メタフィクション
「文化祭」という行事が好きだ。高校を卒業し大学に入学した後も学園祭の運営をやるくらい、文化祭・学園祭に思い入れが強いと言っても過言ではない。
「文化祭」から醸し出される"非日常"が好きだ。普段だるいと思いながら仕方なく通っている学校が、突然祭りのような熱を帯び、手作りの装飾により視界が彩られる様。数日間限定の"非日常"がそこには現れる。だがこの非日常は自らの手で作ったもので、会場も普段通っている学校であることも理解している。さながらメタフィクションのような歪ささえ感じてしまう。文化祭がメタフィクションであるとするならば、製作期間で世界を構築し、運営で秩序を保つ。来場者や参加者は作り上げられた非日常を時に読者のように、時に登場人物のように楽しみを享受する。そうして生み出された非日常に対峙したときの高揚感は、何度味わっても飽きることはないだろう。
「文化祭」で輝く人々が好きだ。文化祭の来場者も、参加者も、運営も、欠けてしまえばこの祭りは成り立たない。作り上げるための時間を、努力を費やして得た経験は何にも代えがたい大切なものになると信じている。青春、と言えば平たく聞こえるかもしれない。だが、たった3年間のうちの、ほんのわずかしかない非日常を存分に楽しんでほしい、というのが私の願いである。
ここからは私の後輩たちへ送るメッセージになるが、この日を迎えるまでに多くのことがあったと思う。"大変"だとか"困難"で済ませていいものではない、本当に様々なことがあっただろう。たくさん苦労しているのに、一般生徒や来場者にはその苦労が見えることはそこまで多くはない。理不尽じゃないか?
ただ、文化祭という非日常の世界の構築に一番携わっているのも、運営として秩序を保っているのも、参加者としての楽しみ方を一番知っているのも、すべてあなた達。文化祭を骨の髄まで味わい尽くす権利があることを忘れないでいてほしい。そして、非日常を楽しむ一般生徒や来場者の顔を見れば、「達成感」のひとことでは済まされない特別な充足感が待っている。
今日のリハーサルで「機材はぼろいけど、体育館で演奏できて楽しい」と言っていた軽音部員がいた。自分は何もしてないけど勝手に誇らしくなった。誰もが輝ける舞台を準備してきたこと、「楽しい」があふれる非日常を作り上げ、楽しみを与える側に立つこと。どんなに小さな仕事でもすべて当日に繋がっていて、複線回収のように報われる瞬間は必ず訪れるから、どうかひとつひとつの仕事に誇りを持ってほしい。
楽しそうに統率する本部長だっているし、仕事がすごいできる副本部長だっているし、初仕事なのに部署長やっている子だっているだろうし、60人のひとりひとりが「お疲れ様」で完結できるような苦労じゃないことも十分わかっている。それでも、お疲れ様。「文化祭本部」に入ってくれてありがとう。私の大好きな文化祭を繋げてくれてありがとう。誰かにとっての最高の舞台を用意してくれてありがとう。誰もが輝ける場所を作り上げてくれてありがとう。友人も言っていたけれど、あなたたちは世界で一番素敵な集団だから、その輝きを止めないでいてね。
どうか最終日まで、手作りの"非日常"が素敵なままで終われますように。
頑張ってね。応援しています。