定多数の人が聞く機会が多く、その悪口を信じてしまう人が一定数いる今の世の中においては、ただ沈黙するだけでは、機会損失してしまう人がいるのではと思っています。

本人に返ってくるのは間違いないので、批判した人が人生で何らかの罰を受けるのでしょうが、直接関係の無い周りの人に影響が及んでしまうのであれば、しっかりと戦うというスタンスも今は大事だと考えています。

以前、すごいインタビューで紹介した紀里谷さんは以下のように言っています。でも、これもう5年以上前のインタビューですけどね。今も変わっていないどころか、ますます大きくなっているので、今こそこの姿勢が大事なんだと思います。

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――紀里谷さん自身、“すべて自己責任”という考えを現在もたれていますか?

紀里谷:だって、それ以外ないじゃないですか。
それ以外に何があります?
いま、誰かのせい、社会のせいって、何かしら外的要因のせいにしてる人が多すぎる。
それで遂には、何かのせいにしてなんにもできないからって、一生懸命がんばってる人を笑い、攻撃するヤツまで出てきた。

――それは、ネット上においてですか?

紀里谷:そう。
なんにもせずに人のせい・社会のせいにするようなヤツらが、ウイルスのような毒素をばらまきまくってるわけです。
炎上させたり、“リア充”って言葉で人を笑ったり。
で、それに対して今度は“がんばってる人たち”側が気を遣ってしまってますよ。炎上したらどうしよう、リア充って笑われたらどうしようって。

バカじゃないのと思いますね。
なんでそんなヤツらの言うことを聞かなきゃいけないのって。
そういういらぬ気遣いを子供たちが真に受けちゃって、自分がやりたいこともやっちゃいけないんだって思いはじめちゃうんですよ。
なんなのそれ、って思う。

■「いま、日本では内戦が起きてる」紀里谷氏の考えるネット社会の弊害

紀里谷氏の“ネット論”は、さらに以下のように続く。

紀里谷:断言してもいいけど、いま日本国内では内戦が起きていると言えますよ。

どういうことかというと、“がんばって行動する人たち”と“しないヤツら”の内戦。
“何かに情熱を傾ける人たち”と“それをバカにするヤツら”の内戦。
インターネットが普及して以降、ここ10年くらいに起こった日本の衰退は、“ヤツら”のほうに耳を傾けすぎてしまったことによる衰退だと思いますね。

これをしたら、なんか嫌なこと言われるかもしれない、デメリットがあるかもしれない、炎上しちゃうかもしれない…。
そうやって耳を傾けすぎて、姿の見えない第三者の言いなりになってる。
でも、そいつらは誰なの?なんなの?

実際にそいつらの住所をつきとめて会いに行ったとしたら、きっと笑い転げると思いますよ。
こんなくだらないヤツらだったのかって。
こんなヤツらの言うことを気にして真に受けてたのかって。

いい加減、目を覚まそうよ。
そういうヤツらは、一体何人いるの?
人数としては、すごく少数だと思うよ。
そんな少数のヤツらのせいでどれだけの人たちが苦しんで、どれだけの人たちの夢がつまれて、どれだけの人たちが傷ついてるんだよ、って話です。

――紀里谷さんがTwitter等で悪口を言ってくる人に対してリプライを返すことがあるのは、そのような考えからですか?

紀里谷:うん。
それが風潮になればいいよね。

悪く言うのはいいよ。
何を言ったっていい。
でも、その言ったことについてはしっかりツッコまれるっていう風潮ができればいいじゃないですか。
それが匿名だとしても、言ったことに対しては責任をとらされる。


よく、『あんな悪口、放っておいたほうがいいですよ』って言われるんだけど、放っておくからこういう社会状況になるわけですよ。

いまや、少数である“ヤツら”の攻撃が10年かけてネット上を飛び出し、社会全体にボディブローのように効いちゃってる。
テレビでもクレームや炎上を気にしてやりたいことや面白いことができないし、会社の会議の席でも思ったことが言えなくなってる。
笑われるんじゃないか、変な質問だと思われちゃうんじゃないかって。

そんななかで、どうやってイノベーションを生み出すの?
そんななかで、どうやってみんなが笑える社会をつくるの?
誰も得をしないし、誰も幸せにならないよね。
そういう風潮が、どれだけの弊害を作り出したか…。
経済効果でいえば、何千億円何兆円レベルの悪影響だと思いますよ。

――“物言わぬ支持者”は、もっとたくさんいるということですか?

紀里谷:そうだし、その“物言わぬ支持者”が黙りこくってるからこうなっちゃうわけじゃないですか。
駅で殴られてる人がいて、それを知らんぷりしてるようなものですよ。
放っておけばいいでしょって。
でも、本当に放っておいていいの?

その質問に「確かにそうですね」と返せば、「そう思うんだったら、あなたも行動に移しましょうよ。
なんでやらないの?
それは結局、ぐだぐだと言い訳をつくって自分のことしか考えてないからですよ!」と、本気を求めて本気でぶつかってくるのが紀里谷和明という人だ。

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